早稲田塾講師 坂東太郎のよくわかる時事用語

THE PAGEより転載)
 石破茂地方創生大臣が、自身の派閥である「水月会」を立ち上げたことが、先月ニュースになりました。石破氏は現時点で派閥に属さない無派閥でしたが「私のような者でも政権を担うことが望ましいなら、それを目指したい」と述べて次の総裁選(3年後)に意欲を見せたと言います。

水月会結成記者会見で記念撮影に応じる石破茂地方創世担当相(前列左から3人目)ら=9月28日午前、東京都千代田区永田町のザ・キャピトルホテル東急(斎藤良雄撮影)
水月会結成記者会見で記念撮影に応じる石破茂地方創世担当相(前列左から3人目)ら=9月28日午前、東京都千代田区永田町のザ・キャピトルホテル東急(斎藤良雄撮影)
 石破氏が今年9月の総裁選への出馬を見送った一方で派閥に所属しない野田聖子氏は積極的に出馬を模索しました。背景には政界を引退したものの党内に隠然とした力を持つ古賀誠元幹事長が動いたとみられます。古賀氏は安倍首相の集団的自衛権限定行使の方針に公然と異を唱えていた人物です。かつて自分がトップであった岸田派(後述)あたりに声をかけて必要な推薦人20人が集めようとして失敗し断念に追い込まれました。

 そして10月の内閣改造で5人いた岸田派の閣僚が岸田文雄氏のみに激減。総裁選で安倍氏にさからおうとした岸田派全体への冷遇と、それを抑え込んだ岸田氏自身だけは論功行賞にありついたという図式となりました。

 自民党の派閥といえば、中選挙区(後述)時代は一つの政党に匹敵するぐらいの力を持っていて「領袖」と俗称される派閥トップへの就任が総裁へのステップだった時代もありました。そこで、自民党の派閥とはいかなる歴史があり、実体はどうなのか?について、改めて振り返ってみます。

今いくつある? 自民党の派閥


 「派閥」は非公式で私的な集団で主に自民党内のグループを指します。一般の会社でもよく「派閥」という言葉が用いられますが、事務所まで設けて独自活動するケースはみられないので「自民党の派閥」は特殊な集合体です。

 また「派閥」はたいてい表向きは政策集団を装っていて対外的にはそちらの名称を名乗るのが普通です。岸田派の「宏池会」のように。多くは定例会を木曜日に開きます。

 現在存在する自民党の派閥は主に8つ。他に谷垣禎一党幹事長の谷垣派(約30人)がありますが他派閥に「本籍」を置いている議員もいてマスコミのなかには「谷垣グループ」と区別しているところもあります。

・細田派(細田博之)95人
・額賀派(額賀福志郎)53人
・岸田派(岸田文雄)45人
・麻生派(麻生太郎)36人
・二階派(二階俊博)34人
・石破派(石破茂)20人
・石原派(石原伸晃)14人
・山東派(山東昭子)10人
(人数は朝日新聞9月29日付朝刊を参照)

主な派閥の歴史とそれぞれのカラー


 戦後の2大保守政党であった吉田茂氏が率いた自由党と鳩山一郎氏の日本民主党が1955年に合同して自民党が誕生しました。派閥の源流は吉田系と鳩山系、および日本民主党の前身にあたる改進党の三木武夫氏の流れが加わります。吉田系(自由党系)の後継が後に首相となった池田勇人氏と佐藤栄作氏の池田派と佐藤派。鳩山系(日本民主党系)の後継が岸信介氏と河野一郎氏の岸派と河野派。そこに三木武夫氏の三木派が加わります。この5派から現在の派閥の経緯を確認すると

・池田派→岸田派、麻生派、谷垣派
・佐藤派→額賀派、石破派
・岸派→細田派
・河野派→二階派、石原派
・三木派→山東派

と分類できます。石破氏はかつて額賀派に所属していたので佐藤派系統に入れています。

 派閥の名称で有名なのは前述の宏池会(岸田派)のほか、佐藤派系の田中角栄氏が率いた「木曜クラブ」と跡を襲った竹下登氏の「創政会」(後の経世会)、岸派の跡目である福田赳夫氏が作った「清和会」(後継の現細田派も「清和政策研究会」を名乗る)などが有名です。

総裁へのステップと内閣改造で存在感


 自民党結成の55年保守合同そのものが吉田自由党と鳩山日本民主党の2大潮流があり、党そのものが最初から一つの政党というより派閥(実質的政党)の「保守連合」の趣がありました。一般に吉田系が「ハト」(穏健)、鳩山系が「タカ」(強硬)とみなされてきています。

 こうした政策的な違いに加えて派閥は1947年から93年まで続いた衆議院議員総選挙で採用されていた中選挙区制(1つの選挙区からおおむね3人から5人を選出)が存在感を増す理由となっていました。55年体制から93年の総選挙で敗れるまで自民党は83年~86年の新自由クラブとの連立を除いて単独与党でした。過半数維持のためには3人区で1人ではダメで2人当選を目指します。4人区、5人区となるとさらに当選者を増やさなければなりません。同じ選挙区で自民党同士が争うわけです。

 となると、普段から仲良くしている同派閥で戦えず他派閥と表立っては「協力」しながら、実際には党内同士で血で血を洗う選挙戦を展開したのです。その結果、最大派閥になれば自民党総裁選挙で有利になるので領袖は少しでも議員数を増やそうと集金力や人材発掘に力を入れ、新人議員は領袖を「オヤジ」と称して奉仕し、当選回数を重ねるごとに重鎮となっていき、やがては派閥を譲り受けたり、反乱を起こして乗っ取ったりして次代の領袖を目指していきます。疑似血縁関係にも似た構図です。自民党初代首相の鳩山氏から竹下氏までの歴代首相は鈴木善幸氏を除いて領袖です。鈴木氏にしても急死した大平正芳首相の大平派(池田派の流れ)の家老のような存在で後に派を継承したので事実上の領袖です。

 中選挙区制度下の自民党は政権が行き詰まるとカラーの異なる別派閥の領袖を立ててイメージを変えるという疑似政権交代をしばしばやってきました。タカ派の岸内閣が60年安保条約改定と引き換えに辞任するとハト派の池田勇人氏に代わったり、田中首相(佐藤派の流れ)が金銭スキャンダルで追われた際には「クリーン三木」として清潔イメージがあった三木氏を押したりといった具合です。田中氏と福田氏のようにガチンコ対決で生きるか死ぬかの抗争を展開した例もあります。

 いずれにせよある領袖が総裁(単独政権下ではイコール首相)になると他派閥は少しでも内閣に自派の議員を押し込もうとします。総裁(=首相)もある程度は飲まないと足下が不安定になるので各派閥の推薦リストに沿って受け入れてきました。内閣改造も同じで当選回数を重ねた「適齢期」の議員を内閣に入れてバランスを取ります。この手法は述べ約150人もの大臣を「製造」した吉田氏以来の伝統でした。ただあまりに入れ替えると「クビを切られた」との怨念が渦を巻いて内閣を弱体化させる欠点もあり改造人事は現在でも大変難しいとされています。