竹中平蔵(慶応大学教授)


 環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉が大筋合意に達した。財貿易の関税引き下げに加え、投資・労働・知的財産など31項目の統一ルールを作る大作業であり、詳細は明らかではない。また来年初めの署名まで、細部の詰めが難航することもありうる。しかし、それを前提としながらも、TPP交渉の合意成立を歓迎したい。これを好機と捉え国内改革の梃子(てこ)にすることが求められる。

日米ともに経済面での受益者


 今回の合意は、3つの視点で前向きに評価される。第1は交渉が極めて速いスピードで進められたという点だ。日本が交渉参加を決めたのは2013年3月、実際に参加したのは7月だ。従って参加からわずか2年3カ月で交渉が妥結したことになる。日本国内では、交渉に参加するかどうかで実に2年の時間を費やした。安倍晋三政権になってすみやかに交渉参加を決め、タフな交渉を短時間で進めたことは評価されてよい。

TPP交渉が閣僚会合で大筋合意し、共同記者会見する甘利明TPP担当相(左から3人目)ら各国代表=10月5日、米アトランタ(共同)
TPP交渉が閣僚会合で大筋合意し、共同記者会見する甘利明TPP担当相(左から3人目)ら各国代表=10月5日、米アトランタ(共同)
 第2に、TPPは日本にとって経済面でのメリットをもたらす。経済効果をめぐっては、当初内閣府のプラス効果試算と農水省のマイナス効果試算の違いが話題になった。しかし、自由貿易の促進が“マクロ的に”プラスの経済効果をもたらすことは疑いようがない。交渉過程では日米の利害対立も話題になったが、間違いなく両国ともにTPPの受益者である。

 日本の場合、農業への被害が議論される。過去のオレンジ、サクランボの自由化なども、その度に国内産業が崩壊するという意見があった。しかし結果は、より競争力の高い作物が作られるようになった。また、ISD条項(国家対投資家の紛争処理条項)を懸念する声もあるが、日本はすでに相当の国とISD条項を含む投資協定を締結している。競争条件に関する国内法が整備されている国では、こうしたことは大きな問題にならないというのが常識だ。

 一方で、公的部門の調達ルールなど、日本は十分整備されているが、アメリカでは州政府ベースまでこれが徹底されてはいない。新興の諸国ではほとんどルールがない国もある。TPPによって日本の建設産業など、今後のアジア展開に大きなチャンスが生まれる。

 また日本の場合、コメが手厚く保護されてきたが、今回はアメリカに年間7万トンの無関税輸入枠を設け、一方でアメリカの自動車部品輸入関税については87%が撤廃されることになった。問題は残るが、一つの現実的妥協といえる。

自由化交渉の重要な基準に


 評価される第3の点は政治的な意義だ。自由貿易を進めるにあたって、これまでは2国間自由貿易協定(FTA)がこの地域の主流となってきた。もっとも活用した国の一つが韓国であり、一方で日本はFTAに乗り遅れてきた。とりわけ日本では経済大国アメリカとの自由貿易に対する期待が高まった。しかしアメリカが2国間FTAから多国間協定に重点を移すなか、日本にとって唯一の現実的選択肢がTPPだったといえる。

 とりわけTPPは国内総生産(GDP)ベースで世界の4割を占めることから、太平洋地域における今後の自由化交渉の重要な基準になると考えられる。ここには中国が含まれておらず、日米の価値観を反映したこのTPPがリードする形で、今後の自由化に中国を巻き込んでいくことになる。

 日本にとって重要なのはここからだ。政府間で合意された内容について、各国は国会で「批准」する手続きをとらねばならない。日本の場合は交渉参加までに与野党を巻き込んだ議論を行っているので、状況はある程度見通せる。

 しかしアメリカでは、批准の過程で議会が相当にもめることも予想される。知的財産権で、アメリカはオーストラリアなどの要求でかなり譲歩したという見方もある。アメリカ国内でこれが認められないと、TPPは文字通り絵に描いた餅に終わる。

「アベノミクスの支柱」


 日本においては、TPPを梃子に国内改革を進めることが重要になる。昨年1月のダボス会議の場で、安倍首相は「TPPはアベノミクスの支柱」と述べている。その趣旨はまさに、成長戦略の一丁目一番地である規制改革を進める上で、TPPという外部からの健全なプレッシャーが大きな役割を果たす、ということであろう。

 その意味で筆者としては、TPPの正式調印を待つことなく臨時国会を開き、TPP対応のための改革推進と必要な補正予算の編成を期待したい。合意の詳細が明らかでないため、制約はあるがこれを国民に開示するという意味合いも大きい。国内ではGDP比マイナス1・7%の需給ギャップが存在し(内閣府試算)、対外的には中国経済の減速が懸念される。こうしたマクロ経済管理の視点とTPP対応型国内改革を結びつけ、有効な政策論議を期待したい。

 懸念されるのは来年の参院選を意識して安易なバラマキ政策が行われることだ。TPPが日本経済にメリットをもたらすかどうかは、それと整合的な改革を進められるかどうかにかかっている。

(たけなか へいぞう)