澤昭裕(国際環境経済研究所所長)

トイレなきマンション論は誤解を招く


 「トイレなきマンション」というのは、原子力発電を批判する際によく使われる比喩である。つまり、原子力発電は豪華かつ先端的な設備かもしれないが、そこから生じる使用済み核燃料をどうするのかという点が不明確であり、持続可能な電源とは言えないという批判である。

 しかし、この比喩は誤っている。トイレは、廃棄物の処理や処分を行ってくれるものではない。トイレというのは廃棄物を一旦収容したのち、処分場に送るために介在する施設や設備をいうのであって、それは原子力発電システムにおいてもすでに整備されているのだ。

 日本では、原子力発電所において燃やされた燃料は、使用済み核燃料として再処理工程に回され、まだ使えるウランやプルトニウムを取り出して、核燃料として再利用することになっている(核燃料サイクル)。こうした核燃料サイクルを回すために、原子力発電所のサイトには、使用済み核燃料を一定期間冷やすために水に浸しておくプールが整備されている。さらに、使用済み核燃料が再処理工場に移送された後は、燃料として再利用可能な核物質を取り出した後、高レベル放射性廃棄物がガラス固化され、空冷の冷却施設に保管される。使用済み燃料プールから出した後、再処理工場に移送するまでの時間がかかる場合には、金属製のキャスクに格納し、空冷の倉庫のような施設に中間貯蔵されることもある。すなわち、「トイレ」は一応、整備されているのだ。

 問題は、高レベル放射性廃棄物のガラス固化体を最終的にどう処分するかということについて、国民の理解が深まっていないという点にある。つまり、トイレを通って浄化施設に送られた汚物が、最終的にどこにどう処分されるべきなのか、またそれが安全なのかどうかという点などについて、まだほとんどの国民は説明を受けていないと感じているのだ。さらに、高レベル放射性廃棄物以外にも、線量が低い低レベル放射性廃棄物(例えば原子力発電所の日常作業で消費される作業服などから、廃炉の際に出る解体構造物など)も存在し、その処分についての課題もあるが、本稿では最近国が前面に立って解決の方向を見出そうとしている高レベル放射性廃棄物の問題に絞る。

高レベル放射性廃棄物の地層処分とは


 高レベル放射性廃棄物の処分方法については、1950年代ごろから米国や国際機関などの検討が行われた。この間、処分方法の選択肢としては、宇宙処分や海洋処分などが検討されたが、前者はロケットの失敗のリスク、後者は国際条約上禁じられていることなどの問題もあり、地層処分が最も現実的で有望な方法だとされている。

 よくある誤解は、高レベル放射性廃棄物は長期間にわたって人間が「管理」しなければならないが、そんな長期間管理することは不可能だというものである。実は、「地層処分」とは、逆に、長期間にわたる人間の「管理」という概念を否定するものなのだ。

 むしろ、人間は「自然」に比べて信頼度が低い。戦争もすれば、テロも起こす。また資源の探索にも余念がない。こうした予測不能な人間の行動に高レベル放射性廃棄物の「管理」を任せるのはリスクが極めて高い。

 したがって、長期間にわたって安定している地層の中に高レベル放射性廃棄物を定置・埋設することによって、人間と接近可能な生物圏から「隔離」することが地層処分の本質なのだ。最終的には地下水などに放射性物質が溶け込んで自然界に放出されることがあっても、当該放出される量が、自然界に存在する放射線量との相対的な比較などの基準で十分安全だと評価される程度に抑えられるよう、廃棄物のパッケージングの工夫や地層の選定を行うこととする、という考え方である。

現世代の責任か、未来世代に先送りするのか


 昨年4月に閣議決定されたエネルギー基本計画や総合資源エネルギー調査会放射性廃棄物WGなどでは、可逆性や回収可能性を担保しつつ地層処分を進めること、国が科学的に適性の高い地域を示すこと等が盛り込まれた。前者は、将来新しい技術が開発されたら、施設の閉鎖前であれば安全性を確認した上で、ガラス固化体を回収し、別の処分方法をトライする選択肢を未来世代に残すという考え方だ。
最終処分関係閣僚会議で挨拶する菅義偉官房長官(右から2人目)=5月22日、首相官邸(酒巻俊介撮影)
 この考え方は一見もっともらしく感じるかもしれない。学術会議も、合意形成に至るまでは一定期間、暫定保管を行うことにしたらどうかという提言を行っている。これも未来世代への配慮という趣旨だ。しかし、筆者は、本当にそれでいいのか?という強い疑念を持っている。こうした「未来世代への配慮」は、実は「現世代の怠慢」の同義語になりかねない。

 そもそも一旦処分作業をし始めれば、新たな技術開発に誰がどの程度の規模で投資を行うインセンティブを持つのか。暫定保管を最初から織り込んでしまえば、その保管期間が終了するまでの間の世代が、どうして政治的に難しい処分地選定を一生懸命やると考えることが可能なのか? そもそも暫定保管を決めた世代が、そうした政治的な困難を乗り越えることを諦めたがゆえに、「暫定保管」という概念に甘えただけではないのか。

 そうした点を考慮して、国際的には回収可能性を認めることには相当慎重な意見が多い。上記の諸機関での検討に当たっては、こうした批判を未来世代から受ける可能性を十分に議論したのだろうか、疑問である(そもそも、メディアは「学術会議」をアカデミア全体の代表組織のように報道することが多いが、専門的な学術的検討を行う場=学会ではなく、政治的・社会的存在としては、ある種のアドボカシー団体のように機能する場合もあることに留意する必要がある)。

適地選定プロセスの加速化が必要


 もう一つの「科学的に有望な地域」を国が選定して示すという点についてだが、これは数年前に高知県の東洋町が調査対象として名乗り出た際、地元で政治的に大きな問題となり、最終的にその当時の町長が選挙で破れるということがあったことを受けて、これまでの自治体の主体性に配慮した「公募方式」では、政治的リスクが大きすぎて物事が前に進まないという反省に立った方針転換だ。

 ただ、科学的有望地は、実際には1億年は動いていない地層は日本には多くあり、火山や活断層も避けることは段階的調査を行う中で可能となるため、相当の幅広い範囲になることが見込まれる。実際には、そこから絞り込んでいくことが求められるわけだが、そのプロセスにおいてはやはり公募方式でもあった政治的リスクが生じることは避けえない。

 結局、原子力発電による電気によって恩恵を被ってきた現世代が、腰を据えて最終処分地選定に向けてのプロセスを断固として進めるのだという強い政治的意思が、政権及び政権与党に必要とされるのである。地層処分についての正しい知識の説明、科学的な情報の頒布など基礎情報を、これまで以上に国民に伝える努力を行うとともに、処分地選定プロセスを一歩一歩進めていくことが重要だ。適地選定までには、3段階の法定調査(概要、精密、詳細実証)を経る必要があり(20年程度)、そのうえ操業開始までの施設建設にはさらに10年程度は見込まれている。それゆえ、明日明後日の問題ではないにせよ、これまで後回しにしてきたこのプロセスを加速的に進めること、これは待ったなしである。