河村直哉(産経新聞大阪正論室長)

 この間の列島で見られたのは、法案をめぐる冷静な議論以上に、感情的な一種の気分の広がりだった。いわゆる知識人や左派メディアも加わった一連のこの騒ぎは、集会やデモでの「戦争法案反対」式の短絡的な反発から、果ては罵声、怒号となり、16日夜から17日の参院平和安全法制特別委員会-と、国会内外で一つのピークを迎えた。


ユートピア信仰


国会前で安保関連法案反対を訴えるタレントの石田純一さん
=2015年9月17日夜
 世界が直面している安全保障環境と日本が果たすべき役割を考えると、この騒ぎは浮世離れしている。多くの国が法案を支持している。硬直したユートピア信仰に絡め取られた反対騒ぎ、といわねばならない。

 「戦争反対」といっても恒久平和といってもいい、その理念を筆者は否定しない。それはしかしユートピアなのだ。第一次大戦後の国際協調の理念が次の大戦へと失墜した時代を、ユートピアと現実のバランスの喪失と捉えたイギリスの政治学者、E・H・カーの分析は、現代の日本にも通じる。どんな政治的ユートピアも政治的現実から生じるものでなければ成功しない、と。恒久平和の理念も、戦争を抑止する現実の手立てを講じなければ実現できないのだ。

 しかし今回の騒ぎに限らず戦後日本を覆ってきたのは、独善的なユートピア信仰だった。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」する現憲法が、なによりそれを語っている。現実には自衛隊と米軍に抑止力を頼りながらその現実を見ず、ときには敵視しつつ平和を声高に訴えてきたのだった。戦後のその最たる運動が、昭和35(1960)年の安保闘争だった。

戦後左傾の残滓


 60年安保でもいわゆる戦後進歩的知識人がデモに加わるなどし、運動を導いた。戦争の時代を経験した彼らの仕事は多岐にわたるが、総じてリベラルで憲法擁護、安保改定には反対の立ち位置となる。その仕事は戦争に至った日本への容赦ない批判を基本としている。それでも、戦争への反動もあったのだろう、戦後日本で広く共有された。日本全体が左傾していた。

 しかし、戦争の痛みを骨身で知る世代が新生日本にユートピアを重ねた当時の心境はまだしも理解できるとしても、もはや戦後70年がたつ。安全保障の現実は刻々と変わっている。

 たとえば今回、憲法違反とする指摘がいくつもあった。朝日新聞は社説で再三、「『違憲』法案」などとした。変わる現実に見合った手立てを講じることが憲法に触れるというなら、憲法を変えればよい話である。法案反対論者は「反対」をいうだけでなく、なぜ憲法を改正せよともっと正面から訴えないのか。

 今回の法案反対騒ぎの歴史的な評価は、60年安保とは異なったものとなるだろう。かつてと同じ、日本を傾けた左傾思潮の病根が見えはする。しかし硬直したその残滓(ざんし)でしかない。ただし戦後70年を経てなお現実を見ようとしない点では、病根は深くなっている。

危機の70年


 さらにいえば、60年安保は東西冷戦のさなかに起こった。ソ連が安保反対陣営を援助していたことはいまでは明らかとなっている。中国共産党の関係を指摘する研究もある。自由主義国である日米の離反をあおる工作があった現実を、私たちは見ておくべきなのである。現在もさまざまな反対運動に、おそらくは他国の思惑も絡んでいよう。この国の偏りを克服する冷静な視点をこそ持ちたい。

 いつまで日本は一国のみで、恒久平和というユートピア幻想に浸っているのだろうか。E・H・カーの本は「危機の20年」という。それにならえば、日本は「危機の70年」にある。