[チャイナ・ウォッチャーの視点]「南京事件」を考える(後篇)

有本 香 (ジャーナリスト)

 12月末に拙稿前篇が掲載された後も、「歴史認識」をネタとした中国・韓国の日本攻撃は沈静化するどころか、烈しさを増す一方である。その「戦場」は東アジアから欧米、世界50カ国へと広がり、とうとう国連の安全保障理事会の場にまで及んだ。中国の国連大使は、わが国総理を呼び捨てにして批判するという非礼の挙に出、この非難攻勢に、あろうことか北朝鮮の大使までもが加勢する事態となっている。

 このとき中国は、安倍総理の靖国参拝について、「反ファシズム戦争の勝利と、(第二次大戦の)戦後の国際秩序に対する挑戦だ」と非難したが、「反ファシズム戦争の勝利」とは、戦勝国、とくに米国が、第二次世界大戦の正当性をアピールする際に使う言葉である。

 「人類の敵であるファシストを倒し、ファシズムを終わらせるための正義の戦い」。この言葉によって、米国が犯した人類史上最悪の「人道に対する罪」といっていい広島、長崎への原爆投下も、それに次ぐ悪行と思しき東京、大阪など日本の都市への無差別爆撃も、すべて正当化されているのである。

中韓の「歴史カードによる日本叩き」


 古今東西を問わず、またわれわれの好むと好まざるとにかかわらず、歴史は勝者によって作られる。まさに勝てば官軍という理屈だ。中国・韓国が、日本への「歴史攻撃」――史実をねじ曲げてまで行なう悪質な攻撃――を止めない最大の理由はここにある。

 共産党が統治する現在の中国、大韓民国という二国はいずれも、第二次大戦時にはこの世に存在しなかった国家である。当然、日本は中華人民共和国とも、韓国とも戦った事実はない。それどころか当時、朝鮮半島は日本が統治しており、朝鮮の人々は日本国民として連合国と戦った同胞であった。ゆえに靖国神社には、戦後「戦犯」とされた人を含む多くの朝鮮半島出身者が祀られている。

 ところが、韓国側のいう「正しい歴史認識」のなかでこの基本的事実は無視され、近年はより激しく歪められてもいる。一方、日本においても「朝鮮半島の人々はかつて同胞だった」という事実を忘れてか知らずか、低次元な「嫌韓」にひたすら励む人々もいる。日韓両国において、正しい歴史認識どころか、歴史認識の倒錯が起きていることは両国の国民にとって大きな不幸といえよう。

 中国、韓国の二国は、戦後の「官軍」のご都合により、「戦勝国」の一員であるかのような立場を与えられた。そのため戦後70年近くたつ今日でも、日本をやり込めたいとなればいつでも、「勝ち組仲間」の米国、欧州の国々に同調を呼びかけ、「歴史カード」で目一杯、日本を叩きのめすことができると思っている。これまさに戦後レジームの一端である。

 奇しくも今般はその「歴史カードによる日本叩き」を、まさに「第二次大戦の戦勝国クラブ」ともいうべき国連安保理の場で行なって見せた。具体的言及こそなかったものの、南京事件もまた、こうした「勝者米国の正義」「戦勝国史観」と深く関わる件である。

米国の高校生への「反日教育」のテキスト


 前篇で、いわゆる「南京事件」のポイントを整理した。これらのポイントは同時に、「南京事件」に関する疑問点でもある。昨年2月、「(いわゆる)南京事件はなかったのではないか。通常の戦闘行為はあったが」と発言した名古屋の河村市長は、発言の前も後も一貫して、「南京の件について中国側とオープンに議論したい。この問題が、いつまでも日中間に刺さった『トゲ』になっていることは日中友好のためによろしくない」と主張したが、筆者もまったく同じ思いである。
「南京大虐殺記念館」で開かれた追悼式典で献花する儀仗(ぎじょう)兵=2014年12月13日、中国・南京市(新華社=共同).
「南京大虐殺記念館」で開かれた追悼式典で献花する儀仗(ぎじょう)兵=2014年12月13日、中国・南京市(新華社=共同).
 私たちはつねに、過去の事実、史実に対し誠実に向き合うべきである。76年前の南京で、通常の戦闘行為や、一部の不届き者による暴挙ではなく、日本軍による「虐殺」が行われたという動かしがたい証拠があるのなら、ぜひとも知りたいと思うし、そのうえで、現代の日本国民としての処し方を考えたいとも思う。しかし、本件はわずか70数年前のことにしては、不明瞭、不可解な点が多過ぎる。不明瞭・不可解な点が多いゆえに、南京事件は容易に「膨張」させられてしまう。日本にとって忌々しき最近の一例を挙げよう。

 河村たかし氏は、名古屋市長就任後にロサンゼルスの一部の高校で、「南京虐殺」の記述を含む歴史副読本が使われていることを偶然知ったという。筆者の手元にはそのコピーがあるが、次のように記述されている。

「南京大虐殺」――南京の市民が、戦争の激情と人種的優越感に煽られた日本軍の犠牲となった事件――は、戦争の恐怖を実証した出来事である。2カ月の間に、日本兵は7000人の女性を強姦し、数十万人の非武装の兵士や民間人を殺害し、南京市内の住宅の3分の1を焼き払った。40万人の中国人が、日本兵の銃剣の練習台にされたり、機関銃で撃たれて穴に落とされたりして命を落とした。(Traditions & Encounters --- A Global perspective on the past)

 くだんの「南京大虐殺記念館」で、30万と宣伝している犠牲者が、このテキストのなかでは40万人に“増えて”いる。虐殺されたという人数が増えているだけではなく、7000人もの女性を強姦したことにもなっている。河村氏はこれを「どえりゃあこと」といい、「米国における教科書問題」と表現した。

 この40万人説のネタ元は何か、といえば、本稿前篇で触れた故・アイリス・チャン著のベストセラー本『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』と思われる。

「反日教育」テキストのネタ元は?


 ここで、アイリス・チャンについても触れておこう。中国系アメリカ人女性のチャンは、20代で作家デビューした後、爆発的ヒットとなる『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』を著した。ヒット後は、「歴史家」「活動家」として一躍メディアの寵児となり、90年代の終わりには、駐米日本大使とテレビ番組で歴史討論を繰り広げてもいる。

 昨今、中国が世界50カ国で日本のネガティブ・キャンペーンを繰り広げるなか、現地駐在の日本大使や領事が反論、応戦しているが、この種の活動は90年代にも行われていたのである。折しも、当時、歴史問題を最強の「対日カード」と位置づけていた国家主席・江沢民の来日とも呼応して、このときのチャンは、大使に「日本は中国に酷いことをしたにもかかわらず謝罪をしていない」と迫った。大使は過去の日本の「お詫び」の例を挙げ、真摯な反論に努めていたが、テレビを見ていた米国民には「悪行を働きながら謝罪のたりない日本」との印象だけが残ったことだろう。

 このようにスポットライトを浴びていたチャンだったが、次第に彼女の本の内容の信憑性が疑われ始める。抗議等が相次ぎ、それが原因か否かは不明だが、彼女は精神を病み、後にピストル自殺をした。死後、中国系や他の機関との関係も取り沙汰されたが、それでも、『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』がアメリカ世論に与えた影響は大きかった。

 日本との戦争について、パールハーバー以外には多くを知らなかった何百万もの米国人に、旧日本軍が「いかに悪逆非道だったか」を知らしめ、それを懲らしめた米国はやはり正しかったのだと思わせた。チャンの死すらも世間から忘れられた今となって、彼女の著書のなかの「40万人説」が形を変えて蘇り、独り歩きして米国の学校現場にばら撒かれている。これは日本にとって実にゆゆしき事態である。

米国で展開されている工作は「慰安婦像」だけではない


 副読本はカリフォルニア州内の高校で配布、使用された。採択された背景の詳細は取材中だが、州内の成績優秀な生徒の通う高校群にて使用されたことは確かである。

 副読本の著者は中国系ではない。この著者は、過去にべつの歴史テキストを執筆した際、その内容についてユダヤ系団体からクレームを受けたこともあると聞くが、著者がどうであれ、日本にとって頭の痛い点は、この副読本によって、前途有望な米国の若者たちに、「日本は残虐なことをした」「日本人は残虐」ということが、その根拠も薄弱なまま刷り込まれてしまったことにある。現に、河村たかし市長は、この副読本で学んだという日系人の若者から、「日本は中国で残虐なことをしたのでしょう?」という質問を受けたという。

 いま盛んに報じられる世界各地や国連でのやり合いや、韓国勢による「従軍慰安婦像」の建造はむろん大問題だが、何年も前から、私たちに見えないところで着々とこうした「米国人洗脳」工作が進められてきたことのほうを筆者はむしろ深刻に捉えている。

 ところで、「慰安婦」については日韓条約をもって解決済みというのが日本政府の基本的スタンスである。とはいえ90年代には、不適切な報道を絡めた日本の大手メディアと韓国側との連携による激しい攻勢に抗しきれず、「河野談話」が発せられ、「アジア女性基金(略称)」なる民間団体を通じた個人への「償い」を行なう羽目に陥り、国内外に取り返しのつかない誤ったメッセージを発信してしまった。

 日本はこの轍を2度と踏んではならない。それは単に日本のためだけでなく、日韓条約締結によってつくられた戦後秩序、国際秩序を自ら壊す行為につながるからだ。

「南京事件」の責任を引き受けて逝った「戦犯」


 南京事件に話を戻そう。戦後行われた「極東軍事裁判」において、南京虐殺の首謀者だとされ絞首刑に処せられた、松井石根大将(1878~1948)という人がいる。1937年、日中戦争が起こると、松井大将は、すでに予備役となっていたにもかかわらず、60歳を前にして現役に復帰させられ、その2カ月後、破竹の勢いで首都南京を攻略し入城、国民的スターとなった人物である。

 松井大将は、いわゆる「大アジア主義」の支持者であり、今でいう「親中派」であった。ただし、当時の「親中派」とは、中国には一切もの言わない今日の親中派とはかなり違う存在である。

 松井には、「親中派」らしいエピソードがいくつもある。南京戦に向かう途中、日本軍の戦死体が埋葬され、戦場清掃を済ませている様子を見て参謀を呼びつけ、「日本兵の死体だけを片付け、支那兵の戦死体を放置したままにするとは何ごとか」と叱りつけたという話。さらに、南京入城の翌年には復員し、熱海で隠遁生活に入ったが、このとき、日支双方の犠牲兵をどうやって弔うべきかを知人に相談し、結局、「日支双方の兵士の血が沁み込んでいる」上海の土を取り寄せて観音像を作り、両国の犠牲兵を合祀し、肺炎を患っていた身で毎朝自ら観音経をあげていたというエピソードもある。

 中国人をそのように身近に思い、軍規にもとくに厳しかったといわれる松井大将が、南京で数十万の一般の中国人を虐殺したというのもなかなか信じ難い話であるのだが、日本が戦争に敗れた後、松井大将は、極東国際軍事裁判において大罪人とされた。

 この南京虐殺と松井について、当時の中華民国のトップだった蒋介石がまったく反対の2つのことを言い残している。

 1970年代に、日本の新聞は、蒋介石が自身の回顧録のなかで南京事件について次のように書き残したと報じた。南京陥落からひと月以上後の1938年1月22日付の日記で、「倭寇(日本軍)は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている(中略)。いわゆる南京大虐殺である。戦闘員・非戦闘員、老幼男女を問わない大量虐殺は2カ月に及んだ。犠牲者は30万人とも40万人ともいわれ……」と記したというのである。

 ところが、1966年、日本の新聞記者ら5人が岸信介の名代として台湾を訪問した際、蒋介石は、松井石根の名前を聞くと顔色を変え、「南京に大虐殺などありはしない。松井閣下には申し訳ないことをした」と言ったとも伝えられている。

 これらのことと、拙稿前篇で紹介した国民党の史料等を合わせてみると、南京虐殺そのものが虚構と受け取れなくもない。が、仮に松井大将が冤罪であったとしたら、これは日本、中国というレベルでなく、世界中の歴史認識をひっくり返すほどのこととなり得る。

 むろん、当時の日本軍兵士のなかに不適切な行為に及んだ者もいた。捕虜への虐待、市民への暴行、殺害、掠奪もあったが、その種の行為に及んだ者の多くは軍法会議にかけられ処分された。こうした一部の暴挙を思い、松井は黙って刑に処せられたとの話も残る。

 戦勝国が主導する法廷で裁かれ、虐殺を指揮した人物との「汚名」を着て絞首刑台に上がる際、松井は、東条英機ら他の戦犯と共に、「天皇陛下と大日本帝国万歳」と三唱して逝った。この事実すら、いまの日本人のなかに知る人は少ない。

歴史認識とは何か?


 戦争とは、最低でも2国以上が関わって起こる事態である。戦後になって、「歴史」としてそれを振り返るとき、勝者は「栄光」と認識し、敗者は「屈辱」と受け取る。つまり、両者の歴史認識が自然に一致することはほとんどあり得ず、仮にぴたりと一致しているとすれば、それは勝者の側の歴史認識が敗者を圧倒したからに過ぎない。

 戦後70年がたとうとするいま、私たちに求められているのは、歴史の事実に誠実に向き合う姿勢である。日本政府が、急カーブを切るようにこれまでの歴史認識を変えることはむずかしいが、国民レベルにおいて、「実際に何があったのか」を知る姿勢をもつことはひじょうに重要である。その動きに対し、あらぬところから、「(歴史)修正主義者(revisionist)」なるレッテルを貼られることがあったとしても、私たちには事実を知る権利が厳然とある。こう考える日本国民は近年増えてきている。

 一昨年2月の「南京発言」後、大バッシングに晒されたとはいえ、河村たかし名古屋市長が政治生命を失うこともなく、その後、再選まで果たしたこともその変化の表れだろう。1994年、ときの法務大臣、故・永野茂門氏が、「南京大虐殺はでっち上げだと思う」と発言した際に、マスメディアから人格攻撃まで含む総攻撃を受け、就任からわずか11日で辞任したときのことを思えば、まさに隔世の感がある。

 これは、河村氏がメディアと周囲からの「発言撤回圧力」に屈しなかった結果ではあるが、18年前と比べ、メディアの責め口調がトーンダウンしていたのもまた明らかだった。理由は、この18年で日本国民の心理が大きく変化したためであろう。河村氏の「南京発言」後、名古屋市役所には市民からの電話、FAX等が多く寄せられたが、その約9割は「河村がんばれ」であった。こうした日本国民の心理的変化を生んだおもな要因は、近年、中国、韓国が執拗かつ露骨に行なう、史実や現状を無視した「日本叩き」、そして領土の侵犯にある。

 長きにわたって日本の世論に対し効果絶大だった中国の「反日カード」は、いまやその効力を失いつつある。それでも中国は韓国と連携し、戦勝国が主導する国際世論に訴える攻勢を強めており、それは従来、自国民の不満をそらす手段ともなってきたが、果たしてその効力もいつまで続くのか。依然、敗戦国という厳しい立場に置かれている日本ではあるが、世界のパワーバランスも変わりつつあるなかで、今後、「事実」に基づく適切な反論をしていくために、国内の体制をまず整えることが求められている。