「謙虚を美徳としてきた日本人が、どうして男性器には見えを張るのでしょう? しかも局部をこれでもかと描き込んでいるのに、女性のおっぱいが雑なのはなぜ?」

 永青文庫(東京都文京区)で開催中の日本初の本格的春画展と並行し、銀座の永井画廊でも春画展が開かれているが、そのオープニングパーティーで作家の岩井志麻子さんがこんな疑問を投げかけていた。

「富久寿楚宇」葛飾北斎(部分)ミカエル・フォーニッツコレクション
 見えを張ったのかどうかは別として、中世以降の絵巻物などで既に「大きさ比べ」をする様子が見られたりと、日本では性器を誇張して描くのが伝統だったようだ。かつて浮世絵春画を見た欧米人が、日本人男性の“ウタマロ”に驚嘆、長く誤解していたのは有名な話。

 では女性の胸は―。改めて見てみると、局部にはとことん執着しているのに、胸はずいぶんあっさり描いている。乳首はポチッと描かれているだけで乳輪もない。海女に大蛸(おおだこ)が絡みつく、有名な北斎の春画「喜能会之故真通(きのえのこまつ)」でも、蛸の足は女性の乳首にクルッと巻き付いているが、肝心の胸は微妙に垂れていて、まるでセクシーでない。

 岩井さんの疑問に対し、銀座春画展監修者である国際日本文化研究センター特任助教の石上阿希さんもこう答える。「この時代の人々はおっぱいには無関心なんです。明治時代くらいにならないと、乳首に色はつかないようです」。江戸の男は笑福亭鶴光さんのように、乳輪の色に注目しなかったようだ。

 江戸文化に詳しく、このほど『春画入門』(文春文庫)を刊行した時代小説家、車浮代さんも「江戸の男は胸よりもヒップでしょう」と話す。「夏になれば女性の胸なんか透けて見えますし、風呂も混浴だからお互い見慣れてるんですよ」。結局、人は秘めたるものだからこそ、興味をひかれ、興奮するのだろう。

 車さんによれば江戸時代、着衣の美人画こそ盛んに描かれたが、女性単体のヌードはめったにないという。「歌麿の肉筆画に、お風呂にひとりで入ろうとする女性の後ろ姿はありますが…」。これも美人画の一種であり、現代における「ヌードグラビア」的目的で描かれたものではないらしい。江戸時代の人々は、春画で異性の裸を愛でるというより、交わりのおかしな様子に笑ったりして楽しんでいたのだろう。

 月亭可朝さんの有名な歌ではないが、江戸時代の女性の胸は、お父さんよりも赤ちゃんのためにあったようだ。(黒沢綾子)