清谷信一(軍事ジャーナリスト)


 安倍首相は、徴兵制は憲法18条の苦役にあたり、以下のように述べている。「憲法18条には意に反する苦役は駄目ですよと書いてある。徴兵制度の本質は意思に反して強制的に兵役の義務を負う。なので、徴兵制は明確に憲法違反。これは憲法解釈で変える余地は全くありません。はっきり申し上げておきたい」と、述べている。
 換言すれば、政権与党である自民党は、現行憲法においては未来永劫この解釈を変えることはない、と断言したことになる。

 これは恐らく与党が安法法制に徴兵制を絡めることを封じるための方便なのか、安倍首相が本気でそう思っているか筆者には知る術がない。だがいずれにしても徴兵制を違憲とする安倍首相には政治家に最低限必要な歴史的教養と、軍事知識が欠如していると言わざるを得ない。
自民党のインターネット番組「カフェスタ」に出演し、徴兵制や安保関連法案などについて話す安倍首相。左は丸川珠代参院議員=7月13日午後、東京・永田町の党本部(代表撮影)
 確かに現在の軍隊は装備やシステムが高度化しており、習熟や運用には熟練が必要である。このため僅かな期間在籍し、しかも不承不承勤務を果たしている徴兵には向かなくなっている。また装備、システムの高度化はこれらの調達及び運用コストの高騰を招いている。この点からも大規模な徴兵制度を維持することに向かない。このため多数の徴兵よりも、少数志願兵によるプロフェッショナルな軍隊の方が望ましい。このことは筆者も繰り返し述べてきた。

 だがそれはソ連崩壊後から現在、そして短、中期的な未来の話であり、何十年後も先はわからない。技術革新や社会の変革などによって現在では想像も付かない世の中になっている可能性がある。未来永劫現在の延長にあると思うのは歴史的な教養にかける人物の発想である。歴史をみれば、歴史に絶対はないし、得てして大変革が起こるものであり、現在の社会の延長上にあるとも限らない。それは歴史を見れば明らかだ。長期的に未来を見通すことは人間にはできない、それができると思い込むのは傲慢に過ぎない。

 例えば誰が80年代にソ連の崩壊を予想しただろうか。また同様に80年代にだれが個人が携帯電話やスマートフォンと称するコンピューターを誰もが持ち歩く時代を想像できたろうか。また60年代には多くに人たちが将来旅客機はSST(超音速旅客機)になり、21世紀には亜音速のレガシータイプの旅客機は姿を消すと思っていた。だが、現実はSSTの方が姿を消してしまった。
 
 軍事技術や軍隊のあり方にしても現在の延長線上に発達するとは限らない。それは歴史が証明してきた。第一次世界大戦で登場した戦車は、歩兵の進撃を支援する目的で開発され、長らく歩兵直協が任務だったが、第二次世界大戦では戦車対戦車が戦う機甲戦こそが戦車の主たる任務になった。だがアフガンやイラク戦で戦車は歩兵のための盾となり、火力支援を行う歩兵直協が主たる任務に「先祖帰り」している。

 また新しい技術や戦術を唱えるものは得てして軍隊の体制では「異端扱い」されてきた。例えば戦略爆撃を唱えたジュリオ・ドゥーエは軍法会議で、政府を批判したとし一年の禁固刑に処せられて、その後予備役に編入されている。だが今日からみれば彼の見識は正しかった。同様に第一世界大戦後機甲戦を唱えた将校の多くは異端とされ、また空母が登場したときも航空機で戦艦を撃沈できる主張した将校らは異端とされた。

 つまり「現在の軍事常識」は将来の常識とは限らない。それどころか「将来の非常識」になることは歴史が多々証明している。つまり現在の「非常識・異端」こそが将来の「常識」になる可能性もあるのだ。だから現在の延長線上に未来を予想するのは極めて危険である。

 例えば将来兵器が自律したロボット化されて人間が戦わなくなるかも知れないし、どんなロボット兵器でも完全にハッキングされるので、逆にロボット兵器やネットワーク化が全く廃れてしまうかも知れない。その場合、兵隊の数が戦いを左右する大きなファクターになる未来がこないとは限らない。