大場大(東京オンコロジークリニック院長)

「川島なお美 手術の是非」という文藝春秋の記事


 最近、ニュースキャスター、黒木奈々さんの「胃がん」、女優、川島なお美さんの「肝内胆管がん」による訃報が重なり、ミュージシャン、つんく♂さんの「喉頭がん」やタレント、北斗晶さんの「乳がん」との闘病記など、集中的に著名人の「がん」報道が各メディアから流れてきます。

 そのようなタイミングを見計らったようにして、『文藝春秋11月号』(文藝春秋)で近藤誠医師による記事が掲載されました。近藤氏といえば、文藝春秋にとってみれば、これまでに多くのセンセーショナルな医療記事やベストセラー著作を生み出してきた、いわば切っても切れない常連仲でもあります。そのような背景はあるにせよ、今回の川島さんの記事について、主観を一切そぎ落としたうえで、一臨床医として読み進めていくと、その内容には、信じ難い多くの問題を抱えていることがわかりました。

 いくら一般向け読み物とはいえ、「がん」という病気を扱った医学情報を基にした記事としての内容としては極めて異質であり、それら医学的な誤りについてこのブログで糺してみようと思います。

「医師の守秘義務」に抵触しているのでは?


 先ず記事の冒頭で、「法律上、亡くなった方は医師の守秘義務の対象ではなくなりますが、(以下略)」(P188)という前提を置いたうえで、亡くなられた川島さんの個人情報をベラベラと公で語り出すのは倫理的にいかがなものでしょうか。まだまだ心の深いキズも癒えていないはずの、夫の鎧塚さんもさぞかし不本意なことだと思われます。たった一度、わずか30分間お話しただけの医師が、川島さんご本人に対して本当にそのような裁量権を持ち得るのでしょうか。

 医師の守秘義務とは、「医師・患者関係において知り得た患者に関する秘密を、他に漏洩してはならない」という医師の義務のことです。法的に云々という前に、本来は専門職業(プロフェッショナル)に従事する医師の倫理上の義務だということになります。古くは、『ヒポクラテスの誓い』において、「治療の機会に見聞きしたことや、治療と関係なくても他人の私生活について洩らすべきでないことは、他言してはならないとの信念をもって、沈黙を守ります。」と述べられています。それを引き継ぎ、1948年に採択されたジュネーブ宣言の中でも、医師の守秘義務について、「私は、私への信頼のゆえに知り得た患者の秘密を、たとえその死後においても尊重する。」と述べられています。

 では、法的義務としてはどうかというと、日本において医師の守秘義務違反については、プライバシー侵害等の不法行為に該当するか否かをめぐり、民事上の責任が問われた先例があるようです。しかし、明文でこの問題をとり上げているのは刑法の次の規定があります。

刑法134条(秘密漏示)第1項

「医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産婦、…の職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、6月以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。」


 川島なお美さんご本人の同意があるとは決して思えない状況下で、近藤氏は法的云々を前提に置く前に、先ずは医師として遵守すべき医療倫理が欠如しているといえるでしょう。ちなみに、川島さんが訪れた「近藤誠がん研究所・セカンドオピニオン外来」のホームページに明記されている「個人情報の管理と保護」がまったく遵守されていないということになります。

「肝内胆管がん」の医学的な誤りについて


 川島なお美さんの訃報が流れたタイミングで様々な専門性を持った医師たちがメディアを介して盛んにコメントをされていました。しかし、時系列として彼女が患った「肝内胆管がん」と診断された時点における重要な各論は皆無であったような気がします。「予後が悪いがん」だから、手術をしても治らなかったのでは?と、なんとなく決めつけられたフワフワした議論もみられました。本当にそうだったのでしょうか。

 記事の文面通りに解釈すると、8月の中旬頃に都内の有名ブランド病院で「肝内胆管がん」が発見されています。その1カ月後の9月12日に、川島さんは近藤氏のもとを訪れ、セカンド・オピニオンを求めました(P189)。そのやりとりの中で、過密な仕事スケジュールや主治医との折り合いも悪かったようですが、11月にもう一度、病気の進行具合を確認したうえで12月23日に舞台が終わってから治療を受けたい意思を示したうえで、「(近藤)先生、そんな仕事優先の私は間違っていますか」(P191)と尋ねたようです。

 それに対して、近藤氏のコメントは、「転移はありませんでしたし、川島さん自身も『早期発見だった』とおっしゃっていたんですが、胆管がんは膵臓がんなどと並び予後のきわめて悪いがんです。彼女の場合、腫瘍は肝臓の左葉の真ん中付近にあったんですが、いずれ目に見えない転移巣が明らかになってくる可能性が高かった。そうなるとステージ(病期)は末期のIVということで、切除手術自体が無意味ということになってしまいます」(P191)。身勝手に末期のステージIVと決めつけ、要するに手術を受けないように薦めているのです。

 詳細な情報がありませんので明確なことは言えませんが、同様な病気を患われた方がこの記事にある誤った情報に引っ張られないためにも、以下指摘してみます。

「MRI検査で二センチほどの影が確認された」(P189)
「検査画像を見る限り転移はありませんでした」(P191)

 要するに、「腫瘍径:2cm大」「腫瘍個数:単発(1個だけ)」「転移:目に見えるリンパ節転移や遠隔転移を認めない」という条件の「肝内胆管がん」だと思われます。『原発性肝癌取扱い規約 第6版』(日本肝癌研究会編)に従うと、ステージII(2cmを超えた場合にはステージIII)ということになります。

 近藤氏は、転移がすでに潜んでいる「予後が悪いがん」と決めつけていますが、上記条件の川島さんの「肝内胆管がん」に対して、がんの取り残しなく、しっかり手術を受けるとどれほどの予後が予測されるかご存知でしょうか。

 質の高い手術レベルで有名なジョンズ・ホプキンス大学(米国)の外科医、Hyder医師の報告によると、514例の「肝内胆管がん」を治療した成績をふまえて提案した「ノモグラム」という予後予測解析ツールというものがあります(JAMA Surg 2014;149: p432-438.)。

 それを使って川島さんの予後予測をしてみますと、近藤氏のもとに訪れた時点では、少なくとも

「手術によって3年生存率は80%以上、5年生存率は70%以上」

という結果になります。あくまでも予測ですが、この「ノモグラム」には再現性があり、診断当初はいくらでも治せるチャンスがあったと言えます。