阪口正二郎(一橋大大学院法学研究科教授)

「立憲主義なんてよく知らない」?


参院平和安全法制特別委員会で民主党の福山哲郎氏の質問に答えるため挙手する礒崎陽輔首相補佐官=2015年8月3日(酒巻俊介撮影)
 自民党が2012年4月に発表した「日本国憲法改正草案」(以下、「改正草案」とする)を発表したが、この「改正草案」に対しては「立憲主義を理解していない」とする批判がなされた。それに対して自民党の憲法改正推進本部の事務局長にある礒崎陽輔氏は「意味不明な批判」だ、「学生時代の憲法講義では聴いたことがありません」とTwitter上で「つぶやき」物議を醸したことは記憶に新しい。礒崎氏は学部時代真面目に憲法の講義を聞いていたのかという、皮肉めいた批判がなされたが、礒崎氏が学生時代に憲法の講義を真面目に聞いていたのかどうかは大した問題ではない。本質的な問題は、自民党で「改正草案」の作成に中心的な役割を果たしたはずの人物が、「立憲主義」という概念についてよく知らないと堂々と答えたことにある。「立憲主義」をよく知らない人が憲法改正の草案を作成していることが深刻な問題である。

歴史の知恵としての「立憲主義」


 立憲主義には広い理解と狭い理解がある。広い意味では、立憲主義とは国家権力を法(=憲法)によって縛ることを意味する。この意味での立憲主義の起源は、中世から存在している。しかし、現在問題になる「立憲主義」とは、たんに国家権力を法によって縛ることを意味するのではなく、その場合の法(=憲法)の中味が問題となる。「立憲主義」とは、人が人であるというだけで権利(=人権)を有し、その権利は多数者の意思によってでも侵害できないということを前提とした憲法によって国家権力を縛ることを意味する。「人権」という原理は近代の産物である。その意味で、こうした立憲主義とは特に近代立憲主義と呼ばれることが多い。

 近代立憲主義が生まれたきっかけはヨーロッパの宗教戦争にある。人はふつう自分が良いと思うものを他者にも勧めたがる。それは人の性である。しかもことが宗教の場合、それはたんに良いものではなく、相手を救うために強く勧める必要がある。しかし、相手が別の信仰を有している場合、それは「お節介」ではすまない。ある人にとっての信仰は別の人にとっては邪教である。それを押し付けようとすれば、弾圧になるか、弾圧に抗して闘争、そして戦争にまで発展する。異なった信仰を有する人々がどのようにすれば戦争をしないで平和的に共存することが可能か。その問いに対する答えが、信仰に関しては、可能な限り、個人が自分で決定し、みんなで決めることはしない、つまり信教の自由を保障することであった。これが、近代ヨーロッパが血塗られた宗教戦争を経て生み出した知恵である。

 だが、人にとって譲れない価値は何も信仰だけとは限らない。それぞれの人にとって何が善い生き方かは異なる。信仰に一生を捧げる人生もあれば、愛する人と暮らすことが最良の人生だと考える人もいる。どの人生が最良の人生かを決めるものさしなど存在しない。そのように考えたとき、信仰に限らず誰でもが大切だと思う、生き方に関わるような価値については、「人権」という形で、可能な限り、その人が自分で決められる領域を確保し、その領域についてはみんなで決めることをしないという約束事が必要となる。この約束事が「人権」というコンセプトであり、立憲主義はそうした「人権」の保障を前提としたものとなった。

 いま、世界ではこうした意味での近代立憲主義が花盛りである。1989年の東欧革命を経て社会主義体制から自由主義体制に転換した東欧諸国は、相次いで憲法を制定したが、その憲法には「人権」が刻印されている。「人権」を前提とする近代立憲主義は今ではグローバル・スタンダードである。

「訣別宣言」としての自民改正草案


 ところが、自民党の「改正草案」はこれとは異なった考え方に立脚している。「改正草案」は、三つの意味での「訣別宣言」だと読める。

(1)個人主義からの訣別
 第一は、「個人主義」からの「訣別宣言」である。そのことが、端的に見られるのは13条の条文の改正である。日本国憲法において「どの条文が一番大事だと思いますか?」と聞かれると、私は「13条だ」と答えることにしている。憲法13条は、「すべての国民は、個人として尊重される」ということを明確にした条文である。それに対して「改正草案」の13条では、巧みに「個人」というものを落としている。改正草案は「すべて国民は、人として尊重される」としており、「個人」ではなくて「人」として尊重されることに変更されている。

 「個人」と「人」は、同じではないかと考える方がいるかもしれない。しかし、「個人」と「人」は異なる。「個人」は、多様で異質な存在である。それを丸ごと可能な限り保護しようというのが、現在の憲法13条があらわしている「個人の尊重」である。それに対して、「改正草案」が掲げる「人」とは、多様性ではなくて、同質性を強調するものであるように思われる。「個人」としては多様だけれど「人」としては同じであるという考え方に「改正草案」の13条は立っているように思える。