山本みずき

 みなさんは24時間もの間、真っ暗でなにも見えない部屋に閉じ込められた経験はありますか? いつ解放されるとも、これから自分の身になにが起こるのかも分からない。そんな恐怖に支配されながら、永遠のように感じる時間の中、黙々と暗闇に耐えて、欲望を満たすことも許されない。話相手もいなければ、光も、時間の感覚もない。ただひたすら呼吸を繰り返す。唯一の刺激は身体の痛みだけである。映画『オールドボーイ』で描かれた、オ・デスの監禁生活を思い出す。平凡なサラリーマンだった彼は、何者かに拉致監禁され、なんと15年もの歳月を経て突然解放された。こんなにも長い時間、暗闇に閉じ込められると、人間はどんな精神状態に陥るのだろうか。そんなことをふと考えながら、私はロシア上空を越えてフィンランドに向かっていた。

 この航空券を手配したのは、搭乗から遡ることわずか36時間前。音信不通だった幼馴染から電話を受けてのことだった。その友人はフィンランドの帰国子女で、日本の大学に入学するために再び来日した。久しぶりに再会したとき、今年の夏は数年ぶりにフィンランドに戻ると聞き、彼は楽しげな表情を浮かべ、夏季休暇を心待ちにしていた。しかし、その後日本を離れて以来、しばらく連絡がつかなかった。何か起こったのではないかと、彼の恋人も心配そうにしていた。すると、ある日突然着信が入った。電話に出ると、彼は落ち着き払いながらも「時間に制限がある」と言って手短に話してくれた。
 いったい、彼の身に何があったのか。実は、その友人はフィンランドに降り立って早々、入国審査中に「兵役逃れ」の疑いをかけられ、そのまま軍隊に拘束されているということだった。「実はいま、窓もない独房に閉じ込められている」と打ち明けられると、すぐに「国際電話は高いから切るよ、じゃ!」と一方的に電話を切られたのである。こちらも何がなんだか分からず、ただモヤモヤだけが残った。私の性格上、こんな半端な情報しか与えられず不安なまま放っておかれると、他のことに手がつけられなくなる。

 いま振り返ってみても、この時の冷静だが、どこか切羽詰まった感じのする彼の声が耳に残っている。そう、あの時の彼の声は、乱暴だが正確に情報を殴り書きするペンで、私はただ書かれるままのメモ紙と同じだった。実際、彼に聞いてみたいことは山ほどあった。にもかかわらず連絡が取れないのであれば、私が現地に行くしかない。自分の中でそう決めて、電話から36時間後、フィンランドへ向かった。

 フィンランドに到着する頃には既に彼も解放され、晴れて自由の身となっていた。フィンランドでは、兵役を受けずに海外の大学に進学する人は兵役の延長手続きが必要となる。彼は日本でその手続きを済ませたはずだったが、本国との情報共有がうまくできていなかったことが今回の「事件」の原因らしい。結局、独房での拘束時間は24時間程度で済んだそうだが、短いようでとても長い時間である。拘束中はトイレも監視されていたそうで、独房から出たときは、フィンランドの景色と空気が一層素晴らしく感じられたと語ってくれた。
 フィンランドと言えば、ムーミンやアングリーバードといった世界で愛されてきたキャラクターの生みの親であり、冬にはオーロラやウィンタースポーツを、夏にはサウナや湖そして大森林の静寂が楽しめるなど、自然の恵みを活かした文化が根付いていることで知られる。教育水準が高く、さらには優れた法治国家として日本人の関心も高い。そんなフィンランドが徴兵制を施行していることは、日本ではあまり認知されていない。だからこそ「徴兵制を逃れて軍隊に拘束された」というこの一文だけをみると、より怖い印象を受けかねない。だが、徴兵制はフィンランド人に課せられた義務であり、それから逃れる行為が法に触れるのは当然である。他方で、私の友人がわずか24時間で釈放されたのは軍隊が憲法によって制限されていることの証左であり、フィンランドの法律では、24時間以上の拘束は明確に禁止事項とされているのだ。もし立憲主義が蔑ろにされ軍隊あるいは国家の権力行使が制限されていなければ、24時間以上監禁されることもあり得たはずである。普通の人が独房で24時間以上も拘束されれば、その先に待っているのは精神の発狂なのかもしれない。

 もし、読者のみなさんがこの話にある種の恐怖心を抱いたとすれば、それはフィンランドの法律に対して深い知識がなかったからか、あるいは胸のどこかで「徴兵制度のある国=怖い国」といった観念に囚われているからなのかもしれない。では、フィンランドの徴兵制度では実際にどのようなことを訓練するのだろうか。2年前に徴兵制を終え、現在ヘルシンキ大学に在籍しているMarko Sommaberg氏に話を聞いた。