成馬零一(ドラマ評論家)

 2017年のNHK大河ドラマが『おんな城主 直虎』に決まった。主演は柴咲コウ。戦国時代に実在した女性の戦国武将・井伊直虎を主人公にした物語だという。

 2016年の大河ドラマが2004年の『新選組!』以来12年ぶりの三谷幸喜脚本、堺雅人主演の『真田丸』であるため、2006年に放送された仲間由紀恵主演の『功名が辻』以降、ほぼ一作品ごとに女性主人公の大河ドラマが放送されていることになる。

 もちろん、それ以前にも女性主人公の大河は放送されていた。初の女性主人公の大河ドラマは1967年の『三姉妹』。物語は幕末の動乱から明治維新までを舞台に 旗本の三姉妹で反骨精神の旺盛な浪人・青江金五郎を狂言回しにして幕末の動乱を描いた作品だ。

 主人公が無名の存在で、歴史の傍観者的な存在だったという作りは現在放送中の『花燃ゆ』にも通じる。しかし、これは影響というよりは、そもそも歴史上の偉人を主人公にすると、男性主人公に対し圧倒的に人数が少ないからだろう。そのため、名前が知られていない無名の偉人か架空の人物。あるいは偉人の妻や娘を主人公にせざるをえない。

 現在までついて回っている女性大河の弱点はこの時点で明らかだったと言える。

 そもそも、大河ドラマというものは日本のテレビドラマ史の中でも極めて特殊なジャンルだ。子どもから大人までの基礎教養だった歴史上の偉人に対する共通認識がまず成立していることが前提のドラマであり、多くの人がなんとなく知っている織田信長や豊臣秀吉、あるいは「本能寺の変」や「関ケ原の戦い」といった日本史の基礎教養が求められる。

 そのため、戦国時代以外の大河ドラマはどうしても視聴率的に苦戦してきた。

NHKの籾井勝人会長は定例会見のたびに「花燃ゆ」について辛口なコメントを繰り返してきた
 だがこれは世代の問題もあるのではないかと思う。筆者は今、38歳の1976年生まれなのだが、時代劇が基礎教養だったのは、筆者の父親の年代にあたる団塊の世代までが上限で、それより下の世代にとっては、漫画やアニメ、あるいはゲームがその代りを果たしている。

 それはビジネス書の定番が「歴史上の人物に学ぶ~」というタイプのものに「『機動戦士ガンダム』に学ぶ~」といったアニメ作品が混ざってきたことから明らかだろう。

 かつて司馬遼太郎の時代小説を読んでいた感覚で若いサラリーマンは『ガンダム』に接しているのだ。

 とはいえ、日本の歴史に30代が興味ないということはないかと思う。ゲームの『信長の野望』や『戦国BASARA』などを通して知識としては知っていたりする。

 あるいは『龍馬伝』のチーフディレクターだった大友啓史が監督した映画『るろうに剣心』の原作漫画の影響などもあって、幕末の知識も実は持っている。

 話を戻そう。

 いわゆる女性が主人公の大河ドラマで、近年もっとも成功したのは2008年の『篤姫』だろう。本作も『三姉妹』や『花燃ゆ』と同様に幕末の動乱の中で、実は歴史の裏舞台で活躍していた天璋院篤姫の生涯を描いたドラマである。

 そのため、篤姫の物語と同時進行で坂本龍馬などの維新志士などのドラマが描かれていく。

 男性主人公の戦国時代モノが圧倒的に優勢の大河ドラマの中で、幕末が舞台の女性主人公モノがここまであたったのは、宮崎あおいの演技などいろいろな要素があるのだが、何より『新選組!』から入ったような若い大河ドラマ視聴者にとっては幕末という舞台はむしろなじみのあるものだったからだろう。

 その後、2010年の『龍馬伝』2013年の『八重の桜』2015年の『花燃ゆ』と幕末モノが増えているのも、かつてはわかりにくいと言われた幕末がある種の基礎教養として定着しているからという作り手の認識がうかがえる。

 だが、それ以降の大河ドラマの苦戦を考えると、むしろ『篤姫』の成功が大河ドラマの足枷となっているようにも感じる。

 また、近年の大河を考えるうえで『篤姫』と同じくらい重要な作品は『龍馬伝』だ。

 敵対的買収の内幕を描いた『ハゲタカ』などで高い評価を得ていたチーフ演出の大友啓史は撮影にプログレッシブカメラを持ち込み、臨場感のある生々しい映像を生み出した。

 それはもちろんストーリーにも反映されている。『ハゲタカ』などで描いてきたグローバリズムに直面した2000年代の日本を、幕末末期の開国を迫られている日本に置き換えた物語は実にハードなものだった。それまで、お約束で成り立っていた大河ドラマに物語、映像、両方の面で革命を起こしたのだ。

 しかし、その新しさは、大河ドラマに安定感を求めていた年配の視聴者からは拒絶された。この傾向は2012年の『平清盛』では、より顕著となり、賛否は大きく別れた。兵庫県知事に『画面が汚い』と言われたという話は、旧来の大河ドラマに年配の視聴者が求めていたものがよくわかる話だ。

 余談となるが、龍馬伝と同じ年に放送された連続テレビ小説は『ゲゲゲの女房』だった。現在、テレビドラマではクオリティと視聴率、両方の面で朝ドラの一人勝ちといえる状況が続いているのだが、それは『ゲゲゲの女房』からはじまっている。つまり『龍馬伝』と『ゲゲゲの女房』が登場した2010年はNHKドラマにとっても大きな転換期だったのだ。しかし、人気が盛り返した朝ドラに対して、大河は現在苦戦しており、明暗は大きく別れた。

 現在の大河ドラマを見ていて思うのは、映像やストーリーにおける作り手の本気度がうかがえる一方で、そのクオリティの高さゆえに視聴者にとって敷居の高いものとなっているということだ。

 この敷居の高さ(あまりに情報量が多いために見ていて疲れる)に対して、朝ドラは一日15分×6日を半年かけて放送するという視聴環境の見やすさでカバーしているのだが、大河は毎週45分×一年という長丁場。再放送は他の民放ドラマに比べればはるかにフォローされているが、日曜日の放送とはいえ、これはよっぽど好きでなければ追いかけるのは困難だろう。

 これに関連して思うのは、大河ドラマを見ていると、途中まではよかったのに「後半になるにつれてガタガタとドラマが崩れていっているなぁ」と感じることが多い。

 例えば、『八重の桜』は全体でみると決して出来のいい作品ではないが、物語中盤の鳥羽・伏見の戦いにおける籠城戦に関しては戦争を描いた作品として文句なしの傑作だったと言える。

 逆に前半は主人公の八重(綾瀬はるか)が物語に絡まず、状況説明が続き、後半は活劇としての面白さはなくなってしまう。終わってみて思うのは、なぜ作り手は籠城戦だけで一年描こうと思わなかったのか? という疑問なのだが、大河ドラマは一年かけて一人の主人公の全人生を描かなければならないという先入観が強すぎるのだろう。同じことは『花燃ゆ』にも言えるのだが、コロコロと舞台が変わって何をやってるのかわからない惨状を見るに、松下村塾の話に特化して幕末を舞台にした学園青春ドラマとして、最後まで描くべきだったのではないかと思っている。

 こういうことが大河には多い。せっかく一年という長丁場を使えるのに、その使い方がへたくそだ。

 そんな中で三谷幸喜の『新選組!』が秀逸だったのは、一話で起こることを一日と決めていたことだ。こういった時間を限定して、その時起こったことをみっちり描くというやり方は、もっと模索されていいのではないかと思う。

 最後に、これは『龍馬伝』以降の大河ドラマを見ていて思うのは、英雄たちの戦いを痛快活劇として描くことが今の作り手にとっては難しいのかもしれない。ということだ。

 例えば戦国時代の歴史ものや剣豪たちが登場する時代劇が人気だったのは、あれこれ理屈をつけても、最終的にはチャンバラの戦闘シーンが痛快だったからだ。これは戦争映画などもそうなのだが、戦いを面白おかしく描くということに対して、今の大河ドラマの作り手はどこか躊躇しているように見える。その変わり『龍馬伝』以降は、仮に戦国時代や幕末であっても戦いは悲しいもので、チャンバラは所詮、刀と刀で斬り合う殺し合いでしかない。という“暴力としての戦闘”を描こうとしている。

 こういったお約束で成り立っていたジャンルに暴力のリアリズムを持ち込むというのは、エンターテイメントではよくあることだ。時代劇でいえば黒澤明がそうだし、ロボットアニメで言えば『機動戦士ガンダム』がそうだった。そしてそういう作品は評論家や有識者からは高い評価を受けやすい。

 しかし、それ以降に起こるのは大抵、ジャンルの衰退で、『龍馬伝』以降の大河ドラマを見ているとどうしても、同じことが起きていると感じてしまう。

 と同時に思うのは大河ドラマが戦国時代や幕末が多く、いわゆる第二次世界大戦などの昭和の戦時下を描いたものがないのは、娯楽としての戦いを描くことが難しいからだろう。逆に朝ドラの舞台で多いのは明治末期から昭和初期にかけてであり、そこで日本の戦争は常に批判的に描かれ、娯楽活劇として描かれることはない。

 『龍馬伝』や『花燃ゆ』を見ていると維新志士を現代のテロリストに重ね合わせる描写が多々見られる。これ自体は現代性を意識した作り手の誠実さだとは思うのだが、一方で思うのは、そうやってなんでも暴力と悪だと片付けてしまうと、ドラマとしてのカタルシスはなくなるよなぁ。と、思う。

 女性主人公の大河が増えているのも、突き詰めるとこのことが原因だろう。

 つまり今の時代において武士や維新志士を描こうとすると「戦いと立身出世」の物語を「暴力と権力闘争」に彩られた“呪い”の物語としてしか描かないからだ。これは男性原理の呪いと言っても過言ではなく、そこから自由になれる存在は女性だけだ。というのが根本の発想にあるのだろう。

 個人的にはそれ自体、偏見に思えるのだが、『江~姫たちの戦国~』において散々批判された「戦は嫌にござりまする」のいう台詞の不自然さや、あれだけ鉄砲でガンガン敵を撃ち殺していた八重が後半になるとしおらしくなるのは、そういった背景があってのことだと言えよう。
 
 つまり、今の大河が陥っている困難は

1.ストーリーと映像のハイクオリティ化によってもたらされた敷居の高さ
2.一年間という長尺の使い方のへたくそさ
3.活劇を暴力としてしか描けないこと

 の三点だ。2.以外は見方によっては美点ともいえるのだが、少なくとも日曜夜8時から放送し、年配の視聴者に向けて作り続けている以上は、今後どんどん足枷となっていくだろう。