西村幸祐(ジャーナリスト)


情報統制と言っても過言ではない!


 今年の夏は世界史的に第二次世界大戦終了から七十年であり、日本でも戦後七十年が注目された。しかし、いつまでも年中行事として〈戦後X年〉といい続けるのは日本だけで、このままでは〈戦後八十八年〉とか、〈戦後百年〉とか言い出すに違いない。

 いつまでも日本を、侵略戦争を行った敗戦国として属国の状態にしておきたい人々には、〈戦後X年〉という儀式が毎年必要とされる。日本を永久に占領状態に置き、植民地のようにしておきたい勢力が国の内外を問わず、日本人に圧力を掛ける。

 実は、安倍談話はそんなシステムを木っ端微塵に破壊する力を秘めたものだった。その突破口を開いたのはたしかだ。にもかかわらず、そうした視点で報道したメディアは皆無に近い。また、そのような解説ができる人が、特に地上波TVに出ることはほとんどない。そういう人が存在しないのでなく、メディアが存在を隠すのである。情報統制と言っても過言ではない。そんな恐ろしさを改めて感じた戦後七十年の夏だった。

NHKスペシャルの「印象操作」

 八月十五日のNHKスペシャルは「カラーでみる太平洋戦争」だった。最近、NHKはしばしばデジタル処理でモノクロフィルムを着色する。カラー化されて何が見えてくるのかが、この番組の肝である。

 では、何をNHKが云いたかったのか? カラー化されて悲惨な場面がより鮮明になる、実はこんなに惨たらしい現実があったと訴える。戦争初期に日本軍が快進撃を続けたインドシナ半島の映像が着色されると、遺骨の木箱を白い布で首から下げる多くの兵士たちが、戦車の上に立っていることが解る。

 それに合わせて、これまでは解らなかった悲惨さが見えてきたかのようなナレーションが挿入される。

 南方戦線の玉砕、本土空襲の被害も着色された。日本軍の勇壮さを伝えるためのカラー化ではない。「私たちが考えていた以上に悲惨だったんですよ」という意味を持たせるためのカラー化である。作り手の想像力が貧困なのか、印象操作といわざるを得ない。

 もし、ベトナムで米軍のナパーム弾による攻撃の悲惨さを強調するための映像が放映されたら、ベトナム人の眠っていた反米感情を喚び起こすかもしれない。ところが、NHKスペシャルではただただ戦前の日本と日本軍の戦闘への嫌悪感、それこそ七十年前にNHKによって始められたGHQのWGIP(戦争罪悪観宣伝計画)が遂行されるのである。

 その証拠に、番組の冒頭、次のようなナレーションが入る。

「太平洋戦争を、当時、日本は大東亜戦争と呼んでいました」

 では、現在の日本人が大東亜戦争と呼ばないのか? 日本政府が閣議決定した「大東亜戦争」という言葉を敗戦後、真っ先に占領軍が禁止した。日本人から戦争行為の主体性を削除するためだ。NHKは占領軍の命令で、昭和二十年十二月九日から「太平洋戦争」の歴史を「眞相はかうだ」という米国のプロパガンダ放送で連日放送した。驚いたことに、敗戦七十年、占領終了後六十三年のいまでもNHKは同じ放送を行っている。

地団駄を踏んだ朝日新聞

 閣議決定の重さは、「安倍談話」に顕著である。朝日は八月十五日の社説で「出さない方が良かった」と地団駄を踏んだ。これまでの二十年間、政府見解だった村山談話が安倍談話に上書きされるからだ。韓国メディアも、十八日以降、外務省のHPから村山談話に基づいた歴史問題Q&Aが削除されたと騒ぎ出した。

 談話の後半部の〈自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて〉いくという言葉は、鋭い刃となってシナと南北朝鮮に向けられている。安倍首相は今年の施政方針演説で、韓国には「同じ価値観を持つ」という言葉を使わず、三月には外務省HPの韓国へ言及した箇所から「基本的な価値を共有する」との文言を削除している。

 談話の冒頭では、日露戦争がアジアの国々に勇気を与えたと言明したが、戦後の総理大臣で、わが国の戦争を歴史的にも正確に肯定的に評価したのは安倍首相が初めてである。日本のメディアなら、まずそれらの事実をきちんと報道するのが責務のはずだが、そうしたメディアが極めて限られているのが、戦後七十年の現状である。