蛭子能収(漫画家/タレント)

 いつも笑顔でマイペース。テレビで観る蛭子能収氏の立ち居振る舞いは、至って自然で無理がないように感じる。そののびやかさは、どういう心の持ちようから生まれているのだろうか? 物事にとらわれない自由の秘訣をうかがった。

「自由気ままにやっているわけではないんですよ!」


 漫画家とタレントという2つの顔を持つ蛭子能収氏。その幅広い活動の中でも最近とりわけ注目を集めているのが、テレビ東京系で放送されている番組『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』で見せる自由奔放さだ。その姿に、視聴者は一種の憧れを抱く。とくに会社勤めのビジネスマンは「あんなふうに自由に振る舞えたら」という気持ちになるのではないだろうか。しかし、蛭子氏本人は、「決してしたい放題に行動してはいない」と語る。

 「何も考えていないようでいて、実は考えているんですよ。思いを言葉で上手に表現できないほうなので、誤解されがちなのですが……。

 スタッフの指示は必ず守っています。そこから外れることは決してしていません。それ以外の、たとえば『飲食店で何を食べるか』といったことは指示されていないから、好きなものを頼んでいるだけです。それで、その土地の名物ではなく、パンとコーヒーなどを注文したりするのが、視聴者の方々には面白いのでしょうね」

 この番組は、路線バスのみを使って4日以内に所定の目的地に到達するというルールのもとで進行する。スタッフと出演者は、時に過酷なスケジュールをこなしつつ、旅の成功を目指す。

 「制限時間内の到着が全員の共通の目的。僕も『成功させたい』という強い思いを持って臨んでいます。その中で、許された範囲で僕らしさを出す感じですね。自由そうに見えるのも、実は演技かもしれませんよ?(笑) それはともかく、僕も番組を作るチームの一員として、ちゃんと考えながら仕事をしていることは確かです」

仕事はきちんとする。だから、好きなことができる


 このように、仕事に対する蛭子氏の考え方は意外にストイックだ。しかし、そこにストレスや悲壮感の影は感じられない。この「真剣で気楽」な姿勢は、これまでに就いたどの職業においても持っていたものだという。

 「仕事は一生懸命やる。その結果として得られるお金と自由を楽しんで使う。この点は一貫していると思います」

 漫画家になる前、蛭子氏はサラリーマンだった。最初に就職したのは看板店。その後、ちり紙交換の仕事を経て、ダスキンの配達と営業を8年にわたって務めた。

 「ちり紙交換もダスキンの仕事も、1人でクルマを運転する、自由にやりやすい仕事でした。ダスキンのときはお客さんの家を1日に200軒くらい回るんです。勤務時間は8時間でしたが、ムダなく効率的に回れば5時間で終わります。そうすれば、早く競艇場に行けるわけですよ(笑)。好きなことをするために、どう効率的に仕事をするかを考えていました」

先のことを手堅く読むから不安はあまりない


 ダスキン時代は常に一定の成果を出し、社内の人間関係も良好だったと振り返る蛭子氏。しかし一方で、「漫画家として食べていきたい」という思いもずっと持ち続けていた。

「上京して間もない頃から、プロを目指して投稿を続けていました。そうこうするうち、漫画雑誌『ガロ』で賞をいただいて、にわかに夢が現実味を帯びてきました」

 こうして、1982年、長年務めた会社を退職。かねてからの夢を叶えたとはいえ、安定した仕事を離れることに不安はなかったのだろうか。

「辞めて大丈夫かどうか、綿密に計算しましたよ。当面の貯蓄、退職金、失業保険、今後の収入の見込み。見込みは、連載など、確実性の高いものだけを計算しました。それらと1カ月の生活費を比べて、『これなら生活していける』と判断してから辞めたんです。だから、不安はありませんでした」

「収入が3倍なら、いいか」。自分の生き方に固執しない

 蛭子氏の漫画は独特の画風とエキセントリックで不条理なストーリーを持っているが、それを描くときの気分は至って呑気なものだそうだ。

 「何を描くか悩んでしまう、ということはありませんね。すごい作品を作ろうなんていっさい思っていません(笑)。ただ、締切りは必ず守ります。指示されたことだけはきっちりやるという仕事のやり方は、会社勤めのときから変わっていません」

 熱心なファンもつき、充実した漫画家生活を送っていた87年、再び転機が訪れる。「劇団東京乾電池」のポスターを手がけた縁で舞台への参加を求められて出演。その舞台がきっかけで、テレビ出演という新しい道が拓けたのだ。

 「恥ずかしかったんですけど、僕は断わるのが苦手なんですよ。頼まれるがままにドラマに出て、バラエティに出て、としているうちに、漫画のファンが離れていってしまいました。作品のイメージとテレビに映る僕のイメージがあまりにかけ離れていたからだと思います」

 ずっとなりたかった漫画家という夢をせっかく叶えたのに、漫画家としてよりもタレントとして世の中に広く認知されるようになっていく。そのことに、蛭子氏は悩まなかったのだろうか。

 「テレビに出てもらえる収入が、漫画を描いてもらえる収入の3倍くらい高かったんです。しかも、漫画を描くのはなかなかの重労働。『テレビのほうがラクだ!』と思ったら、すぐに気持ちが切り替わりました。抵抗はなかったですね」

「仕事が第一。人間関係は二の次」と割り切ってしまおう


 1人で仕事をする漫画家と違い、テレビの仕事では数多くのスタッフや共演者とつきあうことになる。人づきあいが増えれば、それによるストレスも増えたのではないか。

 「確かに、僕はずっと1人でやる仕事ばかりをしてきたし、性格的にも1人でいるのが好きです。でも、人が嫌いなわけではないんですよ。

 人を嫌うのは、決して愉快な感情ではありません。だから僕は、苦手な相手であっても、ネガティブな感情は絶対に見せないようにしています。誰かに対して『2度と一緒に仕事をしたくない』と思うこともないですね。どんな人とでも、頼まれれば何度でも共演します。内心の苦手意識は我慢します」

 我慢はしても、ストレスを溜め込むことはない、と蛭子氏。日頃、上司や部下、お客や取引先に対して我慢を重ね、神経を擦り減らしているビジネスマンからすると、ぜひ、その秘訣を聞きたいところだ。

 「仕事だと考えているから、我慢してもストレスにならないのではないでしょうか。ビジネスマンの方々も、ビジネスのことを一生懸命にやればいいのだと思います。会社は仕事をする場所であって、人間関係は二の次でしょう。上司が偉そうでも、部下が生意気でも、大した問題ではありません。そんなことよりも、仕事がきちんと進むことのほうが大事だと思っていたら、ラクになりますよ」

結構ひどい仕事であっても「断わらない」


 仕事のほうが大事とはいえ、他人に嫌われたくないというのは、蛭子氏もいつも思っていることだ。そのためにしていることは至ってシンプル。「笑顔でいること」と「断わらないこと」の2つに尽きると蛭子氏は言う。

京都国際映画祭、セクシードレス姿の橋本マナミ(右)の背中(脇?)をガン見する蛭子能収。左はトリンドル玲奈=2015年10月15日、京都市東山区(榎本雅弘撮影)
 「いつもニッコリしていれば、嫌われる心配はまずないと思っています。それから、頼まれごとにもできるだけ応えたいですね。単に断わるのが下手なだけということもあるかもしれませんが(笑)。仕事も、パラシュート降下みたいに怪我や命の危険を伴うようなものでない限りは、結構ひどい扱いをされたこともありますけど、どんなものでも引き受けてきました」

 スタッフや共演者とは、ある程度の関係を築ければ、必要以上に仲良くすることはないと考えている。

 「共演者に自分から話しかけることはまずありません。向こうから話しかけられれば、もちろん話をしますよ。

 これは、誰か特定の人と仲良くなることを避けたいと思っているからなんです。『Aさんとはよく話すのに、Bさんとはあまり話さない』という不均衡や、固定された関係ができてしまうことが嫌なんですね。それくらいなら、1人でいたほうがいい。1人を寂しいと感じることもありません」

 このように話を聞いてくると、どのような環境も自然に受け入れ、自分らしく生きる蛭子氏の自由さは、決して考えなしのものではなく、むしろ明確な考え方に裏打ちされているものであることに気づかされる。

 「そう、意外と計算しているんです(笑)。人間関係もそうですが、お金や生活設計に関しては、さらに緻密に先を読んでいます」

仕事なんて、選ばなければいくらでもある!


 人によっては、先々のことをあれこれ考えると、かえって不安になるかもしれない。蛭子氏がそうならないのは、「何をしてでも生きていける」という自信が根底にあるからだろう。

 「僕は今年で68歳になりますが、もしタレントとしても漫画家としても食べていけなくなったとしたら、別の仕事をすればいいと思っています。また配達業に戻ってもいいし、肉体労働でもいい。

 仕事なんて、選ばなければいくらでもあるじゃないですか。将来、食べていけるか不安だという人は、見栄があるんじゃないかな。僕にはないんでしょうね。

 昔から、どんな仕事をするか考えるとき、内容にこだわることはありませんでした。仕事はお金を得る手段ですから、『いくらもらえるか』のほうが大事。見栄を捨てれば、生きる方法はいくらでもある。少し見方を変えれば、人生で思い悩むことは少なくなると思いますよ」

《取材・構成:林 加愛 写真撮影:永井 浩》

えびす・よしかず 1947 年、長崎県生まれ。長崎商業高校卒業後、看板店勤務を経て70 年に上京。ちり紙交換、ダスキンの配達などの職業を経て漫画家となる。その後、俳優やタレントとしてバラエティ番組やテレビドラマ、映画にも出演。『蛭子能収コレクション』(マガジン・ファイブ)をはじめとする漫画作品の他、ベストセラーとなったエッセイ『ひとりぼっちを笑うな』(角川新書)などの著書がある。