TPPに対抗する中国

 TPPは世界経済の4割、貿易量の3分の1を占めるメガFTAである。WTOのドーハラウンドは長らく停滞しているが、世界の成長センターたるアジア太平洋地域でこれだけの規模のFTAが誕生するのは、貿易自由化にとって久々のブレークスルーと言える。 

 こうした中で、TPPに参加していない6割の国には一種の焦燥感が生じているだろう。韓国やタイはTPPへの参加を望むだろうし、台湾なども参加を検討しているはずである。実際にタイは、自動車産業などで日本企業のバリューチェーンの中核をなしている。それがTPPに入らないのでは、せっかくの関税削減のメリットを生かせないことになる。 

 あるいは欧州諸国は、アジアとの貿易で不利になることを懸念するのではないか。結果として、現在進行中の「日・EU」間のFTA交渉が加速することが考えられる。いわゆるFTAの「ドミノ現象」であって、ひとつの通商交渉の成果が他の交渉を加速するメカニズムである。今回のTPP合意が、世界全体の貿易自由化の誘い水となることを期待したい。 

 問題なのは中国の出方である。一時はTPP参加に関心を示していたし、2013年秋には上海自由貿易試験区を作って、国内の自由化に備える様子もあった。かつて朱鎔基首相が、WTO加盟をテコに国内改革を進めた時と同様の機運である。 

 しかるに最近の中国では、TPPを「西側が仕掛ける新たな経済冷戦時代の幕開け」と懐疑的に受け止める向きが多くなっている。あるいは、「自らを国際ルールに合わせることの難しさ」を自覚したのかもしれない。今はむしろ「一帯一路」計画などを通して、独自の経済圏をユーラシア大陸に広げようとしている。日米がTPPを使って「海のアジア」を統合するのなら、こちらは「陸のアジア」で経済圏を広げてしまおう、といった対抗意識があるのだろう。AIIBやシルクロード基金は、そのためのツールということになる。 

 ちなみに今月22~28日にかけて、安倍首相は中央アジア5か国を歴訪する予定である。中国側は、「こちらの勢力圏に、余計なちょっかいを入れに来たな」と陰謀論的に受け止めることだろう。 

 思うにインドネシア向けの高速鉄道を、中国がタダ同然で受注してしまったのも、アジアへの勢力拡大策の一環なのであろう。少しでも多くの国を味方につけるための「先行投資」(大盤振る舞い?)なのかもしれないが、その分のコストは将来、確実にプロジェクトの採算にのしかかる。かかる政治主導型のインフラ投資は、将来的に不良債権化するのではないか。これは「一帯一路」全体に通じる疑問点である。 

 TPP合意後のオバマ大統領は、「中国のような国にはルールは作らせない」と踏み込んだ発言をしている。何もそこまで中国を刺激しなくても、とは思うが、より多くの国が共有できる秩序は海のアジア(日米)と陸のアジア(中国)のどちらか。当面、アジアの多くの国は、両方にチップを張って天秤にかけるだろう。しかし「自由で民主的」で「法の支配に基づく」TPPには、本質的な比較優位があるはずである。 

米国議会はいつ批准できるのか

 さて、今後のTPP批准プロセスはどうなるのか。  TPA法案のお陰で、米国議会における議決はイエスかノーの二者択一となる。共和党が多数を占めているので、さすがに「ノー」とはならないだろうが、かといって早い時期に「イエス」という答えが出るほど生易しい情勢でもない。 

 TPAが定める「90日ルール」により、オバマ大統領がTPP協定にサインするのは合意から3か月後となる。つまり早くても年明け後になってしまう。オバマ大統領は、1月末に行われる任期中最後の一般教書演説において、議会に早期の批准を求めるだろう。が、2月になればアイオワ州、ニューハンプシャー州を皮切りに、予備選挙シーズンが始まってしまう。そうなったらTPP批准どころではなくなる。どうかすると、通商問題が選挙戦のテーマとして浮上するかもしれない。早目に両党の候補者が決まってくれれば、7月の党大会前後に議決のチャンスがあるだろう。が、もちろん保証の限りではない。 

 ちなみに現在の米議会は、「債務上限問題」「2016年度予算」「高速道路信託基金の財源」などの難題を抱えている。特に債務上限問題により、11月5日前後に連邦政府の資金はショートするかもしれない。「財政の崖」に予算案がからむ、という毎度お馴染みのパターンである。 

 ただしこの問題については、10月末の引退を宣言したジョン・ベイナー下院議長が、「置き土産」として妥協案を何とか通してくれる、という淡い期待がある。同時に下院議員も引退してしまうので、共和党内の強硬派も含めてもう怖いものは何もないからだ。 

 この秋の米議会がどういう結果に終わるにせよ、年明けの与野党は対決モードであろう。オバマ大統領と共和党の関係が、大きく改善していることは考えにくい。TPA法案を通した時点では、共和党はここだけは大統領に花を持たせるつもりであった。しかし、得てしてこういうときに相手を怒らせてしまうのが、オバマ大統領が以前から得意としてきたところである。 

 こうして考えてみると、TPP法案の審議に入るのは来年11月の大統領選挙後のレイムダック議会になってから、という公算が高そうだ。そうだとすると、それまでに米国に対していかに外からプレッシャーをかけるかが課題となろう。 

 ひとつは今年の暮れに中国主導のAIIBが動き出し、「アジアにおけるルール作りの競争」で米国が出遅れてしまう場合。以前から何度も書いている通り、「AIIB対TPP」は、経済の世界においては全く別物であって、本質的に競合する存在ではないのだけれども、政治の世界においては、一種の綱引き状態となっている。 

 この場合、日本の役割が重要になってくる。早期にTPP批准を済ませておき、5月のG7伊勢志摩サミットなどの場で米国に圧力をかける、というシナリオが考えられる。ところが日本も7月に参議院選挙を控えていて、簡単ではないだろう。 

日本も悩ましい批准プロセス

 もともと安倍内閣は、「TPPは7月のハワイ閣僚会議でまとまる」と思い込んでいた気配がある。それであれば、90日ルールがあってもこの秋には署名が済むので、臨時国会をTPP国会にする、という段取りが可能であった。同時に補正予算で農業対策費を打ち出せば、年内に問題を片づけられる、という読み筋である。 

 ところが批准は、年明けの通常国会にずれ込むことになった。最初は2016年度予算を審議することになり、3月末までに予算が仕上がった後にTPP法案を、ということになる。それでは7月の参議院選挙の直前に、微妙な話をしなければならなくなる。さて、どうしたらいいのか。「年初からTPPの審議に入り、予算案の前に仕上げてしまう」という離れ業も考えられるが、いささかトリッキー過ぎよう。 

 それ以前に気になるのは、足元の景気である。このところ8月の鉱工業生産、機械受注、9月の景気ウォッチャー調査など、景気の悪化を示す指標が相次いでいる。7-9月期の成長率は、2四半期連続のマイナス成長となるかもしれない。どうやら中国経済の減速が、予想以上に効いている感じである。 

 先日発表されたIMFの「世界経済見通し」(WEO)10月版は、3か月前に比べて以下のように見通しを下方修正している2。 

○World Economic Outlook
*()内の数字は前回7月発表分との差異
        2014年          2015年         2016年
世界経済   3.4%            3.1% (-0.2)     3.6% (-0.2)
日本経済   -0.1%           0.6% (-0.2%)   1.0% (-0.2)
貿易量     3.3%           3.2% (-0.9)      4.1%(-0.3)
石油価格  -7.5%           -46.6% (-7.6)     -2.4% (-11.5)


 「世界経済も貿易量も前年比3%の伸び」とは前代未聞の低水準であって、まさしく「スロー・トレード」が問題の根幹にある。 

 前号でも触れた通り、安倍首相はこの秋に「安保モードから経済モード」への再転換を図っている。ただし景気後退局面に入ってしまうと、その後の政策運営は一気に難しくなるだろう。昨年は解散・総選挙で一気に雰囲気が変わったが、同じ手はもう使えない。 

 そうした中で、TPPの批准をどう進めるか。経済と安保の両面にまたがる問題であるだけに、扱いが悩ましいところである。 

(公式ホームページ『溜池通信』より2015年10月9日のReportを転載)