黒古一夫(文芸評論家)

 10月5日から始まったノーベル賞ウイーク、すでに医学・生理学賞を大村智北里大学特別栄誉教授が、物理学賞を昨年に引き続き梶田隆章東大宇宙線研究所長が受賞し、「科学」分野における日本の基礎研究・応用研究が世界水準にあると証明され、日本中が歓びに沸き立っている。

村上春樹さんのノーベル文学賞受賞がかなわず、肩を落とす“ハルキスト”たち=2015年10月8日夜、北海道美深町
 そんな「科学」分野におけるノーベル賞フィーバーに拍車をかけたのは、昨夜(8日)結果が発表された文学賞である(受賞者はベラルーシのスベトラーナ・アレクシェービッチ)。2006年にノーベル文学賞受賞の登竜門と言われるチェコのフランツ・カフカ賞を受賞して以来、イギリス政府公認のブック・メーカー(賭け屋)によって毎年のように予想される受賞者の上位にランクされ、出版不況や純文学衰退説が流れる文壇や文学愛好者(特にハルキストと呼ばれる村上春樹の熱狂的なファン)、更には「明るい話題」を求めるマスコミが「今年こそ絶対に受賞する」と大きな期待を寄せるということもあって、「村上春樹、今年も落選」の報は日本中を駈け巡った。

 欧米以外の国々に暮らす作家がノーベル文学賞の候補者となる条件の一つに、その中心的作品のいくつかが英語をはじめとする欧米語に翻訳されていることがある、と言われている。その意味では、欧米各国語だけでなく中国語、韓国語、ベトナム語、スペイン語、トルコ語など約50カ国語に翻訳され、世界中に何千万人もの読者を持つ村上春樹が、毎年のようにノーベル文学賞の「候補」に挙げられてきたのは、先のフランツ・カフカ賞の後もエルサレム賞(イスラエル 09年)やカタルーニャ国際賞(スペイン 11年)などの国際的な文学賞を受賞していることも考えれば、当然と言っていいかも知れない。

 にもかかわらず、なぜこれまで村上春樹はノーベル文学賞を受賞できなかったのだろうか。村上春樹が『風の歌を聴け』(79年)でデビューして、『ノルウェイの森』(87年)で爆発的な人気を博するようになった直後の1989年に『村上春樹――ザ・ロスト・ワールド』(六興出版刊)を上梓して以来、同じ1970年前後の「政治の季節」を経験した団塊の世代(全共闘世代)に属する作家として、私は同伴者意識を持って村上春樹の作品を読み続けてきた。そして、2007年には2冊目となる『村上春樹――「喪失」の物語から「転換」の物語へ』(勉誠出版刊)を上梓し、今年の7月には35年以上にわたる村上春樹文学を総括し、併せて最近の村上春樹文学の方向性を見失ったような、あるいは行きつ戻りつするような「迷走」ぶりを批判した『村上春樹批判』(日中同時出版 アーツアンドクラフツ刊)を上梓した。そんな私から見ると、村上春樹の「落選」は、大騒ぎするようなことではなく、納得できるものであった。ノーベル文学賞というのは、「人気」ではなく、その文学がどんなメッセージを内包しているかが重要だ、と思っているからである。