一番ふさわしいポストに感謝


 今年一番のうれしいニュースが飛び込んできたのは21日の朝だった。阪神のOBで球団本部付育成&打撃コーディネーター(DC)を務めていた掛布雅之(60)の「二軍監督」就任が決まったという。

 早速、宮崎での二軍の強化試合「フェニックス・リーグ」に帯同している掛布に電話を入れた。

 「自分に一番ふさわしいポジションを与えてもらったと思う。球団に感謝している。精いっぱい、力の限り頑張るよ」

 その声は喜びを抑え、あらためて「若手の育成」という責任の重さを感じているかのようだった。

◇ 

 思えばここまで長い道程だった。1988(昭和63)年9月に現役を引退。縦じまのユニホームに別れを告げて実に27年が経過している。

 27年前、野球評論家への道が決まった掛布へ“お説教”したことがある。

 「カケ、評論家をするこれからの数年間が大切やで。単に外から球界を見る-という勉強だけやない。いろんな球団の人と出会い、話をして、自分が阪神の監督になったとき、支えてくれる“人材探し”の時間。仲良しコーチ陣はアカン。掛布監督なら江川を投手コーチぐらいにせな」

 同い年だとはいえ、ミスタータイガースになんとも偉そうなことを言ったものである。あれから27年…。

 他球団から「監督」や「コーチ」のオファーはあったものの、古巣阪神からは待てど暮らせど、一度もなかった。だから一昨年、阪神から「ゼネラルマネジャー(GM)付育成&打撃コーディネーター」の声がかかったときは-。

 「聞いてくれよ。タイガースが若手を教えてほしいって! 早速、解説の仕事のスケジュールを変えなくちゃ」と子供のように喜んでいた。

 だが、掛布は球団から支給されたユニホームをなかなか着ようとはしなかった。キャンプなどの指導はジャージー姿が多く、ユニホームを着る場合でも必ず上はジャンパーを羽織った。言葉には出さなかったが、背番号が付いていないユニホームが寂しかったのである。けれど、今度は違う。堂々と胸をはって背番号の付いたユニホームが着られる。

 「31番? それはない。絶対にない。いくら今、空き番でも付けないよ」

 さてどうなるのか。掛布二軍監督の背番号はまだ決まっていない。

◇ 

 掛布二軍監督就任-を受け、球界には早くもこんな声が起こっている。

 「これでもし、金本知憲監督(47)が失敗しても、そのときは掛布一軍監督だ」

背番号6と31のユニフォーム姿で甲子園球場に現れた阪神・金本監督(左)と掛布2軍監督(右)=10月30日、甲子園球場(撮影・村本聡)
 確かに最悪そうなった場合、掛布が球団の要請を断りはしないだろう。だが、今の掛布の心の中には、そんな“野心”はまったくない。

 実はGM付育成&打撃コーディネーターに就任し1年がたった今年のある日、掛布にこんなことを言った。

 「DCの仕事ってカケに合ってるな。若い選手を教えてるときの顔、めちゃくちゃに楽しそうや。あんな顔を現役時代、一度も見たことなかったなぁ」

 「そう、オレは選手が大好きなんだよ。うまくなってほしい。かわいくてなぁ。そんなにうれしそうか?」

 「あぁ、幸せそうや。怒らないで聞いてくれるか。カケは一軍の監督よりも二軍の監督の方が向いてると思うんやが、どうや?」

 「実はボクもそう思ってきたんだ。ボクは選手が好きだから、きっと非情になれないだろうなって」

 「それでええやん。目指せ、二軍監督や!」

 この時は冗談で終わった。

将の思い 「悪習」打ち破れる人


 キャンプ中の故障-オープン戦の不振。和田豊監督からは「4番」構想撤回を示唆する発言。掛布DCの前にやって来たゴメスの顔には悲壮感が漂っていた。

 「監督やコーチからも『右肩が下がってバットが下から出ている。もっと上からたたけ』といわれているが、なかなかできない。どうやれば右肩が下がらなくなるのか教えてほしい」

 助っ人の突然の申し出に掛布は笑顔で答えた。

 「君の場合は右肩を意識するんじゃなく、右の軸足を意識したほうがいい」

 ゴメスは驚いた表情になった。

 「肩ではないのですか?」

 「そう、君の場合は踏み込んだときに軸足の右ひざが極端に折れる。だから右肩が下がるんだよ。ボールを迎えにいって打つのではなく、右の軸足にウエートを乗せ、体の近くまで引きつけてから踏み込んでごらん、右ひざの折れが少なくなって、肩も下がらなくなる。コツは右太ももに自分の体重を感じさせてあげることだよ」

 このひと言でゴメスは変わった。


 一軍の「将」としてではなく、二軍の「指導者」としての掛布の“価値”の大きさ。阪神球団は二十数年たって改めて気付かされた。そして、その掛布にもう一度、“本当の”ユニホームを着させようと尽力していたのが、9月23日に亡くなったゼネラルマネジャー(GM)中村勝広だった。

 一昨年、阪神が掛布をDCで招いたのも中村GMの提言。生前、中村は掛布の二軍監督就任、その必要性を球団首脳だけでなく電鉄本社上層部へも熱く説得して回っていたという。そして、その“遺志”を来月1日付で退任する球団社長の南信男が引き継いだのである。

 もちろん、そこには金本知憲新監督の掛布に対する昔からの「尊敬の気持ち」が存在する。「阪神のコーチは大きく育てれば大きくなる選手を、小さく小さくまとめてしまう。その方が簡単だから。だから、生え抜き選手で30本以上打てる打者が育ってこない」

 その“悪習”を打ち破れる人。金本新監督の心の中にも「掛布」があった。だからこそ南社長へ「1年ずっと一緒にやれないんですか」と訴えた。

 いろんな人たちの熱い思いが「掛布二軍監督」誕生の裏にはあった。

 勝つための「将」と育てるための「指導者」。しっかりとした両輪がそろった来季の阪神タイガースには大きな“夢”が見られそうだ。

(田所龍一)=敬称略