佐伯順子(女性文化史研究家)

 三味線音楽や邦舞、浮世絵等の江戸文化は、歌舞伎や遊廓と密接な関係をもちながら発展してきた。遊廓は、芸能や茶、香、花を楽しむ、江戸の文化センターでもあったが、そこには男女の営みが含まれ、歌舞伎にも、男色という性の楽しみが背後に存在した。春画が隆盛を極めたのも、様々なエンタテインメントの底に性があったという、江戸文化の特色のひとつといえるかもしれない。

 ただ、であれば美人画のように、遊女や遊廓を素材にした春画が多いかと思いきや、事実は逆に、妻や娘といった素人の女性が春画に多く登場するのも興味深い。江戸時代の女性といえば、窮屈な儒教道徳に縛られ、浮気をすれば厳しい処罰を受けるという一般的なイメージがあるかもしれないが、それは近松門左衛門の浄瑠璃や歌舞伎が描く一部のイメージにすぎない。もちろん、夫に管理される不自由な妻たちも存在したことは一面の事実であるが、芝居や浄瑠璃にとりあげられる女性たちは、武士の妻や裕福な町人など、限られた女性たちであり、江戸の市井の女性たちの多くは、パートナーと、またはイケメンの少年役者と、自由に逢引きを楽しんでいたことを、春画の表現は伝えてくれる。

 江戸時代の女性たちの性生活は、その積極性によって特徴づけられるといわれる(田中優子『張型』)ように、春画には、自然な表情で悦びにひたる満足げな女性たちの姿が随所にみられる。遊女のように、金銭を媒介にして必ずしも好きではない相手と交わるのであれば、不本意な忍耐や抑圧の悲しみが払拭できない。だが、商売をぬきにして主体的に快楽を求める女性たちの悦びの姿を描くところにこそ、春画の真骨頂がある。
永青文庫で開かれている春画展=東京都文京区
人間の性愛を描いた春画を国内で初めて本格的に紹介する「春画展」
=東京都文京区の永青文庫
 春画の主題の多くが夫婦の交わりであることは、誰はばかることなく、こころと身体のコミュニケーションを満喫できる間柄であるからだろう。女性が微笑みながら男性に覆いかぶさっていたり、男性の顎に手をあてて接吻したりしている図のように、女性のリードがみられる絵柄もあり、男性優位の性関係ではない多様な逢引きのありさまが描きわけられている。現代の、男性主導のいわゆる“顎クイ”のキスよりも”進んでいる“(?)とさえいえるかもしれない。

 春画の前書きでは、イザナミとイザナギの夫婦の交わりが引き合いに出され、人間の男女の交渉のむこうには、神々の姿が想定されている。そもそも日本の国土は、イザナミ・イザナギの神々の交合によって生まれたのであり、日本神話の源には、性の営みを神聖な行為として崇める「聖なる性」の信仰がある。

 日本の宗教儀礼には今でも、男女の生殖器をご神体として担ぐ祭礼(愛知県・田縣神社など)や、男女の交わりを実演として含む芸能(奈良県・飛鳥坐神社など)が残されており、日本の信仰世界において、男女の仲をことほぐ心性は連綿と受け継がれている。これらの祭礼で崇められる生殖器は、県神社の男根のように巨大なものもあるが、春画に描かれる男女の秘部が人体に比して大きく、顔と同じくらいの大きさにデフォルメされている例があるのも、生殖器に聖なるパワーを期待する心性の表現ではなかろうか。

 春画という用語は当時、一般的なものではなく、「笑い絵」と称されていたが、笑いにも民俗学的には招福の意味があり、江戸期の春画が、魔除けや戦勝祈願という、おまじない的な意味をもっていたのも、性のパワーが幸福を招くパワーにつながると信じられたからであろう。実際、天真爛漫に逢引きを楽しんでいる春画の男女の姿をながめると、つい微笑んでしまいたくなることもあり、幸福感がのりうつるような感情にかられることもある。

 命を産む性の営みを神聖なものとみなし、豊穣への祈りと結び付ける発想は、イギリスの社会人類学者のフレイザーが『金枝篇』で紹介する「類感呪術」にも通じ、海外にもみられる心性である。そのような視点で眺めれば、春画もどことなく、やんごとないものに見えてくるのではあるまいか。やんごとない世界であるからこそ、美しい調度品や着物といった、凝った意匠で飾り立て、目にも美しい作品として世に送りだされたのである。有名な、タコと交わっている女性の姿も、エロチックでありつつ、タコの腕や足の曲線の造形が巧みであり、デザイン的にも秀逸である。愛する人との一夜をロマンチックに演出したいと思う気持ちは、江戸の男女も現代の恋人にも変わりはないと思われるが、現代の恋愛映画などのいわゆるベッド・シーンは、往々にして雰囲気の描写にとどめているのに対し、露骨な交合の場面を色彩豊かな図像にとどめた江戸の絵師たちの才能には感服するしかない。

 十二枚一組という春画の形式が、一年十二か月の風物にのっとったものであり、四季おりおりの風情が豊かにおりこまれていると紹介されるように(山本ゆかり『春画を旅する』)、床の間の紅梅や戸外のホトトギスの声など、日本ならではの自然の彩が、男女の逢引きに興を添える。視覚的な美しさのみならず、薫りや鳥の音までをも伝える春画の表現は、まさに日本美術の粋のひとつであり、まぎれもなく、猥褻ではなく芸術なのである。