森本敏(拓殖大学特任教授)

 安保法制は参院審議が始まってから、少しずつ社会に浸透してきた感があるが、国民理解が十分に進んでいるとは言い難い。これには衆院審議における違憲論議や戦争法・徴兵制といったプロパガンダ的反対運動、戦後70年とダブらせた各種報道、国会審議のやり方の要因が絡んでいるといえよう。

若者を駆りたてる感情


 安倍晋三首相はじめ政府側の努力にもかかわらず、具体的なシナリオや現実の脅威認識について理解が広がっていないきらいもある。安全保障は本来、国家や国民の生存にかかわる重大事であり、例示により理解が進むとは限らず、国際社会の実態と展望を率直に説明した方がよい場合もある。

 他方、社会には自分にとって嫌なことや、ずっと将来のことはできれば考えたくないと思いながら生きている人が多い。

 60年安保反対闘争は今や、昔の話になったが、あの運動に当時の若者を駆りたてた動因は反米ナショナリズムであったと思う。こんな条約を結んで日本は米国の属国になってよいのかという感情が共感を呼んだのである。しかし、若者たちは条約文さえ読んでなかったし、どの条文を修正したら賛成できるといった議論もなかったであろう。

 ただ、歴史を振り返ると日米安保体制がその後半世紀にわたる日本の安全と経済繁栄の基礎になったことは明らかであり、今や、安保反対闘争に加わった人を含めて国民の7割以上が日米安保に賛成している。

 今、安保法制の反対者を動かしている動因は反米ナショナリズムではなく、反日リベラリズムといえるのではないか。すなわち、学生には今の日本はかつての道に踏み込む恐れがあり、安保法制を成立させるような日本の方向には賛成できないという見方が強い。
安保関連法案が参院特別委で可決された国会前には、夜になっても法案に反対する大勢の人たちとそれを囲む警察官の姿があった=2015年9月17日
 また、これは真のリベラリズムとはいえず、反政府活動に駆りたてられた感情的なリベラリズムである。法案の内容を理解せず、反対を主張するだけの感情論は後で振り返ると間違っていたということにならないのか。

顕在化する北東アジアのリスク


 安保法制はアジアのリスクに対し、日本の安全を確保する手段である。国際社会は依然、混沌(こんとん)としており、ウクライナ情勢や「イスラム国」、シリア、イラクを含む中東湾岸情勢は深刻で解決の道のりは見えない。

 北東アジアの潜在的不安はもっと深刻である。北朝鮮は2006年、09年、12年と3年ごとに弾道ミサイル実験を行い国際社会から制裁を受けて反発し、その都度、核実験を行った。今年はさらにその3年後にあたり発射台の拡張を行っている。6者会合は動かず北朝鮮による核兵器・弾道ミサイル開発の時間稼ぎが続いている。周辺への挑発活動も続いており、その意図も不明瞭である。

 今般、南北間で起きた緊張は一応収まっているかにみえるが、今後、何が起こるか予想できない。明確なことは、北朝鮮が核兵器と日本にいつでも発射できる数百発の弾道ミサイルを保有しているということである。

 北朝鮮が急迫する短期的脅威とすれば、中国は中期的なリスクである。南シナ海や東シナ海における力による現状変更は、やがて周辺との武力衝突という形で顕在化するであろう。

 しかし国連は機能しない。しかも軍事的脅威にとどまらず国際経済に与える影響は重大である。あるいは国内の経済破綻から軍事的挑発が引き起こされるシナリオもあり得る。

一国平和主義は成り立たない


 こうした東アジアのリスクに対応するため米国だけに依存できる状態にはない。

 日本が米国のみならず他国の軍事活動を支援することは日本の安全にとっても不可欠の手段である。一国平和主義は到底、成り立たないのである。

 安保法制は日米安保の片務性を解消できる道でもある。日米安保体制は米国が日本の防衛義務を負う片務性をもっている。日米同盟が真のイコールパートナーにならない理由はこの点にある。

 この片務性をできる限り解消して日米同盟を真の同盟関係に近づけつつ、日本の安全を確実にすることは安保法制の重要な目的である。特に、安保法制で可能となる一定要件下における集団的自衛権行使、米軍のアセット防護や米軍に対する広範な後方支援はそれを可能とする。

 しかも、それにより北朝鮮や中国に対する日米同盟の抑止機能を格段に向上させることができるのであり、米国はこの点を高く評価している。もちろん、これを効率的に実施するためには日本の政治が果たす責任は大きく、自衛隊のリスク管理や態勢の整備も必要となる。国家の安全を果たすにはリスクが付き物である。

 それを回避していたのでは平和も安全も繁栄も期待できない。将来を展望すれば今、日本に求められているのは、日本の平和と発展のため危機に対応する強い責任感と覚悟である。

もりもと・さとし 昭和16年、東京都出身。防衛大学校卒業後、航空自衛隊を経て外務省安全保障課に出向。外務省入省後、情報調査局安全保障政策室長などを歴任。拓殖大海外事情研究所長や初代の防衛相補佐官などを務め、平成24年6月に野田佳彦政権下で民間人初の防衛相(11代)に就任。