新井克弥(関東学院大学文学部教授)


【プロレス編】


 あいかわらず古舘伊知郎はイケていない。報道ステーションでの彼の態度は、ひたすらゴーマンで、中身がカラッポという印象。かつての名調子である例の「おーっと!」に代表される古館節もまったくやらないし(ウリはこれのはずなのだが?)。だから、そのイメージはきわめて悪い(にもかかわらず、そこそこの視聴率を上げているというのも面白い)。

 今回、僕は「古館は『権威主義者』=強いものにはすり寄り、弱いものを侮蔑・切り捨てることによって、自らの権威をグレードアップさせていこうとする志向の持ち主=ゴーマンと卑屈の二元論者」という前提で、古館のパフォーマンスと、この権威主義について考えてみた(ただし、これは古館の魅力でもあるのだが)。古館はどうやって現在の階梯にまで上り詰めたのか?これを三回(プロレス編、F1編、報道ステーション編)に分けて分析してみたい。

プロレス実況中継でフルタチ節は完成

 古館がブレイクしたきっかけはテレ朝アナウンサー時代、新日本プロレスの実況を担当したことにはじまる。ここで大げさな実況をすることで、彼のスタイルは世に知れ渡る。だが古館実況のもっとも特徴的な点は、一般に評価されるこの「大げささ」ではなく、むしろキャラクター設定のわかりやすさにあったといえるだろう。つまり、識別のつきにくいレスラーにすべてワン・フレーズで修飾語句を与え、その文脈でレスラーのキャラクターを組み立てるというやり方だ。アントニオ猪木なら「燃える闘魂」、アンドレア・ザ・ジャイアントなら「人間山脈」といった具合。番組の冒頭には、実況がおこなわれる会場のある都市の特徴を、ほとんどの場合、戦国武将の物語で紹介。さながら街全体が「戦いのワンダーランド」(これも古館が好んで使っていたセリフ)と化しているかのような演出をおこなっていた。これに「おーっと!」という「大げさ実況」が加わる。技の解説についても同様で、ほんとともウソともつかないエピソードを付け加えていた。半面、技術的な内容の詳細についてはほとんど語らなかった。だからプロレス素人のオーディエンスには、きわめてわかりやすい解説と映ったのである。 

アントニオ猪木(左)の引退記者会見に同席した古舘伊知郎(中央)=1998年2月18日、東京都内のホテル
 こうしたやり方が、全体としてきわめて単純化したドラマを組み立てることに成功する。ドラマにたとえれば、一般のドラマではなくかつての大映テレビ室の制作する「赤いシリーズ」(山口百恵が主演していたもの)や「スチュワーデス物語」などの「デフォルメと省略」を全面に展開するやり方。要するに単純化・定型化したキャラクターが、ありえない仰々しい設定の下に、ありえない仰々しい演技をするという演出手法をプロレスに持ち込むことで、プロレスの複雑性を極端に単純化し、実際のプロレス以上に「プロレス的」に演出することに成功したのである。それはプロレス上につくられた、もう一つのフルタチ・プロレス・ワールドに他ならなかった。 

 古館がプロレス実況をはじめた当初、プロレスファンは彼の実況には批判的だった。「ゆっくり試合を見せろ」「古館はうるさすぎる」「技術をあまりに知らないので、同じことをやたらと連呼している」などなど。しかしながら、古館は経験を積むにつれて知識も増やし、さらにはこういったファンを納得させるレベルにまで技術を向上させていく。 

プロレスに飽きた古館

 彼はその勢いに乗じて84年、テレ朝を退社、古館プロジェクトを立ち上げ、フリーのアナウンサーとしてスタートを切る。だが、この時点でひとつの逆転が起こる。その逆転とはプロレスと古館の関係だ。プロレスは猪木の全盛期、厳密には新日本プロレスの全盛期が過ぎ視聴率が低下。テレビ朝日金曜午後八時台というゴールデンタイムでの実況中継権も失い、またプロレス自体も他団体が乱立。地盤沈下を起こしていった。一方、古館の方といえば、例の古館節はすっかり世間に定着。他のアナウンサーまでがこのやり方をまねるようになるというほどカリスマと化していた。

 すると、それまで猪木を尊敬しプロレスを絶賛していた古館は、次第にプロレス自体を見下すようになる。試合はメインイベントの中継のみしかやらなくなり、実況の回数それ自体が減っていく(変わってプロレスの実況をはじめたのはテレ朝アナウンサー辻義就(現辻よしなり)だった。辻は一生懸命フルタチ節をパクっていた。だが、彼にはフルタチ的なおどろおどろしさが無く、節回しの切れがなかった。また、ワンフレーズによるキャラクター設定もへたくそ、一方、情報量は古館より多かったために、辻の実況は、ストーリー性に乏しく、ともすればわざとらしさを助長することとなる)。こうなると古館自体もすっかりやる気をなくし、プロレスについての積極的な情報収集などは全くやらなくなる。実況は既存の古い情報だけで展開されリアリティを失っていった。その杜撰さは回を重ねるごとに増していき、プロレスファンでなくとも「ああ、こいつ、手を抜いているな」ということがはっきりわかるほど稚拙なものへと転じていったのだ。そして、古館は猪木の退場を理由に、プロレス界から足を洗っていく。 

 プロレス実況を降りて数年後。古館は「猪木との約束」というタテマエで、久々にプロレスの中継を行った。ただし猪木のタイトルマッチだけ。この試合の実況は、ただただゴーマン、猪木までもを見下した「エライ古館様が、プロレスなどという二流で下卑た、スポーツともエンターテインメントともつかないものの実況をしてやっている」という態度に溢れていた。「ああ、この人は強い人には卑屈に、弱い人にはゴーマンに対応するのだなあ」。 

 あるジャンルの実況をはじめる→人気を博す→自らがビッグになる→担当するジャンルが下火になる→見下す→勉強しなくなる→適当にいいわけをして、その世界から離れる(あるいはそのジャンルを捨てる)という「フルタチ」パターンはこの時期に形成されたのだった。