八幡和郎(徳島文理大学教授、評論家)

 「報道ステーション」など左寄りのジャーナリズムは自分たちをリベラルと称したがる。しかし、それは世界的な常識から著しく外れているということを近著「誤解だらけの平和国家・日本」(イースト新書)でも書いた。

 リベラルは英国の政治用語で、保守と社会主義に対する概念だ。保守が伝統的なキリスト教道徳、身分制度、自国利益に固執するのに対し、市民的自由、市場経済、国際主義などを主張し、社会主義が台頭するとそれとも対立した。

 一方、大陸では右派・左派という分類を好むが、日本の公明党に似たキリスト教民主主義などとともに中道派の一形態としてリベラルが存在する。

 戦後は穏健保守と社会民主主義が二大政党というのが普通になったが、近年ではサッチャー的な保守強硬派が台頭する一方、ブレア元英国首相らにに代表される市場経済重視の社会・自由主義(ソーシャル・リベラリズム)の流れが成功してフランス社会党(ヴァルス首相)、ドイツ社民党(シュレーダー前首相)、イタリア民主党(レンツィ首相)でも強くなっている。ただし、これは党内左派から社会主義でなくリベラルだという悪口として使われる呼び名だ。

 反社会主義が国民的コンセンサスになっていて、小さな政府を実践しているアメリカでは、人権擁護、貧困救済などに力を入れて公正さを重視すべきであり、外交ではハト派だというオバマ大統領やケリー国務長官など民主党左派あたりがリベラルと呼ばれる。

 欧米での使い方を最大公約数的にいえば、社会主義には否定的だが、アメリカ的な小さな政府よりは、ヨーロッパ的な緩やかな福祉社会をベターだと思うような傾向をもってリベラルと理解すればいいのではないか。また、愛国的であるとか、君主制を支持してもリベラルでなくなるわけでない。

 私自身もだいたいそんなところが妥当だと思っているから、ヨーロッパ的には社会自由主義、アメリカ的にはリベラル、日本人としては勤皇派だから愛国リベラルといったところだ。

 日本では自民党で池田勇人や三木武夫の流れをくむ人をリベラルということがあり、これは欧米での使い方に近いし、現在の民主党の穏健派も同じ範疇に入る。公明党は政策的にはリベラルと共通するが、宗教系政党はリベラルとはいわないのが伝統的な用語法だ。

 ところが、日本ではむしろ極左がリベラルを名乗るから困る。日本の自称リベラルは、極端な環境規制、経済成長軽視と高い税負担拒否と福祉充実、自国の歴史の否定と中韓などの国粋主義への迎合、日米の防衛力整備への反対と周辺国の軍国主義化への無警戒、世界のリベラルや左派が最も嫌うイスラム過激派へのエールなど思想的には支離滅裂である。

 どうも、自民党政権とかアメリカといった嫌いなものが先にあって、それが嫌がることはなんでも応援するという発想と、どういう国をつくるかへの無定見とが際立ち、非常にユニークな極左(左翼のうち非現実的な反体制思想をいう)というべきだ。

 一方、極右とは極端な国粋主義、特定の宗教思想の押しつけ、言論の自由への強い規制、経済統制などが特色だ。靖国神社に公式参拝するとかマスコミ批判したくらいでレッテル貼りしてはおかしい。

 さらに、安倍首相まで極右扱いする自称リベラルがいるが、日米安保堅持、TPP推進の安倍首相がどうして極右なのか理解できない。外国軍隊の駐留や経済共同体の形成というのは極右が最も嫌う政策であって、それを支持する安倍首相は普通の保守派だ。

 逆に「報道ステーション」にリベラル保守とか自称する学者が出て、「グローバリゼーションは国家主権の目減りで民主主義と相性が悪い」とかいい、古舘キャスターがしきりに頷いていたが、これはヨーロッパでは典型的な極左ないし極右の主張だ。

 そこで、気がつくのは、東京の地上波テレビ局では、政府より右寄りの言論はほとんど封じられていることだ。安保法制と不可分の関係にあった戦後70年談話が論じられているとき、「報道ステーション」に出演した朝日新聞の記者が、「誰もが納得できる戦後談話を」といったので驚いた。それなら、日本人の保守派や李登輝さんのような親日的な外国人も納得しなくてはならないはずだ。

 ところが、この記者にとっての「みんな」には、国内の保守派も海外の親日派も入らないようだった。自民党議員や支持者には保守派も多いが、現実に自民党政権の取ってきた政策は、野党への配慮や連立与党である公明党の意向を反映して中道左派的でリベラルなものだ。

 当然に保守派には不満があるはずだが、そういう意見の持ち主はほとんどテレビ出演の機会も与えられないし、安倍首相の政策に不満が募っているという報道もされることがない。テレビで紹介されるのは、政府の政策とそれに対する左からの批判だけなのだ。

 私はネトウヨもヘイトスピーチも嫌いだが、マスコミから排除されている保守派が目立つために極端な主張に走ることは理解できなくもない。彼らは極端な行動をして目立って初めて紹介してもらえるのだ。

 個別のテレビ番組が左派的な傾向で構成されていても構わないと思う。大事なことは、さまざまな意見ができる限り広く紹介されることだ。そして、テレビ局の場合は、放送法でも中立性が要求されているのだから、個々の局全体として、あるいはテレビの世界全体としてはバランスが取れていないとすれば法の趣旨にも反する。

 また、古舘キャスターがとくに批判を浴びるのも当然だと思うのは、極端な意見に相槌を打ってほかに正義はありえないと言わんばかりの誘導をすることが多いことだ。それは、かなりトリックに近いもので、テレビショッピングの番組のなかで悪辣なものでよく使われる手法に非常に似ている。