著者 村沢智治(神奈川県)

 毎日のように国会前や地方でデモが行われており、若者を中心とした多くの一般人の政治的関心の向上が評価されている一方で、「反対」及び「賛成」を明示することが意識の高さを象徴しているかのような扱われ方をしている風潮を感じる。だが実際のところ、政治は複雑系だ。東京大学をトップクラスで卒業したような官僚であっても、全てが見通せる筈はない。

 何故だろうか、どうやら、安保法制に関しては単純系だと思われている方が多く見受けられる。インターネット上でも、集団的自衛権=戦争が起こる(反対派)や、集団的自衛権=他国からの侵略を防げる(賛成派)など、結果と端的に結び付けた意見が散見される。だが、レッテル張りを始めとした二元論はこの際、無意味であると言わざるを得ない。

 例えば、「大戦の反省をするならば、9条を守り通すべき」という声があるが、大西洋戦争の原因の一つには、日本が国際社会で孤立した事実がある。当時枢軸国と呼ばれた日独伊は国際連盟を抜け、大戦への道を歩んで行った。しかし、このたびの安保法制では、米国との軍事同盟が前提にある。米国と言えば、国際連合の常任理事国であり、NATO(北大西洋条約機構)の初期加盟国でもある。米国との同盟の強化は、むしろ敵国条項の対象国とされる日本の国際社会からの孤立を防ぐ一つの役割を担っていくと考えられる。だからといって、現在の憲法9条を守り通すことが大戦の反省にならないということにもならない。当時の大日本帝国やナチス・ドイツが「国防」や「存立危機事態」と称して侵略を開始したのも紛れもない事実なのだ。すなわち、どちらも有効な「大戦の反省」なのである。

 また、よく見られる主張に国際世論の賛否がある。国際社会においては、本法案を「評価する」など肯定的意見を述べた国は英仏をはじめとした44ヶ国で、反対を表明した国は中国・韓国の2ヶ国に留まる。これを以て安保法案を通すべきであると述べる声も多いが、これはさしたる根拠にはならないように思われる。日本が集団的自衛権を導入した際、「彼らにとって都合が良い」だけの可能性を否定できないためだ。我々日本人が、他国民のために防波堤の役割とした犠牲になる必要はない。
夕方前から人が集まる、国会前の安保法案反対デモ=9月16日、国会前(早坂洋祐撮影)
夕方前から人が集まる、国会前の安保法案反対デモ=9月16日、国会前(早坂洋祐撮影)
 では日本人にとって本当に良い結果とは何だろうか。それは無論、戦争を未然に防ぐことだ。国際政治・関係論では一般的に、きちんとした同盟を結ぶことで、戦争のリスクは最大で4割減らすことが可能であると証明されている。逆に言えば、個別的自衛権しか持たない国では、集団的自衛権を持つ国の6割以上戦争の発生率が高いということになる。

 この統計結果は、「一般的に」述べられた話であり、「日本において」もそういった結果になるとは断定できない。つまり議論の争点となるべきは、「日本の特異性」なのである。わが国におけるイレギュラーは例えば、同盟相手国である米国が世界でも指折りの好戦的な国であることや、隣国である中国が急成長を遂げる一党独裁国家であることなどだ。この点に関しては議論だけでなく、社会学的研究が必要となってくる。専門家ならぬ一般人が一言で「賛成」「反対」と述べるのは難しい問題だろう。

 ただし、それらとは関わりなく反対できる一つの理由がある。例えば近年多くのテレビ番組でも取り上げられているように、日本は多くの発展途上国から良いイメージを持たれている。米国と緊張状態にあるイランですら、実は親日国である。この理由には、日本のベンチャー企業が長年現地に技術供与をしてきたことなどの他に、日本とは対立したとしても戦争になることだけはあり得ない、と思われているという側面がある。断言は出来ないが、安保法制施行後は、状況が変わることもありえるかもしれない。

 より長くなるため合憲/違憲についての議論はここでは省略させて頂くが、以上のように安全保障関連法案の是非は簡単に答えを出せるものではない。「わからない」は立派な選択肢なのだ。争点は「日本の特異性」にあり、一般人の知り得る域を超越している。賛成派と反対派の明確な対立構造が生じている今の日本では、一度立ち止まって、考え直してみることが必要だろう。