森口朗(教育評論家、東京都職員)

 ハロウィンのバカ騒ぎが世間、とりわけ保守系の人たちから白い目で見られています。しかし、私はハロウィンの盛り上がりは、良い意味で極めて日本的な現象であり、日本を愛する者として、この盛り上がりを喜んで迎えると共に、その背景に一抹の寂しさを覚えています。

 まず、白眼視に対する反論から。ハロウィン騒ぎを非難する論の根拠は様々です。ひとつひとつ反論していきましょう。

1 単純に西洋の祭で、日本のものじゃないから、「日本人たるもの浮かれるんじゃない」という主張
 だったら、クリスマスやバレンタインはもちろん、お釈迦様の誕生日を祝うと言われている花祭りも否定という事になります。ことさらハロウィンだけに当てはめる話じゃないでしょう。

2 キリスト教がヨーロッパでケルト人を取り込む際に使った祭だから、少数民族弾圧ぽくってダメという主張
 世界宗教が使うよくある手法です。仏教にも色々な仏様がいますが、元をたどれば異教の神様だったなんてざらにありますから。ちなみにクリスマスもケルト人の祭に遡ることが可能です。

3 商業主義に乗っかるものだから、くだらないという主張
 バレンタインが盛り上がり始めた時もこういう主張はあった気がします。何かと「商業主義」という言葉を使って習俗の盛り上がりを批判する人がいますが、習俗と商業主義と結びつくのはむしろ当然。商売を批判したいのなら、伝統的な日本の祭に出る的屋の背景に暴力団がいる事の方がよほど批判のやり甲斐があると思いますよ。

4 バカ騒ぎは日本の祭の本来の姿ではないという主張
 誤解ですね。確かに伊勢や出雲の厳かな祭は極めて日本的なものです。庶民レベルで言えば正月に一族なり一家なりが集まって「おせち」を食す時もある種の厳かさが漂います。しかし、一方で盆踊りの時には、江戸時代までは公然と、明治時代も実際は多くの村で老いも若きも乱交をしていたのです。厳粛さと乱痴気騒ぎ。日本人にはまったく異なる「ハレ」の日の過ごし方があるのです。

 では、何故これが良い意味で日本的なのか。換骨奪胎して意味なんか考えずに受け入れる。これが極めて日本的です。

 クリスマスも戦前は極限られた家庭のものでした。しかし、戦後、夜の街で受け入れられます。昭和の頃の「サザエさん」を読むと、よっぱらったサラリーマンが三角帽子をかぶって家路に向かう姿が描かれています。それが徐々に家庭の祭になり、80年代バブル時代には恋人達の祭になっていった。そこにはキリストの生誕を祝う気持ちなど欠片もありません。

 敬虔なクリスチャンは嘆くかもしれませんが、それこそが日本の祭の受け入れ方なのです。

 地域の祭にしたって、収穫祭、豊作・豊漁祈願、疫病厄除け等を起源とするものが多くありますが、今それを意識してお参りする人などほとんどいません。御祭神さえ知らない。宗教そのものを意識せず、宗教行事の空気感だけを味わう。これが多数派日本人のあり方なのです。

 正月の厳かさ、縁日や神輿が出る祭の盛り上がり、クリスマスの「聖夜っぽさ」。それぞれ空気感だけを味わう。そして、今そこにハロウィンの「バカ騒ぎ」が加わろうとしている。まさに日本的ではありませんか。

 しかも、昨年に街が汚れたことが批判されると、今年はボランティアの人たちが出て、繁華街は普段にも増してキレイになった。これも日本人の素晴らしさが現れていると思います。

なぜハロウィンなのか


 しかし、正月があり、春祭り、夏祭り、秋祭り等の地域の祭があり、バレンタインデー・ホワイトデーという恋人達の祭があり、クリスマスがある中、なぜ、ハロウィンが割ってはいり盛り上がっているのでしょう。

 私は、ハロウィン以外の全ての祭が、実は「会員制パーティー」と化しているからだと思っています。

 正月は、実家や家族を持たない人にとっては孤独を確かめる時間に過ぎません。バレンタインデーやホワイトデーは、もちろん義理チョコさえもらえない非モテ男子、渡すだけで変な空気になる非モテ女子には辛い日ですし、クリスマスさえ最近は家族又は恋人がいない人には辛い日になりました。最も多くの人に開かれていた地域の祭は、今では地主や商店街の人間以外、神輿を担ぎませんかという声さえかかりません。

 でも、ハロウィンは地域社会につながりを持たない人、実家も家族もない人、恋人のいない人。全ての人に開かれた祭なのです。奇抜な恰好をして渋谷や六本木を歩けば、たった一人でも色々な人に声をかけられ、写真まで一緒に取ろうと誘われる。

 私は、今年、夕方の渋谷に出かけましたが、これこそが本当の祭なのではないかと思った次第です。

 どんな人でも、日常とかけ離れた時を楽しみたい。そのためには、全ての人を受け入れる空間や時間が必要です。ハロウィンの盛り上がりは、「富」「社会的地位」「家族」「恋人」等々の価値あるものを何も持たない人が楽しむ空間と時間が、現在の日本にいかに少ないかを象徴しているようにも思います。これが私がハロウィンを楽しみつつも、一抹の寂しさを感じる所以です。