猪木武徳(青山学院大学特任教授)

 社会主義国家の経済統計の信頼性の低さは、すでに旧ソ連時代の国民所得統計がそれを証明していた。生産目標値(ノルマ)と実現値の混同(同一視)だけでなく、地域ごとの生産額が想像を絶する杜撰(ずさん)さで集計されていたことを専門家は指摘している。

 したがって国内総生産(GDP)の成長率そのものではなく、その増加や減少の「勢い」を見て、何が起きているのかを推量するしかないのだ。

成長のボトルネックとなる腐敗


 ただし、相手のある貿易の統計はまだマシだと考えられる。ちょうど政治家の「日記」に虚偽が認められても、相手のある「書簡」にはウソは少なく、資料価値は高いとみなされるのと似ている。

 ではその貿易統計は近年の中国経済について何を語っているのだろうか。5年前の輸出の対前年成長率は3割を超えていたにもかかわらず、昨年は対前年比6%にすぎない。この輸出の不振が人民元切り下げの最大理由であったことは言うまでもない。

 中国の通貨当局は、人民元の為替レートを、対ドルレートを基準に管理してきた。したがって近年のドル高は、おのずと人民元の実質実効為替レートを実力以上に高め、輸出競争力を大きく低下させた。それに対処できるのが「強力に管理された変動相場制」という制度なのだ。

 注目したいのは輸入の成長率の激しい低下だ。同じ時期の年成長率が約40%から、ほとんど0%に低下している。輸入は基本的に国内所得に依存することを考えると、中国の国内総生産がいかに大きく減退しているのかが推測できよう。

 経済史上、国民所得の2桁成長を四半世紀以上経験した国家はない。すべての経済変量が比例的に膨張し続けることはできない。成長には必ず壁があり、成長それ自体の中に成長にとってボトルネックとなる限定要因が必ず伏在する。人間の成長が、乳児のすべての身体的・精神的要素を比例的に拡大した形態で進行しないのと同じだ。

賄賂を独占化したスハルト一族


中国全人代で活動報告を終え、握手する最高人民検察院の曹建明検察長(左)と最高人民法院の周強院長。曹検察長は過去1年間で汚職官僚を5万5千人立件したことを報告した=2015年3月12日(共同)
 中国の場合、その重要な限定要因のひとつが官僚機構の腐敗である。習近平政権の「反腐敗キャンペーン」は多くの職位・職階の官僚の怠業を生み、公共事業の深刻な遅れが発生しているところに中国の深刻なジレンマがある。

 一般に汚職は経済活動のリスクを増大させ、国民経済にとって投資抑制効果を持つため経済成長を阻害する。ただその汚職も、2つのタイプを区別する必要がある。ひとつは、汚職(収賄)が独裁者とその一族によって「独占化」されているケースである。よく知られているのはスハルト政権下のインドネシアである。

 スハルト時代には官僚への規律と統制が行き渡り、スハルトは汚職を無くすのではなく汚職を集中管理することに専念した。実際、スハルト一族は汚職を独占化して市場を機能させ、インドネシアを安心して投資できる国とした。その間スハルト一族が巨万の富を築いたことはよく知られている。

 このタイプの汚職は、「不確実性」によって投資活動のレベルを低下させることはない。汚職がそれほど市場経済にとって弊害とはならないのだ。事実、インドネシア経済はスハルト政権下で着実な成長を遂げた。

 しかしロシア同様、中国の汚職は、インドネシアの場合と基本的に性格を異にする。すべての職位・職階の官僚が野放図に賄賂を取りたがっていたと習近平主席自身が指摘している。この種の汚職は、市場取引や投資行動にとって致命的な負の影響を及ぼす。あらゆる経済主体が賄賂取得に狂奔し、経済取引の不信と不確実性を格段に高めるからだ。

「不況」は一過性ではない


 このタイプの汚職が蔓延(まんえん)する中国では、取り締まりを厳格化すればするほど、官僚機構のあらゆるレベルでのサボタージュが起こり、経済そのものが停滞する。

 官僚のサボタージュの発生は中国の公共事業にとっても深刻な阻害要因となる。特に9月以降、公共事業をカンフル剤とする景気対策を展開しようとする習政権にとっては致命傷となる恐れがある。

 それに、たとえ公共投資に進捗(しんちょく)が見られたとしても、政府債務の増大は避けられない。これまで中国経済は有効需要のうち投資の占める割合が異様に高く、「過剰投資」が行われてきた。資本設備の稼働率の低さはこのことを示している。こうした状況で、資産価格や新規投資の期待収益率が低下していけば、企業はますます困難な状況に陥ることは避け難い。

 この「前門の虎、後門の狼」のような状況からすると、現在の中国の「不況」は決して一過性のものではあるまい。いま中国が取りうる唯一確かな政策はドル・リンクで割高に動いた人民元を大幅に切り下げること、少しでも輸出を増やし体制の立て直しを図ることであり、中国が自らをコントロールできる方策は、それしか見当たらないのが現状のようだ。

いのき・たけのり 青山学院大学国際政治経済学研究科特任教授。昭和20年、滋賀県生まれ。京都大学経済学部卒。米国マサチューセッツ工科大学大学院博士課程修了。大阪大学経済学部教授、同学部長、国際日本文化研究センター所長などを経て現職。専門は労働経済学、経済思想。「自由と秩序」「経済成長の果実」「学校と工場」など著書多数。日経・経済図書文化賞、サントリー学芸賞、読売・吉野作造賞などを受賞している。