新井克弥(関東学院大学文学部教授)

 ここ数年、ハロウィンがやたらに盛り上がっている。アメリカ式(現在、日本で流行っているスタイル。起源はアメリカのものよりさらにずっと古く、カボチャもなかったらしい)の行事スタイルが、21世紀に入ってから、なぜか日本でもやたらとウケるようになった。僕は、いちおう子どもの頃からハロウィンの存在それ自体は知っていた。C.シュルツのマンガ『ピーナッツ』(日本でこのマンガは『スヌーピー』としばしば勘違いされている)のキャラクターの1人、ライナスがハロウィンの熱烈な信者で、毎年この時期になるとカボチャを作って畑でカボチャ大王(ライナスの妄想だが)の降臨を待つというネタがあったからなのだけれど。でも、当時はそんな程度、つまりあちらの国の風習というイメージでしかなく、ハロウィンそれ自体はほとんど知られていなかったし、イベントも行われていなかったはずだ(協会でやられていた程度では?)。日本人の間で結構メジャーになるのは90年代に作成されたT.バートンの映画『ナイトメアー・ビフォア・ザ・クリスマス』あたりからじゃないだろうか。

 まあ、そうは言ってもこの1~2年の盛り上がり方はちょっと異常という感じがしないでもない。で、その理由について、いくつか考えてみた。

1.広告代理店のせい
 電通・博報堂あたりが、あんまりイベントのない11月前後を狙ってビジネスマーケットを作ろうとハロウィン・イベントをでっちあげた。

2.企業や官公庁が町おこしのネタにした。
 典型的なのは川崎の商工会議所が地域活性化のために繰り広げたハロウィン・イベントで、現在、10月半ばからは二週間にわたって川崎駅東のエリアがもりあがる。11月はじめの週末は巨大な仮装行列状態。これはもう18回目を数えているが、ただし、これだけの盛り上がりを見せるようになったのはここ数年だ。

3.ディズニーランドのせい
 東京ディズニーランドも、取り立ててイベントがなかった10~11月をイベントで埋めて集客効果を狙おうとイベント、ディズニー・ハロウィンを1997年から開始している。パレードは2002年から、ゲストの仮装も2002年から。その後次第に盛り上がり、2009年からは東京ディズニーシーでもイベントが開始されている。
仮装して渋谷の街を練り歩く人々=10月31日午後、東京都渋谷区
仮装して渋谷の街を練り歩く人々=10月31日午後、東京都渋谷区
4.ドンキホーテのせい
 ハロウィーンの盛り上がりに合わせて、仮装グッズが一般にも売り出されるようになる。当初は、こういった仮装グッズはごく一部のマニアックな店でのみ販売されており、パレードやパーティに参加するとなれば、その多くが自作を余儀なくされていたが、盛り上がりとともに、あるいは盛り上げるかたちで、こういった既製品のハロウィン仮装グッズがあちこちで売り出された。そして、それを大量にバラまいたのが、今や全国に展開しているドンキだった?。

5.コスプレのせい
 コスプレがオタク・アニメ文化の一つとして台頭し、いまやクール・ジャパンの旗手みたいな扱いを受けるほど社会的に認知された。だが、まだなかなかおおっぴらにストリートでやるというわけにはいかない。ところがハロウィンで一般道をパレードとして開放されれば、コスチューム・プレイはコスプレ・イベント会場に限定されることはなくなる。コスプレ、見方を変えれば「仮装」だからだ。だから、おおっぴらにやれる。そこで、ハロウィンにかこつけてコスプレイヤーたちが渋谷や川崎に集結した。

6.日本人の横並び感覚のせい
 こうやって、勝手に盛り上がってくると、今度はマーケットで言うところのマジョリティ(アーリー・マジョリティ、レイト・マジョリティ)がバンドワゴン効果的に、これに乗っかってくることになる。この連中はさして気合いを入れてやっているわけでもなく「周りがやるから、自分もとりあえずやっておこう」くらいの気持ちでパレードに加わり、結果としてパレードやパーティが盛り上がる。ちなみに、この連中はコスプレイヤーのように本気ではないので、魔女とか、カボチャ頭とかのありきたりの格好をしている。もちろん、これはドンキみたいなその辺のグッズ屋で買ってくるわけなんだけど。で、これは最終的にはネタとして仲間内で消費される。つまり、やっぱり「みんなで盛り上がりたい」。ただし、この「みんな」とは仲間内のことであって、パレードにドーンと出没する膨大な数の人間たちは「みんな」ではなく「盛り上がりためのグッズ=風景」、渋谷や川崎は「環境=風景」。だから、仲間内以外には一切関心はないし、自分が楽しめる環境が、その後どうなろうが知ったことではない。で、祭りの後の渋谷の街はゴミだらけになったんだけど。

7.目立ちたがり屋がメディア露出を狙う?
 これだけメディアが取り上げると、今度はテレビとかのメディアへ露出を目論んだ目立ちたがり屋が派手な露出を考える。テレビで紹介された中には、女子高生らしきティーン5~6名が東京エレキテル連合の格好をしているものがあったが、これなどは見事な「メディアねらい」だ。ただし、これはメディアがオモシロイ、キャッチーと判断したから取り上げられるので、パレード行列全てが、こんなキテレツな格好をしているというわけではない。むしろ、その多くはフツーのハロウィン装束か、地味なキャラの仮装だ(なぜか、ずっとあるのが「ウォーリーを探せ」のウォーリー装束(赤白横縞のシャツ・丸メガネ・帽子)の参加者たちだ)。

8.ファミリーイズム=イベント家族のせい
 今や家族の絆はかつてのように経済的なしがらみで出来上がっているのではない。親も子どもも自由に振る舞え、楽しいパートナーとして年がら年中イベントをやり続けることによって絆を確かめるというスタイルになりつつある。言い換えれば「イベントなければ家族ではない」みたいな。その家族の絆を確かめる手段の一つとしてハロウィン・パレードが登場した。もちろん家族で仮装するのだけれど。この手の参加者が今年、娘にさせる格好の人気ナンバーワンは『アナ雪』のエルサだった。


 と、まあいろんな要因が考えられるのだけれど、結局のところ、この全てがグチャグチャになりながら、その関数=重層決定としてハロウィンのあやしげな盛り上がりが成立したんじゃないんだろうか。だから、渋谷や川崎を取り囲む人々は一筋縄で括ることは出来ない。老若男女、マニア=オタクからなーんちゃってまで、とにかく実にさまざまでバラバラな欲望に基づいて、人々はハロウィンを楽しんでいたはずだ。そして、これは「欲望に基づいて一時的に集合する集団=集合」、つまり社会学で言うところの「群集」に他ならない。同じ感情を共有するゆえ、それぞれが感情的に盛り上がることが出来る(かつてビートたけしの名文句「赤信号、みんなで渡れば、怖くない」の図式だ)。ただし、感情は共有するけれど欲望やニーズはそれぞれ異なっている。言い換えれば感情以外にはつながりのない「原子化」された単位から構成されている集団。

 まあ、いつまでこれが持つのかはわからないけれど。一過性のものなのか、それともクリスマスみたいになってしまうのか?
(ブログ「勝手にメディア社会論」より2014年11月11日分を転載)

あらい・かつや メディア研究者。関東学院大学文学部教授。ブログ「勝手にメディア社会論」を展開中。メディア論、記号論、社会心理学の立場から、現代のさまざまな問題を分析。アップル、ディズニー、バックパッカー、若者文化についての情報も。