小名木善行(日本の心をつたえる会代表)

 二〇一二年の李明博大統領の竹島不法入国や陛下に対する侮辱発言をはじめとする韓国の非道ぶりに腹をたてている方も多いかと思います。

 けれど実は、韓国の対日侮辱はいまに始まったことではありません。

 もともと韓国は、五百年もの間支那の属国だった国です。

 国内に産業らしい産業はなく、国は貧しく国民は飢え、その劣悪な環境から、平均寿命は二十四、五歳。主な輸出品目は、支那に献上する女性だけ。国内では両班と呼ばれる貴族が横暴の限りをつくしていた。ひらたくいったら未開の野蛮国です。

 ところがいまから百年ほど前、支那の清王朝が滅びました。韓国は封主を失ったのです。

 一方でお隣の日本は、日清日露の大戦に勝利して世界の一等国の仲間入りを果たしました。韓国は手のひらをかえして日本にすり寄りました。支那の属国ではなく、日本の属国となろうとしたわけです。けれどそれは日本にとって、何のメリットもない提案でした。
 日本の韓国併合について、支那やロシアの脅威に対抗するための軍事的理由をあげる人がいます。

 が、それは間違いです。

 かつてのヨーロッパ諸国にとってのアフリカや東南アジア諸国、あるいはかつて戦った日米にとっての太平洋の島々と同様、当時の列強というのは、軍事的必要があれば勝手にそこを通過し、軍事施設を作りました。つまり国家というのは、世界に認められた一部の強国を指し、それ以外は「未開の蛮族の生息する地域」とみなされたのです。日本もそのようにみなされるところを、あと一歩のところで近代国家の仲間入りをはたし、韓国は名前こそ「大韓帝国」といさましくしたけれど、国際的には「蛮族が生息する地域」としてしかみなされないエリアだったのです。

 日本は、日清日露の戦争においても、朝鮮半島に一方的に軍を進めていますし、軍の施設を置いています。韓国の都合に関わりなく、日本にとってその都合があったからです。軍事的には、併合する意味などまるでありません。

「属国になりたい」


伊藤博文は韓国属国化に反対したために韓国人に狙われた
 ところが、日本が韓国の「属国にしてほしい」という要求を拒否すると、韓国はびっくりするような挙にでます。何をしたかというと、属国拒否の中心人物であった伊藤博文を暗殺してしまったのです。そして殺害の翌月には、「韓国は日本と『対等に』合邦して新たな帝国を築く」というとんでもない声明を世界に向けて発表しました。

 このことは、当時の世界にあって大爆笑の「珍事」でした。世界の一等国として英国とさえ対等な同盟関係にある列強の日本が、国とさえ認識されていない「未開の蛮族」から「対等な」合邦を言い出されたのです。

 世界列強諸国は、日本に「隣にあるのだから、すこしは蛮族の面倒をみてやったらどうだ」と言い出しました。この結果行われたのが、明治四十三年(一九一〇)八月の日韓併合です。要するに当時の国際外交(未開の蛮国は含まれません)にあって、日本は朝鮮半島の面倒を見ざるを得なくなってしまったのです。文献史料によっては「日本が韓国を併合して良いか列強諸国に聞いて回った」としているものがありますが、事実はまるで反対です。

日韓併合


 日本は困り果てました。平素から人種の平等を唱える日本が、隣にある「未開の蛮族」を押し付けられたのです。欧米のように奴隷支配するなら話は簡単ですが、それをしたら日本の主張する「人種の平等」は噓になってしまいます。であれば、併合し蛮族を教育して近代国家人に仕立て直すしかない。そうすることで有色人種も人であることを立証するしかなくなったのです。

 結果日本は、韓国を併合しました。以後三十六年間にわたって、莫大な国費と人材を朝鮮半島に投下し続けました。

 おかげで朝鮮半島では、八つあった言語がひとつに統一され、数校しかなかった小学校は五千二百校になり、それまで教育を受けたことなどなかった人々を二百三十九万人も無料で就学させ、名前のなかった女性に名前をつけ、戸籍をつくり、住民台帳を整備し、道路をつくり、橋を架け、鉄道を敷設し、上下水道を整備し、路上大便があたりまえだったのをトイレでさせ、病院をつくり、電気を敷き、ビルを建て、半島内に古くからある不条理な刑罰や牢獄を廃止するなど、可能な限りの誠意と力を尽くして韓半島の近代化を押し進めたのです。韓国の人口は二倍に増えています。

 もっとも日本が統治をはじめた当初には、抵抗運動もあるにはありました。ある地元の宗教団体が、民衆を煽動して「日本による搾取を許すな!」と宣伝し、民衆が蜂起したのです。しかし、民衆のあいだに日本統治による治安や、なにより「臭気のない清潔な暮らし」が徐々に浸透すると、抗日運動も自然と沈静化していきました。そして朝鮮半島は、すくなくとも表向きは、蛮族ではなく、近代国家の人士の体裁を整えるようになっていったのです。

李承晩の帰国


朝鮮戦争時、金浦空軍基地に到着したマッカーサー将軍を出迎える李承晩
 ところが、こうした日本の努力がまだ実りきらないうちに、大東亜戦争で日本が負け、朝鮮半島から去ることになったのです。

 朝鮮半島には、新たな統治者として米軍が上陸しました。そして米軍と一緒にやってきたのが、米国内で李氏朝鮮王朝時代を東洋の天国のように崇拝し宣伝していた李承晩でした。

 李承晩は日本が韓国を併合した当時、上海で「大韓民国臨時政府」を作って、その大総理におさまっていた人物です。ところが、「臨時政府」どころか韓国を独立国でなく、国際連盟の「委任統治領」にしてくれと李承晩が米国に依頼したことがバレてしまいます。これは韓国を米国の植民地にするということです。臨時政府のメンバーにこのことを糾弾された李承晩は、ひそかに上海から逃亡し、米国に渡りました。

 そして米国内で李承晩は、李氏朝鮮時代をまるでファンタジックなおとぎ話のように賛美する作り話を英文にしてあちこちに寄稿し、たまたまこれが対日戦争を仕掛けようとする米国の意向に添ったことで、米国内で名前と顔が売れていきました。

 もっとも、米国内でそれなりの政治家との繫がりをもったとはいえ、韓半島に帰還した李承晩には、半島内での人脈も政治活動のための資金力もありません。これに目をつけたのが日本とのパイプで力をつけていた湖南財閥で、旧統治者であった日本がいなくなると、財閥としての力を失わないために米国内に顔がきく李承晩の支援を申し出たのです。これによって李承晩は、湖南財閥の資金力と国内人脈を手に入れ、ついに昭和二十三年(一九四八)八月、大韓民国(いまの韓国)が建国され、初代大統領に就任したのです。

 大統領に就任した李承晩が大統領として最初にやった仕事が、「親日派の抹殺」でした。彼は公の場で「日本統治時代はよかった」「今の政府は駄目だ」などと発言した者を片端から政治犯として逮捕投獄したのです。収監した者に対しては、日本が統治するようになってから禁止したはずの李氏朝鮮時代の残酷な拷問道具を復活させてこれを用い、刑務所がいっぱいになると、入獄の古い者から次々と裁判もなしで殺害しています。まるで蛮族の酋長ですが、おかげで李承晩が初代大統領に就任してからたった二年で、政治犯として投獄された囚人数は、日本が朝鮮を統治した三十六年間の投獄者の総数をはるかに上回っています。

対馬、竹島領有宣言


 李承晩が次にした仕事が昭和二十四年(一九四九)の「対馬領有宣言」です。

李承晩ライン
 これは例えていえば、建国したてのアフリカの某国の酋長がいきなりカリフォルニアは我が領土と言い出したようなものです。これまた世界からみれば、ただの笑い話ですが、韓国国内には、たいへんな衝撃がありました。かつての封主国の領土を「我が領土」と一方的に宣言したわけです。権威あるものを貶めることに快感を覚える人というのは、世の中に少なからずいるもので、新国家建設でナショナリズムにわく韓国民の一部は、このニュースは実に気宇壮大な誇り高いものに思えたのです。

 調子に乗った李承晩は、宣言だけでなく、こんどは日本に対する竹島の返還請求まで行ないました。李承晩ラインの設定より三年も前のことです。

 とはいえ、韓国内には衝撃を与えたこれらの発言は、当時韓国を占領していた米軍にとっても、米国本国政府にとっても、また日本にとっても、何の関心もひかないものでした。ただのポーズであり、相手にする必要ナシと判断されたからです。言っただけで何かできるだけの実力は、当時の李承晩にはまだありませんでした。

 その李承晩は、反日だけに凝り固まっていたわけではありません。同時に共産党も頭から嫌っていました。李承晩のこのあまりの反共ぶりに危機感を募らせた金日成は、ソ連と謀り、ソ連から武器と資金の供給を受けて朝鮮半島北部に日本が築いた工業地帯を軍事制圧してしまいました。

 これは韓国にとっては一大事です。朝鮮半島の富の源泉を共産党金日成軍閥に奪われたのですから。そして財力を身に付けた金日成は、昭和二十五年(一九五〇)六月、ソ連製の強力な戦車隊と、十一万の陸兵をもって、ソウルを急襲します。朝鮮戦争の勃発です。

 そもそも朝鮮戦争というのは、実はしなくて済んだ戦争です。なぜなら昭和二十年の終戦直後に朝鮮半島では、もとの朝鮮総督府の呂運亨らが中心となって「朝鮮人民共和国」建国が宣言されていたのです。この「朝鮮人民共和国」には、後に朝鮮半島を二分する勢力となる金日成も新政府メンバーとして参列していました。つまり、共産党もそれ以外の政党も、まずはひとつの統一朝鮮としての新国家建国を目指していたのです。

 もしこれが成功していたら、他の国々同様、政権内部での言論戦は多々あったろうし、局地的デモによる逮捕者などはあったかもしれないけれど、国を分けての戦争など起こっていません。

 しかしこの「朝鮮人民共和国」は、建国宣言の翌日には、上陸してきた米軍によって潰されてしまいました。米国にいた李承晩が、米政治家を動かし「共産主義者が一緒にいる統一政権は建国を少し見合わせて、先に実態調査をした方がいい」ということになったからです。
 結局、「朝鮮人民共和国」建国は見送られ、李承晩が新たに建国した大韓民国の初代大統領に就任したのですが、そのことがきっかけとなり、北の金日成が決起して朝鮮戦争に至っています。つまり、朝鮮戦争を導いた最大の原因は、李承晩の存在そのものにあったということです。

サンフランシスコ講和条約


 朝鮮戦争による死傷者数がどれほどのものであったか。死傷者は韓国軍二十万。他に米軍十四万、その他連合軍二十二万、北朝鮮軍二十九万、中共軍四十五万が死傷しています。さらに民間人は韓国百三十三万、北朝鮮二百五十万人が殺害されたとされています。たった三年間の、しかも朝鮮半島内という局地で行われた戦争で、南北合わせて五百万人を超える死傷者が出ています。いかに朝鮮戦争が悲惨で酷い戦争だったかということです。ちなみにこの戦争で米軍が投下した爆弾の総重量は約六十万トン。これは大東亜戦争で日本に投下された爆弾の約四倍です。

 それだけ悲惨だった朝鮮戦争ですが、この戦争が行われた期間は、昭和二十五年六月から昭和二十八年七月までです。

 そして、この戦争のまっただなかに行われたのが、サンフランシスコ講和条約による日本の主権回復でした。

 この条約は昭和二十六年に締結され、昭和二十七年四月に発効しています。これが何を意味するか。時期を考えれば答えは簡単に見えてきます。それは悲惨さの増す朝鮮戦争に、日本を狩り出そうという意図です。米国も財政面では、日本との戦争ですでに逼迫したものとなっていました。そこへ重ねて朝鮮戦争が起こったのです。多くの米国民は、もうすでに戦争に倦んでいました。なぜわざわざアジアまで出かけていって米国民が命を落とさなければならないのか。そんなことをしなくても、日本に再軍備させて、朝鮮の対応をさせればよいではないか、というわけです。

 ところがそうなると困るのは李承晩です。なぜなら李承晩にとっては、もし日本が朝鮮戦争に参戦すれば、強兵をもって鳴る日本軍です。米軍とともにまたたく間に北朝鮮と中共軍を蹴散らして戦争を勝利に導くことは、火を見るよりも明らかです。現に同じ韓国兵でも、旧日本軍所属だった兵隊と、新たに登用した韓国兵では、実力の違いは天と地でした。もし日本が参戦し、日米で北朝鮮を駆逐すれば、今度は日本が戦勝国として再び朝鮮半島に還って来る。そうなれば、反日を煽り非道の数々を行ってきた李承晩は、一〇〇パーセント間違いなく政権を追われます。なんとかしてサンフランシスコ講和を潰したい。けれど李承晩には、サンフランシスコ講和に参加する資格がありません。なぜなら大東亜戦争に韓国は参戦していないからです。大東亜戦争の最中には、韓国は日本の一部であり、国でさえなかったのです。