2016年NHK大河ドラマ「真田丸」で俳優、堺雅人(41)演じる主人公が真田信繁。「幸村」のほうがなじみ深いかもしれないが、「幸村」は後年に講談や小説などで使われて一般的になった名であり、本稿では「信繁」と呼ぶことにする。

 真田昌幸の次男として生まれ、主君の武田氏の滅亡後、真田家は織田信長に恭順して所領を安堵(あんど)されたが、その後は上杉氏、北条氏、徳川氏という3者の争いに巻き込まれる。

 真田家は豊臣秀吉に臣従して自立。信繁は大坂城の秀吉のもとに人質として差し出された。後に秀吉の側近だった大谷吉継の娘を正室に迎え、豊臣姓を下賜されるなど、秀吉には厚遇されたらしい。

 秀吉の死後、関ヶ原の戦いでは、父・昌幸とともに西軍についた。一方で、兄の信之は東軍について敵味方に分かれたが、これは戦いがどちらに転んでも真田家を存続させるための策であったことは有名だ。

 上田城に籠った信繁は、東軍の徳川秀忠の大軍を迎撃して奮戦。結果、秀忠軍を関ヶ原本戦に遅参させるという大活躍を見せる。しかし西軍が敗北したため、リストラのピンチに陥る。それでも信之と、しゅうとである本多忠勝の取りなしによって死罪を免れ、信繁は父とともに紀伊国九度山への配流を命じられた。

 14年間の蟄居(ちっきょ)生活を強いられ、父は老衰で死んだ。経済的にも困窮し、「髪もひげも真っ白で歯も欠けてしまった」と老化を嘆く手紙も書いている。
イラスト・奈日恵太
 それでも、信繁にとって最後に一花咲かせるチャンスが巡ってきた。徳川と豊臣の関係が険悪化し、豊臣家は浪人を集めて徳川への抗戦を決めたのだ。信繁は決死の脱出を敢行して大坂城へ向かった。大坂冬の陣が開戦すると、信繁は「真田丸」なる出城を築いて敵兵を蹴散らし、徳川方の先鋒(せんぽう)隊はたちまち撤退。信繁の武名は天下にとどろいたのである。

 両軍の間で講和が結ばれたが、家康は信繁に寝返りを持ちかける。「信濃一国を与える」という好条件を出されても、信繁の心が揺らぐことはなかった。講和が結ばれると、大坂城は堀を埋められて無防備な城に成り下がり、真田丸も跡形もなくなってしまった。

 やがて大坂夏の陣が開戦。死を覚悟して決戦に臨んだ信繁は、家康の本陣に突撃した。真田隊のすさまじい勢いに圧され、家康も一時は自害を覚悟したといわれる。しかし、兵力で勝る徳川勢に盛り返されてさすがの信繁も退却。最後は安居神社の境内で休んでいたところを敵兵に発見されて討ち取られ、見事な最期を遂げた。享年49。

 戦いにこそ敗れたものの、「日本一(ひのもといち)の兵(つわもの)」とまで賞された信繁の勇名は、後年の創作物によって現代まで語り継がれている。(渡辺敏樹/原案・エクスナレッジ)