津田岳宏(弁護士)

 野球選手の野球賭博の問題が世間をにぎわしている。

 この問題は、刑法上の問題と野球協約上の問題があり、両者は区別して論じるべきなのであるが、報道等を見ると、この点がしっかり区別されているとは言いがたい。そこで本稿は、上記の点を区別して論じていく。

 まずは刑法上の問題について。

 野球の勝敗について金を賭けると賭博罪(刑法185条)にあたる。勝った方が明日のランチをおごる、という程度の賭けなら賭博罪にはならないが、金を賭けるとたとえ少額でも賭博罪にあたるというのが現在の判例理論だ。

 もっとも、検察官が賭博捜査の実務について著した文献には「些細な賭けまで全て検挙することは国民の無用の反発を買うことになる」とも書かれており、たとえば勝った方が500円を払う、程度の賭けであれば、形式的には賭博罪にあたるが、実際に捕まる可能性は低い。

 そもそも、日本には競馬・競輪・宝くじなど合法的な賭博が存在しており、しかもこれらは盛んに宣伝されている。また「三店方式」という巧妙なシステムを用いているパチンコが事実上賭博であることは誰の目にも明らかだ。現代日本においては、賭博それ自体のみではもはや反社会的行為とは言いがたい。

 以上の状況のもと、法律的許可のない賭博は賭博罪にあたり、賭け麻雀や賭けゴルフは賭博罪に該当するが、仮にそれらが検挙されたとしても、賭博開帳図利に至らない単なる賭博罪にとどまる場合は、刑法上の責任も軽い。

 起訴されたとしても10万円~30万円程度の罰金にとどまることが多く(最高刑でも罰金50万円)起訴猶予とされる場合もある。そもそも「国民の無用の反発を買う」ことは当局も承知しているので、身内でするささやかな賭博で検挙される可能性は低い。

 本件では、各選手が野球賭博をしたことが賭博罪にあたることは明白なのであるが、その点の刑法上の責任が重いは言いがたい(もちろん違法行為ではある。軽重の問題として軽いということ)。各選手も、仮に起訴されたとしても軽い罰金刑にとどまるであろうし、起訴されない可能性もある。おなじく風紀罪である覚せい剤などと比すると、格段に軽い処分である。

 本件では、各選手は八百長には手を出していないようだ。この点、仮に選手が八百長に手を出したらどうなるか。こうなると、刑法上の責任も賭博罪にとどまらなくなる。八百長によってイカサマ賭博に加担すれば、賭博罪ではなく詐欺罪のほう助(もしくは共同正犯)に該当する。イカサマ賭博は賭博罪ではなく詐欺罪で処罰するのが判例理論である。

 また、偽計業務妨害罪のほう助に該当する可能性もある。詐欺罪や偽計業務妨害罪は、賭博罪に比して格段に重罪である。となると、八百長に加担すれば刑法上の責任も重くなりそうなのであるが、実はそう簡単でもない。

 メジャーリーグ史上最悪の八百長事件「ブラックソックス事件」では、各選手は詐欺や業務妨害で起訴された。彼らは金を受け取ったところまでは事実認定されたが、結論としては、無罪になっている。損害の発生や因果関係、共同謀議の存在等が立証できなかったのである。

 八百長というのは、法律的には立証が困難な犯罪なのである。

 八百長をする選手からしても、わざとトンネルするとか、全部空振りするとか、あからさまなプレーをするわけにはいかない。「ばれない程度の八百長プレー」ということになれば、それは「法律上明白な実行行為」と認定されにくくなる。

 野球もゲームの一種であり、その結果には偶然性も影響する。たとえば、わざと鈍いスイングをしたのが功を奏してボテボテの内野安打になる、真ん中に投げるつもりが外れて最高のコースに決まる、などの結果が生じた場合、それは、法律的には「八百長行為」と認定できなくなる。

 野球における八百長は、成功させることが難しいのである。

 実際、日本プロ野球史上最悪の八百長事件「黒い霧事件」では、八百長がされた3試合で、八百長を仕掛けた選手がいるチームが2回も勝利している。こうなると“法律的には”八百長しようがしまいが結果には影響がない、という結論になり、犯罪は成立しなくなる。

 どの行為によっていかなる損害が発生したのか、法律的立証に不可欠なこの要素が、八百長事件では認めにくいのである。

 以上から野球選手が野球賭博に手を出したとしても、刑法上の罪は重くなく、万が一八百長に加担したとしても、立証が困難なので重い罪に問われる可能性は低いという結論になる。

 となれば、選手の責任は軽いのかといえば、そうではない。選手は、野球協約上、きわめて重い責任が問われる。八百長は「イメージ犯罪」と呼ばれることもある。

 上記のとおり、八百長の罪を法律上立証することは難しい。しかし、八百長は、対象となった競技の信用性を著しく阻害する。競技のイメージ面に大きな打撃を及ぼし、その存在自体を危うくする。

 今から45年前、プロ野球最悪の八百長事件である「黒い霧事件」の影響は甚大であった。栄光の歴史を持ち地元福岡でおおいに愛さされていた西鉄ライオンズは、観客が激減し身売りする羽目になった。

 また1球団だけではなく、黒い霧事件の影響は、パリーグ自体が消滅寸前になるほどであった。なんとか存続したものの、イメージ悪化による人気低下はすさまじく、パリーグの試合には閑古鳥が鳴く時期が長く続いた。

 名捕手野村克也が偉大な本塁打記録を打ち立てた試合、観客はわずか数千人、試合後野村は「花の中にだってヒマワリもあれば、人目につかない所でひっそりと咲く月見草もある」とコメントした。代名詞「月見草」誕生の裏には、黒い霧事件の影響による酷い人気低下があったのである。

 また、本件のように八百長には至っていない場合でもあっても、野球賭博にはそのイメージが悪い大きな理由がある。それは、野球賭博の胴元には暴力団が絡んでいるという半ば周知の事実である。

 野球賭博というのは、基本的に「ツケ」でなされる。客は、コワモテのヤクザだからこそ負け分をきちんと支払い、またそういう「負け分をきちんと回収できるヤクザ」だからこそ勝ち分もちゃんと支払ってくれるだろうと信用して賭けに参加するのだ。

 さらに野球賭博には、賭け客を増やすための「ハンデ」という独特のルールが存在する。

 たとえば、ソフトバンク対DeNAという試合があったとき、単純に勝ちチームを当てるだけなら、ソフトバンクに賭ける人が殺到する。

 このような場合、ハンデがものを言う。たとえば、ソフトバンクからハンデ「2」が与えられた場合、試合結果がDeNAが1点差で負けたとしても、賭けのうえではDeNAの勝ちとなる。そうやって「魅力的なギャンブル」にするのだ。

 ちなみにハンデは、実際はもう少しややこしく、「1.8」などと小数点付きで出されることが多い。ハンデ「1.8」の場合、ソフトバンクに賭けてソフトバンクが1点差で勝てば、賭けの上では負けなのだが、それは「8分負け」ということになり、10万円賭けていた場合2万円は払い戻される。

 そうやっていわゆる「ニアミス効果」(外れなのだが当りに近付いたとプレーヤーが認識できる場面が多いほどのめり込みやすい賭博となるetcパチンコのリーチ)を生んでいるのだ。

 「適正なハンデを出すこと」が、野球賭博の胴元には必要なのだが、これをするには相当な野球知識のある者(「ハンデ師」と呼ばれる)を雇う必要があり、これもやはり大きな組織でないとできないことになる。

 結局のところ、野球賭博の胴元は、大がかりに非合法なことをできるコワモテだがある種の信用ある組織、ということになり、これは暴力団をおいて他にない。その道では、野球賭博の胴元はヤクザの中でもカネを持ち信用あるヤクザでないとできない、などと言われているともいう。

 以上を踏まえ、野球協約は、野球賭博にきわめて厳格な態度を示している。

 野球賭博をするだけで1年ないし無期の失格処分、それがもしも所属球団について賭けたのであれば、それだけで永久追放処分である。永久追放は、内部規則における“死刑”と同義だ。最高刑である。

 しかし、ことの重大さを考えれば、その重さも妥当である。プロ野球は娯楽であり、興業の一種だ。イメージは何より大事である。そのイメージに甚大な被害を与え、その存在を危うくしかねない行為が、重罪として裁かれるのはやむを得ない。

 結論として、本件各選手の責任は、刑法上は重いとは言いがたい。しかし、内部規則である野球協約上は“死刑”に相当するきわめて重い責任が科される可能性もある。

 「黒い霧事件」のときは、当初は対象者も1人だけそこまでの騒ぎではなかったのだが、事がおさまるかと思ったときに、多数の関与者が発覚して大騒ぎになった。

 私は、プレーオフシーズンになると早起きして帰りを早くするほど、プロ野球が大好きだ。今回の件が、黒い霧事件のように波及しないことを心から願っている。

 今の日本は、合法的にできる賭博は山ほどある。スマホをいじるだけで馬券が買える時代である。宝くじ売り場というのは、賭博場である。駅前や国道沿いのパチンコ店は、年中無休だ。麻雀だって、仲間内でこっそりとささやかに賭けるくらいなら、警察はお目こぼししてくれる。今の日本には、手を出していい賭博と出してはならない賭博が存在するのだ。

 野球賭博は、後者の典型である。くだんの選手たちにそれを教えてあげる人は周囲にいなかったのか、私はそれが残念でならない。

 私は、今回のような事件が起きる原因のひとつは、賭博罪が曖昧なままで据え置かれていることだと考えている。

 今の日本は、誰でも手軽に賭博ができる環境であるのに、一方で、賭博は犯罪だという建前もいまだ残っている。

 そのようなグレーな状況のもと、みなが賭博と正面から向き合わないから、社会全体の賭博についての知識が欠如し、当然くだんの選手たちも知識がなく、つけ込まれるスキが生じてしまうのだ。

 賭博とは何なのか。賭博から生じ得る問題は何なのか。やっていい賭博としてはならない賭博の境界線はどこか。その理由は何か。

 これだけ賭博があふれかえっている世の中なのだから、本来そういう社会的教育が必要なのだ。しかし、これらはなされない。賭博は犯罪だ、という建前が残っているからである。

 そこに賭博があるのにこれときちんと向き合わないというこの国の矛盾が国民的娯楽に打撃を与えるのだとしたら、こんなに悲しいことはない。

 あえて同情的な見方をすれば、本件の各選手も、そういう矛盾が生んだ犠牲者の一人といえなくもない。