古谷経衡(著述家)

日本はいつからハロウィンの国になった?

 新宿を歩いていたら、漫画『NARUTO』のカカシというキャラクターのコスプレをしている男とすれ違った。カカシは『NARUTO』の主人公・ナルトの師であり、簡単にいえば忍者の教官だ。男は、カカシそっくりのアーミージャケットのようなものを着ていて、髪を銀髪にブリーチし、顔の半分をマスクで覆っていた。追い抜きざまにまじまじと凝視すると背の高い端正な顔立ちをしていた。男のとなりには、一応アニメに詳しいと自負する私でも何の作品なのか不明な、ゴスロリっぽい何かのキャラクターのコスプレをした女が連れ添っており、胸がデカかった。

 時節柄、明らかにハロウィンパーティーの参加者であろうと思う。毎年10月になると、首都圏でこのような奇っ怪な仮装をしたハロウィンパーティーに参加する輩の姿を視認できるようになる。先日ではさいたま市でも、同じような、こちらはゾンビ風の血糊のような創傷風のコスプレをした若い女が屯していた。品川の某ホテルのロビーでは、キューブリックの遺作『アイズ・ワイド・シャット』の乱交パーティーに出てくるようなドレスアップの上に仮面をした女達が足早に歩いて行った。

 この国はいつからハロウィンの国になった?先日、警視庁は渋谷のスクランブル交差点での警備人員を倍以上に増強する、と発表した。ハロウィンのドンチキ騒ぎのために、公費を使った官憲の手が煩わされるような事態にまで、ハロウィンは増長して憚らないのである。

ハロウィンから欠落する「怒り」

 一言で言えば私は、躁的なお祭り騒ぎが大嫌いだ。多人数が集まる事自体に、たまらない抵抗感がある。いや嘘をついた。私は臆面もなく、見ず知らずの人達が他者の垣根を超え、融合する空間が羨ましくてしかたがないのである。そのような意味で、バーベキューもクラブも合コンも憎悪しているが、一方で猛烈なあこがれがある。ハロウィンパーティーに対する不快感も、私の嫉妬という憎悪の裏返しであろう。

 しかし、どうしてもハロウィンに対する根源的な違和感を拭い去ることは出来ない。ハロウィンパーティーに興じる若者からは、一様に多幸的な笑顔がある。そこに怒りの感情は皆無だ。当たり前のことだが、パーティーにしかめっ面で来る人は居ない。みな社交的な人々ばかりだから、終始笑っている。

 ハロウィンパーティーに参加している人々を見て、私が若干恐ろしいと感じるのは、彼らには原初的な怒りの感情が存在しているのか?という疑問である。「トリック・オア・トリート」などといって渋谷や六本木で浮かれている彼らや彼女たちは、何か巨大な存在に対して怒ったことがあるのだろうか?怒りの感情が欠落し、ひたすら躁的な空間で仮装に興じる光景は、よく言えば平和の象徴でも有り、悪く言えば奇形的だ。

SEALDsは笑わない

 参議院で安保関連法案が成立した9月17日の未明のその日、私は国会前に居た。時刻はたしか深夜の1時を回った頃ぐらいで、共産党の志位氏や民主党の福山哲郎が最後の反対演説を行おうとしていた。その後、「生活の党と~」の山本太郎が喪服を着て牛歩まがいの抵抗を始めるが、それも虚しくすぐに投票となった。「志位は頑張れ」「安倍はヤメロ」「太郎は頑張れ」というラップ調のシュプレヒコールが、方々から絶叫とともにあがった。

 彼らには、笑顔がなかった。SEALDsの創設者の一人、奥田愛基さんの傍らで絶叫していた若い女性は、開票の後、法案が成立した瞬間、泣きそうな表情をみせ、しかしただちに怯むこと無く「安倍はヤメロ」のシュプレヒコールを再開させた。彼らには一様に、怒りの表情があった。

9月19日早朝まで続いた国会前の抗議集会で笑顔を浮かべる若者たち。マイクを持つのはシールズ中心メンバーの奥田愛基さん
 私は、安倍政権を微温的に評価し、安保法案の成立も支持している。「保有していないが行使できない」という集団的自衛権の従来解釈は異様であり、よって安倍政権の集団的自衛権の解釈変更と、限定的な容認を是とした安保法案の成立には首肯するよりほかない。

 が、立場はどうであれ、憤怒の表情を露わにし、笑顔のないSEALDsからは彼らの本気を感じることが出来た。よく、ニヤニヤと笑いながら「ラブアンドピース」などを訴える自称アーティストでピースボートに乗っていました、みたいなふざけた若者を観るたびに私は激しい吐き気をもよおす。彼らの護憲平和の思想が気に喰わないのではない。平和を笑顔で語るという、その不誠実な態度に私は心底吐き気をもよおすのだ。

 平和を希求し、戦争を憎むのならその表情は笑顔ではなく怒りに変わるはずだ。広島の原爆資料館に行って、私は心からアメリカの戦争指導者を憎んだ。あるいは、ナチのユダヤ人虐殺の映像を観る度に、ナチの責任者らの鬼畜の所業に頭に血が上った。平和への希求は、笑顔からは生まれない。二度と再び戦争を繰り返させないという決意には、笑顔は似合わない。必要なのは怒りだ。

それは非日常などではない

 だから戦争反対などという掛け声を笑顔で言っている人間は嘘つきである。多幸感に満ち溢れ、怒りを忘れたハロウィン・パーティーからは、このような欺瞞と恐ろしさを感じる。そのような意味で、SEALDsの主張には賛同できない部分があるが、少なくとも彼らからは本気度を感じた。

 「年に一度くらい、ハレ(非日常)があっても良いじゃないか」という意見もあるだろう。しかしそれは巧妙な嘘だ。ハロウィン・パーティーに参加できるような、他者との垣根の低いリア充は、10月にかぎらず、事あるごとにパーティーやイベントを繰り返しているはずだ。これは私の勝手な想像だが。ハロウィン・パーティーは「怒り」という人間の、もっとも重要な感情が根こそぎ欠落している点において、SEALDsの抗議行動のほうが余程マシ、と私は思うのである。しかしよもや、SEALDsのメンバーは、ハロウィンパーティーには参加するまいな。それを心から願う。