第12回「公明党・創価学会連絡協議会」で創価学会に
選挙の協力を呼びかけた公明党の冬柴鉄三幹事長=
2003年7月31日(渡辺大輔撮影)
 むしろ、ここで問題なのは、創価学会と公明党の関係がどうなのかということである。平和主義という創価学会の基本的な思想・信条に一見反するような動きを示した公明党への支持が、今後も維持されるのかどうかということである。この点についても、私の見解は単純ではない。公明党の支持母体としての創価学会のあり方がそう簡単に崩れるとは思わないが、かといって盤石であるとも思わない。実はこれまでもそれほど牢固なものではなかったのである。どういうことかというと、これまでも公明党の動きによって、創価学会員は熱心に応援したり、それほどでもなかったりしたのである。実際に分析したことはないが、選挙の際に獲得する公明党の票数は、そのときどきによってかなり上下しているはずである。

 とりわけフレンド票とよばれる創価学会員の呼びかけに応じた学会員以外の票は、そのときどきの創価学会員の本気度によってかなり違ってくる。選挙になると決まって連絡がある知人の学会員の電話の頻度や熱意がいつも同じではないことに気づいている方も多いだろう。私が会った若い学会員は、「選挙で強制なんてできるわけありませんよ。本当に本人が納得していないと、他人に働きかけることなんてできません」といって、世間がよく「組織票」と呼んであたかも自動的に集まるかのようにいうことに疑問を呈していた。自民党と選挙協力をするようになってからは、公明党や公明党の議員への応援ですらなくなったわけであるから、自民党が次の選挙で学会の票を当てにできず、戦々恐々とするのもうなずけることなのである。

 かといって創価学会員が公明党以外の政党を支持するようになるかといえば、そう単純ではない。創価学会員と公明党の議員には同じ宗教を奉じているというだけではなく、日常的な議員と支持者との関係が保持されている。「あいつのいうことはわかりにくいからだめだ」という批判が成り立つということは、あいつがどんな言動をするかをよく知っているということであって、公明党の議員はそのような厳しい一般学会員の評価という洗礼を経て、ようやく候補者として認められるようになるのである。党の政策が少々学会員の意向と食い違ってきたとしても、他党に鞍替えする前に党に政策の変更を求めていくのが先だろう。

 そうすると問題は、創価学会員の意向と公明党の政策が、どの程度スムーズに調整されていくのかということである。今回公明党は右傾化する自民党に自分たちこそが歯止めをかけているのだという論理で、創価学会員の理解を求めている。これがどこまで通用し、どこで無理がくるかということである。そして、それは公明党と創価学会の関係が崩れたり、創価学会のたがが緩んだりする前に、公明党が自民党との連立や選挙協力をどうするかという方向でまずは調整されるはずである。今回のことに創価学会の衰退や公明党と創価学会の関係の変化を期待する声が多いようだが、それよりも前にまっとうに組織された政治勢力の民主的な政策調整と合従連衡の行く末に注目する方が、よほど生産的ではないだろうか。