つまり、何百万部も売れ、例えば中国での翻訳権が9800万円、韓国でのそれが1億数千万円であったと言われる『1Q84』(BOOK1~3 09~10年)の刊行から、発売1週間で百万部を売り上げたという『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(13年)や連作集『女のいない男たち』(14年)は「失敗作」だったと判断し、さらには「自伝的エッセイ」とされる『職業としての小説家』(今年9月)も、結局「自己弁解」に終始したエッセイではないかと思っていた私には、村上春樹のノーベル文学賞落選は「既定の事実」と言っていいものだったのである。

 その理由についての詳細は、拙著『村上春樹批判』を読んで頂くしかないのだが、ここでその根幹の理由について簡単に記しておけば、その文学的特徴として指摘されてきた「村上春樹の文学は、ポスト・モダン文学だ」という評価と関係しているのだが、明治の20年代に成立したとされる日本近代文学の根底に存在してきた「人間(個人)は、いかに生きるべきか」という問い、それはまた社会的・歴史的存在である人間の生き方を問うということでもあったが、村上春樹の文学にはそれが欠如しているのではないか、ということである。つまり、高度に発達した資本主義社会(都会)に生きる人間の「喪失感」や「疎外感」、「孤独感」、「絶望感」を描くことに成功し、若者を中心に世界中に多くの読者を獲得した村上春樹であるが、ではそのような「喪失感」や「孤独感」などを内に抱いて生きる若者たちに対して、村上春樹の文学はどんな「生きる指針・ビジョン」を示してきたのか、ただその文学世界に存在するのは現状を「消極的」に追認するだけのものだったのではないか、ということである。

 1994年にノーベル文学書を受賞した大江健三郎は、そのような村上春樹の文学的傾向について「村上春樹の文学の特質は、社会に対して、あるいは個人生活のもっとも身近な環境に対してすらも、いっさい能動的な姿勢をとらぬという覚悟からなりたっています。その上で、風俗的な環境からの影響は抵抗せず受身で受けいれ、それもバック・グラウンド・ミュージックを聴きとるようにしてそうしながら、自分の内的な夢想の世界を破綻なくつむぎだす」(傍点原文「戦後文学から今日の窮境まで」86年)と喝破していたが、この大江による(初期の)村上春樹文学の評価は、未だに有効性を失っていないと私は思っている。