木走正水


 固い時事ネタが続きましたので、今日は軽めなコラムということで、肩の力を抜いて読み流していただければ幸いです。

 BLOGOSの記事で、作家の村上春樹さんが「原子力発電所ではなく、核発電所と呼びませんか?」とネットで呼びかけていることを知りました。

川名 ゆうじ

2015年04月06日 12:01

「原子力発電所」ではなく、「核発電所」と呼びませんか? 村上春樹さんが呼びかけ

http://blogos.com/article/109523/

 ソースはこちらのサイトですね。

村上さんのところ

これから「核発電所」と呼びませんか?

http://www.welluneednt.com/entry/2015/04/03/173000

 なるほど、確かに提案されていますです。


これから「原子力発電所」ではなく、「核発電所」と呼びませんか? その方が、それに反対する人々の主張もより明確になると思うのですが。それが僕からのささやかな提案です。

 まあ、確かに「原子力発電所」は英語で"Nuclear power plant"ですから直訳すれば「核力発電所」ですから、「核発電所」を呼称としてもよろしいかもですが、そんなこといったら、広島や長崎に投下された「原爆」も「原子爆弾」="Atomic bomb"でありますが、よりリアルに「核爆弾」="nuclear bomb"でもよろしいのかとなります。

 でも、日本語では「原子力発電所」のほうが略して「原発」ですから「原爆」に語呂があってよりおどろおどろしいと思うのですが、いかがでしょう。

 さてBLOGOSのコメント欄でも批判的意見が大半なのですが、最初のコメントで「こうして村上も大江化するわけだ」との指摘があり、思わず我が意を得たりと、膝を叩いて、お茶吹いてしまいました(苦笑)

 今回はこのコメントをパクらせていただき、この深遠なるテーマ「村上春樹が大江健三郎化する理由」を熱く考察したいのであります。

 ・・・

 実は当ブログでは「村上春樹の大江健三郎化」は6年前から注目していたのであります。

脱原発法制定全国ネットワーク設立記者会見で発言する作家で
代表世話人の大江健三郎さん=2012年8月22日、衆院第1議員会館
 思えば「村上春樹の大江健三郎化」ですが、ここ最近顕著なのでありますが、ひとつのきっかけは、六年前の村上春樹「エルサレム賞」受賞スピーチに見ることができます。

 少なからずの批判や反対を押してわざわざイスラエルの授賞式に参加した村上氏は、当時イスラエルのおこしたガザ攻撃への批判をおこなうのです。

 この村上春樹さんのエルサレムスピーチでありますがタイトルは「壁と卵」、もちろん、当時国際的批判を浴びていたイスラエルのガザ攻撃を暗喩しているのであります、さすがノーベル証候補と噂される世界的人気作家であります、美味い表現をいたします。

 村上氏は「私は常に卵側に立つ」、「その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます」と、強者より弱者の立場に立つことを強調されています。

 それまであまり政治的主張を公(おおやけ)にしてこなかった村上氏の政治的主張を自ら発信するという「大江健三郎化」の始まりであります。

(参考当ブログ過去エントリー)


2009-02-23「壁(システム)と卵(人間)の共生」~村上春樹氏「壁と卵」スピーチからの一愚考

http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20090223 

 帰国すると、村上氏は『文藝春秋』2009年4月号で、独占インタビュー「僕はなぜエルサレムに行ったのか」を掲載、そこで村上氏が「ネット空間にはびこる正論原理主義を怖い」と強烈なネット批判をかまします、そして「あの村上春樹がネット批判」とネットがざわついたのであります。

 「人は原理主義に取り込まれると、魂の柔らかい部分を失ってい」くと村上氏はいいます。

 そして、シオニズムにせよイスラム原理主義にせよオウム真理教にせよ、それが宗教であれイデオロギーであれ、ある種の「原理主義」に魂を委譲してしまう人たちは、「原理原則の命じるままに動くようになる」ために、極めて扱いづらい危険な存在となっていくというのです。

 「ネット空間にはびこる正論原理主義」について、村上氏は1960年代の学生運動を持ち出して「おおまかに言えば、純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されていった。その結果学生運動はどんどん痩せ細って教条的になり、それが連合赤軍事件に行き着いてしまった」と述べておられます。

 村上氏がいう「ネット空間にはびこる正論原理主義」とは、「純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されて」しまうというわけです。

(参考当ブログ過去エントリー)

2009-03-15 ネット日和見主義者~当日記はD層(穏健右派)であります

http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20090315

 このあたりまでは、しかし、大江健三郎氏のような「九条を守れ」とか「原発即刻全面廃止」とか政治的自己主張をむき出しにはしていません、村上氏らしいオブラードのように文学的修辞をも忘れていませんです。

 あれって思ったのは3年前です。

 当時、日本政府と中国政府が尖閣を巡って厳しい外交宣伝戦を国連において展開しているそのときに、日本政府の背後から、銃弾が炸裂するように、思い切り国益に反する発言が続けざまになされていました。

 その論陣に大江健三郎氏らに交じって村上氏が参戦していたので驚いたのであります。

「韓国、中国が、もっとも弱く、外交的主張が不可能であった中で日本が領有した」(大江健三郎氏ら識者)

「領土問題が国民感情の領域に踏み込んでくると、出口のない危険な状況を出現させる」(村上春樹氏)

「自分たちに問題がなくても相手が問題と言っていることを解決するのがトップの役割。そのようなことは言ってもらいたくない」(経団連の米倉弘昌会長)

 当時、当ブログでは「この3者に共通しているのは、日本社会の構成員でありながら日本社会を批判することを厭わない無責任なアウトサイダーだということ」と批判しています。

(参考当ブログ過去エントリー)

2012-09-30「利(益)は中国に有り」~尖閣で日本政府批判をする無責任なアウトサイダーたち

http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20120930

 そして今回の「これから原子力発電所ではなく、核発電所と呼びませんか?」発言です。

 もともとリベラル的立ち位置ではあったのですが、穏健リベラル派から正論原理主義的強硬リベラル派へと脱皮しようとしているのであります。

(※ここでは「リベラル」を厳密なその言葉の定義ではなく日本で一般化している左派の同義語として使用します)

 「村上春樹の大江健三郎化」であります。

 ・・・

 さて、左派にしろ右派にしろ、強硬派「正論原理主義」つまり「純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間」(村上氏)と穏便派「日和見主義」つまり「自分の言葉で誠実に語ろうとする人々」(村上氏)に分けることが可能です。

 保守・リベラル、強硬派・穏健派の関係を下の図式のように整理してみます。

■図1:イデオロギーと心情の分類


 4つの層ですが、A層はリベラル強硬派、B層は保守強硬派、C層はリベラル穏健派、D層は保守穏健派と分類できます。

 過激でときに攻撃的な正論原理主義者はA層(リベラル強硬派)とB層(保守強硬派)になり、穏健派はC層(リベラル派)とD層(保守派)になります。

 ちなみに当ブログの自己評価はC層に近いD層(保守穏健派)かなと考えてます。

 でこの表でおもしろいと思うのは、著者自身はD層(保守穏健派)と自己認識していますが、当然ながら隣接するB層(保守強硬派)とC層(穏健リベラル)とは、親和性があり、議論によっては隣の層の立場を取ることもしばしばながら、B層よりはC層の論説や考え方がすっきりくることが多いのです。

 つまりこの表の左右の移動はそれほど心理的ハードルは高くないことを自覚しています。

 いっぽう上下の移動はこれは心理的ハードルが高いのです。

 ところで、正論原理主義は「純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす」のが得意な傾向があり、実はA層とB層も親和性があって、ちょっとしたきっかけでウヨがサヨになったりあるいは逆が起こったりするようです。

 村上氏の指摘とおりバリバリの学生運動闘士がバリバリの企業戦士に転向したり、読売主幹のナベツネさんのように学生のとき共産党員だったバリバリリベラルが大新聞会長としてバリバリ保守論説を展開したりと、表の横方向のリベラルと保守のハードルは人にもよるのでしょうが、意外と高くない感じがします。

 ・・・

 さて、「村上春樹の大江健三郎化」であります。

 明らかに村上氏は「C層リベラル穏健派」から大江健三郎氏が属する「A層リベラル強硬派」への道を歩んでいます。

 上下の移動はこれは心理的ハードルが高いはずなのですが、村上氏はおそらく心理的にはかなり無理して自らの大江健三郎化を企てているように思えます。

 村上春樹はなぜ政治的立ち位置で大江健三郎を目指すのでしょうか。

 なぜか?

 当ブログはその答えを、ズバリ「ノーベル文学賞」獲得にあると邪推しております。

 これは当ブログだけの邪推ではありません。

 評論家で作家の小谷野敦氏は、過去になぜ大江がノーベル賞を受賞できて村上が毎回落選するのか、その理由の一つに作家の「政治的な立ち位置」を挙げています。

 「ノーベル賞委員会は、少し左寄りである」のだそうです。

  さらに政治的な立ち位置も関係している。小谷野に言わせると「ノーベル賞委員会は、少し左寄りである」という。たとえば、アメリカで初めてノーベル文学賞を獲ったシンクレア・ルイスや、授与されたが辞退したサルトルも、社会主義的だった。日本では保守派と見られる川端康成も「その辺はぬかりなく、戦後は平和主義の仮面をかぶり続けた。ノーベル賞をとってしまうと地金が出て、(略)以後日本ペンクラブは右寄りに」なったという。

 当時大江健三郎はペンクラブを一度退会しているのだが、その後またペンクラブが左寄りに戻ると、戻ってきて理事になっている。そして「1984年には反核声明を出すなどしているし、大江は原爆、沖縄などを問題視する平和主義者としてふるまい、ノーベル賞にこぎつけた」

(参考記事)

今年も落選!村上春樹はそもそもノーベル文学賞候補ではないとの説が!?

http://news.livedoor.com/article/detail/9344101/

 ・・・

 大江健三郎化を目論む村上春樹の狙いはズバリ、ノーベル文学賞獲得のためだと、当ブログは考えます。

 今回は 深遠なるテーマ「村上春樹が大江健三郎化する理由」を熱く考察させていただきました。

 え? どうでもいいって?

 長文失礼しました(汗

 ふう。



(木走まさみず)