2020年東京五輪の追加種目として国際オリンピック委員会(IOC)に提案された5競技18種目。そのうち野球・ソフトボールは「1競技」としての復帰を目指し、あくまで野球は男子、ソフトボールは女子という「カテゴリー」が設けられている。そのため、女子野球で五輪を目指す選手にとっては、東京五輪での復活になっても決して“朗報”とはいえないのだ。歴史的に見ると、「野球が男子の競技」というのはステレオタイプな認識と分かるのだが…。

「ハーラー現象」にわいた20年前


 1995年9月、東京六大学のマウンドに女子選手が史上初めてマウンドに立ち、社会現象になった。明大野球部に在籍したジョディー・ハーラーという米国人投手が伝統ある六大学野球史にその名を刻んだ。

 しかし、パワーと技術の両面で男子学生とは比べものにならない。記念すべきマウンドでコントロールが荒れ、2イニング持たずに降板した。実はハーラーが公式戦で投げたのはこの一度きり。その年の秋には明大野球部を退部、米国へ帰国してしまった。六大学の希望の星になるはずが、図らずも女子選手が男子と渡り合うことの難しさを植え付けることになった。

「一瞬」の女子プロ人気


 日本の女子野球の歴史は古く、100年近い浮沈のヒストリーがある。大正時代中頃、「インドア・ベースボール」という名称で今治高女(愛媛)などの女学校にチームが発足、野球に似たゲームを行っていた。

 戦後間もなく、白球に夢を追い求めた女子選手を追ったノンフィクション作家の谷岡雅樹が書いた『女子プロ野球青春譜1950』(講談社)によると、「女性のプロスポーツ競技として、戦後もっとも華やかで日本全国の耳目を集めたのは女子プロ野球である」という。ブームを迎えた50年8月頃には16チームがしのぎを削っていた。しかし、華やかな時代はわずか2年で幕を閉じる。52年からは活躍の場をノンプロに移し、夢のような時間が再び訪れることはなかったという。

日本の相手は米国のみか


 それでも女子野球の灯火は消えることなく、1997年には第1回「女子高生の甲子園」が開催された。また、日本の女子野球はワールドカップ(W杯)で4連覇するなど世界でも群を抜く。しかし、知名度の低い女子野球を取り巻く環境は貧弱そのものだ。競技人口も男子の1%に満たない。野球の本場・米国においても「男女格差」は激しく、女子野球の存在は軽視されがちだという。

 昨年9月、宮崎で開かれた女子野球のW杯には世界8チームの国・地域が参加。女子日本代表は下馬評通り、6戦全勝で4大会連続金メダルという金字塔を打ち立てた。この大会、米国との決勝は好ゲームだったが、国際舞台に立てるレベルにない弱小チームもあったという。

 現時点で女子野球が五輪種目になれば、日本のメダルは「当確」で、金メダル争いは米国との決戦になることはほぼ間違いない。言い換えれば、日本と米国を除くと諸外国のレベルは極端に劣り、せっかくの五輪の舞台が興ざめになる可能性もありそうだ。

 日本のソフトボール界を長年にわたり背負ってきたエース・上野由岐子によると、五輪種目か否かは選手のモチベーションにも影響し、五輪種目であり続ければ「子供たちの夢」としてバトンがつながるという。

 五輪野球が「男女2種目」として出場できる日は訪れるだろうか。2年に一度開かれる女子野球のW杯は来年9月、韓国・釜山で開催される。開催時期はリオデジャネイロ五輪直後にあたる。世界的に「祭りのあと」のような状況でアピールの場としては期待薄になりそうだ。女子野球が日本と米国以外にも裾野を広げない限り、女子野球の五輪種目入りは難しいと言わざるを得ない。それでも、東京五輪のさらに先に、野球に青春をかけ、汗をかく「侍ジャパン女子」の夢をかなえてほしいものだ。