鳥取市で行われた戦艦「武蔵」最後の艦長、猪口敏平(としひら)中将の四男、勇さん(76)の講演は、いよいよ今年3月にフィリピン中部・シブヤン海で船体が発見された話に突入する。実は5年ほど前から調査チームから接触があったが、遺族として複雑な気持ちを抱いていたことを明らかにした。そのうえで、「運命的な発見だった」と指摘し、調査チームとの裏話なども披露した。(坂下芳樹)

「おやじは沈んだ」と聞いた兄も戦地で散った…


戦艦武蔵の艦上(Wikimedia Commons)
 戦艦「武蔵」が、シブヤン海で米軍機の攻撃を受けて沈んだのが、昭和19年10月24日でした。そのとき叔父(航空参謀の猪口力平氏)はフィリピン・セブ島で指揮を執っていて、そこにたまたま長兄(海軍所属の猪口智氏)が戦闘機6機の隊長として岩国(海軍航空隊)から送り込まれてきました。そして、指揮官に報告に行こうとするとき、叔父とばったりすれ違いました。

 兄の耳には「武蔵が沈んだ」という情報が入っていまして、聞くともなく「おやじは沈んだのかなあ」と独り言を言ったらしいんです。すると、叔父が「沈んじゃったなあ」。兄は「そうか」と言って別れました。

 11月2日にフィリピン・レイテ島のタクロバンに、アメリカの飛行機80機が待機しているという情報が入り、翌日、それを撃滅しにいく航空隊が編成されました。兄はそのメンバーに入っていませんでしたが、叔父と一緒に指揮所で(航空隊の)出撃を見送っていたのに、突然、姿を消したそうです。

 次に見たときには、(兄は)戦闘服を着て飛行機に駆け寄っていました。「俺が行くから…」と乗っているパイロットに声をかけて下ろしました。兄の方が上官でしたから。それで乗っていって、結局は敵のレーダーにひっかかりやられてしまいました。

 おやじ(猪口敏平中将)と兄に関しては、その程度の思い出しかありません。