中北浩爾・一橋大教授に聞く

安保法案の採決をめぐり、支持率を落としたものの議席数から見れば、自公政権の圧倒的優位は揺るがない。来年の参議院選挙に向けて野党の再編も囁かれているが、分裂した野党が完全に歩調を合わせるのは困難な状況が続くとみられる。そもそも、こうした一強多弱の状況を生み出した原因は何なのだろうか。選挙制度や政治改革の経緯といった視点から、前回(「“敵対”ではなく“包摂”こそが安倍流の党内リーダーシップ」)に引き続き中北氏が解説する。(取材・執筆:永田正行【BLOGOS編集部】)
中北浩爾・一橋大教授(BLOGOS編集部撮影)

小選挙区制度の導入が現在の政治状況を生み出した


-野党の不甲斐なさが目立ってくると、自民党内のリベラル勢力に期待する声も出てくると思います。つまり、かつてのように中選挙区制の下、自民党の派閥同士で牽制し合いながら、政策をブラッシュアップしていくやり方のほうがと現実的なのではないかという見方もあるのではないでしょうか。

中北:まさに「55年体制」においては、そのような形で「擬似政権交代」をしてきたわけです。自民党内に多様性があり、ある人がダメであれば違うリーダーが出てきて、政策を修正する。一党優位ではあるものの、こうした変化を伴うダイナミズムが自民党の内部に存在していました。「55年体制」という自民党長期政権が続いた理由の一つは、そこにあったのです。しかし、1990年代に行われた一連の政治改革は、こうした政治のあり方を否定するところから始まりました。

 つまり、擬似政権交代は選挙を経由しない擬似でしかないのだから、きちんとした政権交代を実現する必要がある。政権交代は、選挙という民意によって媒介された形で行われ、有権者が選択権を行使した結果であるからこそ意味がある。このように擬似政権交代を否定して、本当の政権交代のある民主主義を作るということが政治改革の目的だったのです。そして、二大政党が切磋琢磨して政権交代を行うようにするために小選挙区制を導入しました。

 小選挙区制が導入された結果、二大政党化が進み、2005年の郵政選挙で躓いたものの民主党は基本的に上り調子で、2009年には政権交代を実現しました。民主党以前には新進党という政党ができましたが、1996年の選挙に敗れて解党してしまいます。民主党は新進党よりは、随分頑張ったかもしれませんが、ご存じのとおり政権奪取後はまとまりきらず、2012年に小沢さんが離党してボロボロになりました。

 自民党というのは、60年の歴史があり、その間に蓄積した様々な知恵、組織、基盤があります。これに対抗すべく、様々な勢力を寄せ集めて、二大政党の一翼を担う政党を作ろうと努力するわけですが、上り調子の時はまとまっていられても、苦しくなると一気にバラバラになってしまう。つまり、現在の日本においては、二大政党といっても非対称性があり、現在の一強多弱の状況は、こうした構造の中で生まれてきたものだと考えられます。

―現在の政治状況を生み出す要因の一つとして小選挙区制という選挙制度があるということでしょうか。

中北:小選挙区制は、二大政党による政権交代をもたらすために導入されたわけですが、小選挙区制が必然的に二大政党制をもたらすかというと、そうではありません。小選挙区制の本質は“勝者総取り”です。一番大きな政党が過剰に有利になるよう設計され、1票でも多ければ、その選挙区の議席を独占できるというのが、小選挙区制という制度の本質です。そうなると、3番目、4番目では話になりません。だから、あくまでも結果として第二党以下が合流を余儀なくされ、二大政党化が進むのです。

 したがって、第二党以下が乱立し、結束できなければ、最大政党が圧倒的に有利です。今がまさにその状態と言えるでしょう。自民党自体が相対的に大きい上に、創価学会という強固な支持団体を擁する公明党と連携している。一方の野党はバラバラで話にならない。現在の小選挙区制は、二大政党制をもたらすよりは、一強状態を強化する形で機能していると言えます。一強多弱の下では選挙を何回やっても自民党が勝つでしょう。実際に自民党は2012年、昨年と衆議院総選挙で大勝しています。

 中選挙区制では、1つの選挙区から3~5名の議員が選ばれ、自民党は複数の候補者を擁立するので、同士討ちが発生し、派閥が生まれます。同一選挙区でも支持基盤が異なる社会党候補よりも、自民党候補同士の方が関係が悪いという有様だったのです。こうした状況の中で、各候補者は派閥から金銭援助を得たり、演説などの応援を受けたりしながら選挙を戦うことになるので、中選挙区制における選挙区の定数に対応して、三~五大派閥になっていたわけです。派閥間の争いには、候補者の発掘や票の掘り起こしという効果もありました。そして、冷戦や労使対立という状況のもと、社会党に対抗して自民党という派閥連合政党を作っていたのが、55年体制でした。

 もはや擬似政権交代を自民党の中でやって欲しいと考えても、難しいでしょう。選挙制度と政治資金制度の改革によって、派閥が非常に弱くなっているからです。現在の自民一強状態と、55年体制における一強状態は外形的には似ているかもしれませんが、実質は異なっています。

-派閥政治の否定から政治改革が始まり、小選挙区制が導入されたということですね。一方で、かつての派閥は「議員の教育機関」としての役割を果たしていたという言説もあります。派閥が解体された結果、議員の質が低下したことを政治改革の弊害とする説もありますが、この点についてはいかがでしょうか。

中北:「議員の質」については、「最近の若者は…」といった言説に近い部分があると思います。なぜなら「最近の政治指導者は小粒になった」という話は、常に言われているからです。現在、田中角栄が大政治家のように語られていますが、「戦後の政治指導者は小粒になった」などと言われた時代もありました。また、派閥があったからといって、みんなコントロールできていたかといえば、そうではありません。昔から、賭博をやってしまったり、おかしな言動で注目を集める政治家はいました。

 とはいえ、かつての中選挙区制のもとでは、きちんと個人後援会を作って有権者と接しないと当選できなかったので、一定の努力を積み重ねることが不可欠だったと思います。しかし、現在では、政党の公認をもらってしまえば、“風”が吹くと当選してしまう。ただ、全体を比較して質がどうかというと、なかなか判断が難しいので、私自身はそうした主張はしないようにしています。

 むしろ、派閥がなくなったことで良くなった部分もあると思います。例えば、かつては「金権政治」という批判がありましたが、その面においては、現在の方がかなり改善したと思います。今、“政治とカネ”の問題で話題になるのは、「領収書の処理をちゃんとやらなかった」といったレベルのものが大半です。かつての金権政治に比べると、現在の方がカネで政治が動く度合いは確実に減っているでしょう。

 もちろん、様々な形でお金が動いている部分もあります。真相は十分にわかりませんが、官房機密費の問題や政党交付金を手厚く配るなど、カネで政治が動く要素は、まだまだあると思います。ただ、かつてに比べれば、お金が果たす役割は、かなり限定的になってきているのではないでしょうか。まさにそれがかつての派閥政治に対する批判の根源のひとつだったわけですから。