高月靖(ノンフィクションライター)


 韓国に深い傷跡を残した2014年4月のセウォル号沈没事故。この痛ましい惨事はまた韓国社会に巣食うさまざまな病弊を炙り出した。その1つが韓国軍の不正問題。きっかけは海難事故の救助を目的に約170億円を投じた韓国海軍の最新鋭救難艦「統営」が、全く役に立たなかったことだ。

 2010年の韓国哨戒艇沈没事件を機に建造された「統営」は、水中探索機や最新鋭ソナーなどのハイテク救助装備が目玉。本来なら2013年に実戦配備され、翌年のセウォル号事故でも出動できたはずだった。だが2012年の進水後、装備品の欠陥が次々に発覚。そのせいでドックに塩漬けされ、出航すらできない有り様だった。

 軍の装備を納入する企業に天下りした軍幹部OBが手抜きと横領で私腹を肥やし、生死のかかった現場の装備は欠陥品だらけ――。セウォル号と「統営」の問題を受けて2014年11月に発足した合同捜査団が明らかにしたのは、韓国軍のこんな実態だ。

 軍の深刻な不正は社会を驚かせたが、いっぽうで「またか」というおなじみの既視感も拭えない。例えば朝鮮戦争のさなかだった1951年には、国民防衛軍事件が起こった。10年に一度の大寒波のなかを約50万の韓国兵が徒歩で行軍した際、軍幹部が食糧や装備品の予算を横領して飢餓などの大惨事を招いた事件だ。死者の数は9万人に上るともいわれる。

 こうした不正の原風景は、朝鮮王朝時代末期の19世紀中頃まで遡ることも可能だ。地方の兵器庫に納められているはずの武器、武具を地方官僚たちがごっそり売り払っていたことが、フランス人宣教師の詳細な報告に記されている。

 もちろん不正腐敗は日本をはじめ全ての社会にあるし、個々の事例を思い込みで結びつけるのも早計だ。ただあくまで1つのヒントとして、こうしたもろもろの既視感を手っ取り早く消化してしまえるキーワードがある。それが「儒教」だ。

伝統的な儒教様式で行われた「国際花と緑の博覧会」韓国庭園の起工式=1989年10月26日、大阪・鶴見緑地
 韓国の儒教といえば「女性軽視」「敬老精神」「冠婚葬祭」「男児選好」など、目に見えやすい伝統文化がよく話題にされる。またその弊害の解消を通じて「現代韓国は儒教社会から脱皮しつつある」というのも定説だ。だが500年にわたって人々を支配した伝統的思考は、彼ら自身も意識しない不可視の領域にいまも根を張っている。

 明との君臣関係の上に成立した朝鮮王朝は、儒教を統治理念に据えた。その中核思想となったのは、大義名分を重視する朱子学。これに基づいて身分、年齢、性別、家族の続柄などが、全て垂直の上下関係に位置づけられた。そしてこの序列を人が生きる倫理、モラルの絶対的な根源とし、貴族から庶民まであらゆる階層が徹底的に教化されていく。

 やがて朝鮮王朝の朱子学は17世紀以降、形式的な「礼学」の追究に終始して発展が停滞。また儒教の序列と相容れない西洋文明は忌避され、科学技術の進歩も道が閉ざされる。こうして儒教理念一辺倒のまま硬直化した朝鮮は、官僚、貴族たちの凄まじい不正腐敗で荒廃していった。彼ら支配層の意識にあったのは、垂直の序列に沿って上昇することだけ。地方官僚も中央政府への登庁しか視野になく、後先を顧みない収奪に明け暮れた。他人の生死を顧みず蓄財に奔走する軍幹部OBも、同じ構図に違和感なくオーバーラップする。

 誰もがひたすら中央を目指す垂直型の上昇志向は、学歴偏重と受験戦争を生み出す原動力でもある。科挙試験で地方貴族が中央に任官された時代は20世紀初頭に終わったが、上昇志向の構造はいまも同じだ。その後の日本統治と朝鮮戦争を経て間もない1960年代、韓国では早くも受験戦争の過熱が社会問題化している。1969年に中学受験を廃止、1974年に全ての高校の学力を平準化するなど、対策の歩みは半世紀に及んだ。生き方、働き方の多様化も模索が重ねられているが、受験戦争は相変わらずだ。学習塾などの「私教育」費は家計を圧迫し、個人債務の膨張や少子化の要因にまでなっている。

 厳しい上下の序列は、もちろん職場での人間関係も同様だ。一般論としてよく言われることだが、上司へのつけ届けなど派閥内で上昇するための気配りは日本企業の比ではない。また韓国に特徴的な企業文化として、縁故を重視する「情誼主義」も儒教社会の名残りだ。血縁、地縁、さらに学縁といった単位で集団の序列が束ねられ、縁故者に便宜を図ることを美徳とする風潮さえ伺わせる。そして血縁の序列に基づく繁栄の継承という儒教の一大テーマが、創業者一族による所有と父から子への権力継承という財閥のアウトラインを形作っている。

 こうした序列を高みから俯瞰すると、見えてくるのが中華思想だ。地理的な位置関係が儒教倫理の優劣に置き換えられ、中華により近い朝鮮が辺境より道徳的に優れているという世界観を導き出す。したがって領土問題を巡る対日批判も、「倫理的に誤った状況を正さなくてはいけない」といったモラル上の使命感をしばしば漂わせる。

 そのほか法律より国民感情を優先する「国民情緒法」といった概念も、儒教をふまえれば理解が容易だ。朝鮮の儒教社会において人が作る制度は、理念や倫理の下位に置かれる低次元なツールにすぎない。つまり倫理的な正統性があれば、法律など後から改変しても構わないという思考が成り立つわけだ。このように大義名分を主張することで規定のルールや約束を乗り越えようとする姿は、K-POPや韓流スターの契約騒動にさえ見受けることができる。

 もちろん韓国人の思考を形作る要素は「儒教」だけではない。地理的・歴史的環境、南北のミリタリズム、また国際社会のスタンダードな価値観までが無数に絡まり合っている。だがそれらを単一の切り口で分かりやすく抜き出すキーワードとしては、まだ有効といえるだろう。