日韓両国が基本条約に調印し、国交正常化に踏み切ってから6月22日で丸50年。韓国国内の猛反対を押し切り、正常化を決断したのが当時の大統領、朴正煕(パク・チョンヒ)だ。「売国奴」呼ばわりされた朴正煕に対する評価は、この半世紀で一変した。(韓国南東部亀尾(クミ) 藤本欣也)


 寒村のイメージを抱いていたので、そのにぎわいぶりに拍子抜けしてしまった。

 韓国南東部、慶尚北道(キョンサンプクド)亀尾にある朴正煕の生家。土壁の家屋自体は粗末だったが、周囲には記念館や焼香所、公園が整備され、観光客が押し寄せていた。1日平均2千人以上-。

 「優れた大統領のおかげで私たちは幸せに暮らしています」「強力な改革だけが韓国を維持できる」「将来、朴正煕大統領のような政治家が再び現れたらいいのに」

 寄せ書き帳を見ると、強いリーダーを求める声や賛辞であふれている。

 だが、およそ半世紀前には、それからは想像もつかない光景が広がっていた。

 1964年6月3日、ソウル中心部。「韓日交渉を中止せよ」「屈辱外交を許すな」「売国奴を殺せ」

 催涙弾が飛び交う中、大学生ら1万5千人以上が集結し、治安当局と衝突を繰り返した。夜、戒厳令を布告したのは当時の大統領、朴正煕その人だった。

 デモ隊がやり玉に挙げたのが、日韓国交正常化の秘密交渉に当たっていた朴正煕の側近で、後に首相を務める金鍾泌(キム・ジョンピル)(89)だ。61年5月16日、朴正煕が主導した軍事クーデターの中心人物の一人である。

 金鍾泌は今年、韓国紙への寄稿で、日韓国交正常化を「(クーデターに続く)第2の革命だった」と振り返っている。朝鮮戦争(50~53年)で壊滅的打撃を受けた韓国経済は最貧国の水準。「近代化のための資金を何としても捻出しなければならなかったのだ」

        

始まりは“用日” 残された“反日”


2月23日、弔問に訪れた韓国の鄭義和国会議長(左)とあいさつを交わす金鍾泌元首相(聯合=共同)
 日韓国交正常化の立役者とされるのが、大統領の朴正煕(パク・チョンヒ)の命を受けて秘密交渉に当たった金鍾泌(キム・ジョンピル)である。中央情報部(KCIA)の初代部長を務めた金は「反日より、“用日”こそ困難な道である」という話をよく朴と交わしたという。

 日本を用いて経済発展の道を探る-。1962年に始まった経済開発5カ年計画は莫大(ばくだい)な資金を必要としていた。

 当時、ソウル大学生で学生運動のリーダーの一人だった玄勝一(ヒョン・スンイル)(73)と金道鉉(ドヒョン)(72)に、かつて学生たちがデモ隊を組織した光化門(クァン・ファムン)前の大通り沿いのホテルで会った。

 「朴正煕のリーダーシップで韓国が発展を遂げたのは事実だ。が、だからといって軍事クーデター、人権・民主化弾圧などを許すことはできない」

 玄は逮捕され服役した後、米国に渡った。帰国できたのは79年に朴正煕が暗殺されてからだ。その後の民主化過程で、国民大学の総長や国会議員を務めた。

 「反日デモというより、クーデターで樹立された朴政権への不満、批判が爆発したデモだった」

 こう振り返る金道鉉は、文民大統領の金泳三(ヨンサム)政権(93~98年)時代に文化体育省次官などを歴任した。

 国交正常化の前年に起きた6月3日の騒乱は、韓国の近代化を優先する勢力と、民主化を求める勢力の衝突でもあった。

 民主化勢力も反日を利用して朴政権打倒を目指した意味では、“用日”だったのである。

 朴政権は、日韓国交正常化の果実である日本の資金や、米欧の援助を元手に60年代中盤以降、10%を超す高度経済成長を実現。「漢江(ハンガン)の奇跡」と評された。

 その朴正煕の最大の政敵が、民主化勢力リーダーの金大中(デジュン)だった。97年の大統領選に出馬した金大中が保守派の票を取り込むために利用したのが、朴正煕の生家だ。投票の約2週間前に生家を訪れて和解を演出、劣勢を覆し勝利を収めた。いわば“用朴”である。

 以後、朴人気も裾野が広がり、96年に約4万2千人だった生家の観光客数は昨年、実に69万人を数えた。

 “用日”から始まった日韓国交正常化。50年がたち近代化と民主化が一通り達成された韓国に、むき出しの反日が残された。反日より困難な道、つまり新たな対日戦略を打ち出せる強いリーダーシップこそ、韓国には求められている。=敬称略(藤本欣也)

【用語解説】朴正煕(1917~79年)
 韓国・慶尚北道亀尾の貧しい農家に生まれる。大邱師範学校、満州国軍官学校、日本の陸軍士官学校卒。満州国軍中尉で終戦。朝鮮戦争を経て韓国軍での地歩を固め、陸軍少将だった61年、5・16軍事クーデターを主導して全権を掌握し、前年の李承晩政権崩壊に伴う内政の混乱を収拾。63年から5期にわたって大統領を務めた。開発独裁型の統治を推し進め、民主化勢力を弾圧する一方、高度経済成長を達成した。反政府暴動の高まりの中、79年に側近に暗殺された。現大統領の朴槿恵氏(63)は長女。

【用語解説】日韓国交正常化
 日韓両政府は14年間の交渉を経て、1965年6月22日に日韓基本条約に調印(同年12月18日に発効)、国交が正常化した。付属協定では、日本側が韓国に「無償3億ドル、有償2億ドル」を供与する一方、双方の財産・請求権については「完全かつ最終的に解決された」と明記された。しかし韓国側は近年、元慰安婦の賠償請求権は残っているとの主張を強めている。