車浮代(時代小説家、江戸料理研究家)

 9月中旬に『春画入門』(文藝春秋)という新書を上梓して以降、さまざまなメディアから「春画」に関するインタビューの依頼をいただくようになった。

 著書を読んでから質問をしてくださる方ばかりではないので、「春画というのは江戸時代のエロ本ですか?」と尋ねられて、困惑することがある。

 確かに、エロティックな図を扱っているという点に於いては、木版画によって制作された春画(ここでは艶本も含む)は「エロ本」に当たるのかも知れない。しかしそもそも、現代と江戸時代では性に対する認識と倫理観が違うため、決してイコールではない。

歌川国貞筆「金瓶梅」(手前)など、鮮やかな肉筆春画の名品が並ぶ永青文庫で開かれている春画展=東京都文京区
歌川国貞筆「金瓶梅」(手前)など、鮮やかな肉筆春画の
名品が並ぶ永青文庫で開かれている春画展=東京都文京区
 明治になって、西洋的倫理観を上書きされるまでは、日本人は性に対して、今よりずっとおおらかな国だった。聖母マリアの処女性を尊ぶ欧米に対し、伊耶那岐命と伊耶那美命が交わることによって誕生したとされる我が国は、太古から「男女和合」を子孫繁栄につながる“目出度い”行為だと考えていた。よって春画における性器は、顔と同じサイズにまで誇張されており、春画の大多数の図柄は、さまざまなシチュエーションとバリエーションで、男女ともに活き活きと性を謳歌している。女性に性欲があることも当然と考えられていたため、女性がむし返し(複数回の性交)を迫る……といった図も多く残っている。  

 二〇〇五年に、世界一のコンドームブランドである英国のDurex社が調査発表した「世界各国のセックス頻度と性生活満足度(四十一カ国)」によれば、セックス頻度における世界の年間平均は百三回で、日本人は四十位・シンガポールの七十三回から大きく引き離されての最下位で、四十五回という結果だった(十年前のデータなので、現在はもっと少ないのではないかと推測される)。この結果は、江戸時代の人々からすれば禁欲生活を強いられているようなものである。断っておくが、私は何も、現代人に性を謳歌しようと推奨しているわけではない。性に対して、どちらかというと後ろめたさを持つ現代人の感覚で、江戸の性は推し量れないということを示しただけだ。

 また春画は、大名までもが娘の嫁入り道具として持たせるなど、性の指南書としての役割ばかりか、「笑い絵」「勝ち絵」などとも呼ばれ、仲間内で見せ合って笑い楽しむものであったり、戦の弾除けに甲冑に仕込むものであったり、長持ちに入れて虫除けにしたり、蔵に置いて火事避けにしたり……といった用途も担っていた。余談だが、火災が起こった時、ただ一つ燃え残った蔵の中から、上方の浮世絵師・月岡雪鼎(せってい)の春画が出て来たからと、以降、雪鼎の春画には十倍の値がついたという記述が残っている。

 さらに、春画における技術と名誉について、特筆せねばなるまい。

 八代将軍・徳川吉宗により、享保の改革の一環として発布された「好色本禁止令」以降、春画は秘密裏に売買されるようになった。公に販売されている浮世絵版画は、検閲を通さずに販売できないため、図案や摺り色の数などが制限されてしまうが、最初から表に出さない春画は、いわば贅沢のし放題であった。二十色以上摺り色を重ねようが、金・銀・雲母(きら)などの高価な絵具(えぐ)を使おうが、どれほど精緻に版木を彫ろうがお構いなしである。

 また、当時の錦絵(にしきえ)(多色摺り浮世絵版画)一枚の価格が十六文~四十八文(一文を二十五円で換算すると四百円~千二百円)だったことに対し、春画の価格は十倍以上もした。

 つまり版元が豪華で高価な春画を売るには、有名絵師の絵でなければ顧客がつかず、それらの凝りに凝った彫摺(ちょうしゅう)は、一流の職人でないと対応できない。逆に言えば、絵師も彫師も摺師も“春画を依頼されてこそ一流”とみなされたわけだ。それが証拠に、名だたる絵師たちは、わずか十ヵ月弱の制作期間で消えた写楽を除いて、もれなく全員が春画を手がけている上、錦絵は現代の木版画職人によって再現できても、爛熟期の春画の再現は不可能と言われている。

 このあたりの感覚が今と大きく違うところで、現代では、エロティックな商業印刷物は低俗と見られがちなことに対し、春画はいわば、当時の印刷物の頂点にあった。持っていることがステイタスで、自慢の種になったのだ。

 浮世絵に関する講演会などをさせていただいた折に、私は必ず「春画を観ずして、浮世絵の本当の凄さは語れない」と訴えてきた。例を挙げるなら、美人画の髪の生え際などで確認できる、一ミリの間に髪の毛三本を彫り、目詰まりさせずに摺る技術。エッチングなどの凹版印刷ならまだしも、凸版印刷である木版画でこれを可能にするだけでも超絶技巧だが、春画ではさらに、あの不規則に曲がりくねったアンダーヘアでそれを実現させているのだから、驚嘆に値する。

 技術面に特化すれば、『三源氏』と呼ばれる歌川國貞(三代豊国)の艶本の代表作『艶紫娯拾余帖(えんしごじゅうよじょう)』『吾妻源氏(あずまげんじ)』、『正冩相生源氏(しょううつしあいおいげんじ)』を、機会があれば是非ご覧いただきたい。そこに施された彫りの細かさやグラデーションの美しさ、高価な絵具を惜しみなく使った贅沢さ、よく見ると浮き上がって見えるエンボス加工等、重要文化財級の匠の技が注ぎ込まれている。

 これはもはや、総合芸術品である。