伊藤祐靖(海上自衛隊特別警備隊初代先任小隊長)

 これまで中東に住んだことはないが、私の知る限り、中東・イスラム圏の人の多くは、日本人を、我々の想像以上に信頼し、尊敬の念で見ている。中東の人からその話を聞いたときは、驚き、そして、なんとも誇らしい気持ちになった。

 彼らが日本を尊敬する理由は、超大国ロシアに戦いを挑んだこと、そして勝ったこと、超大国アメリカと戦争をして、4年間戦ったこと、そして、その後驚異的な復興を遂げ、周辺国ばかりでなく、発展途上国に多額の支援をしていること。更に、宗教的にも何ら衝突はなく、何より、ヨーロッパ、アメリカの人々とは違い、妙な下心がなくて信頼できる、ということだった。だから、「中東のゴタゴタは、第一次世界大戦以来、積年の恨みがある白人が絡むと絶対に解決できないが、日本人が介入すればできるかもしれない」とも言っていた。

 この国にしかできない国際貢献に対する義務、というものも強く感じた。そして、彼らが日本を語る時、一番時間をかけ、熱く語るのは、ロシア、アメリカという超大国に挑んだということだ。国家としてギャンブルをしたわけではない。無謀国家なわけでもない、ましてや好戦的過激国家でもない。彼らが日本を尊敬する核の部分は、日本が“国家として消滅する”ことを覚悟してまで、正しいと信じる道を貫こうとした点なのだ。それは、現在の日本に最も欠けているものだと思っている。

 日本の外交といえば、人道支援を基軸とした平和外交をポリシーとしている。一部の人は平和憲法の影響と言うが、私は建国の理念“八紘一宇”の思想が生きているからだと思っている。しかし、今年1月のカイロにおける安倍首相の演説「イスラム国と戦う、周辺各国に支援を約束する」を聞いた時は、建国の理念との隔たりを感じ、強烈な違和感を覚えた。そして、今から約25年前のある出来事を思い出した。この時点では、それから僅か3日後、2名の日本人拉致映像が公開されるとは想像だにしていなかった。

米空母の上で気付いた祖国の姿


 私は、日本体育大学を卒業後、海上自衛隊に2等兵として入隊し、艦艇乗組員として勤務した。その後幹部になったが、20年在籍し、前半を艦艇乗組幹部、後半を特殊部隊先任士官として勤務した。それは幹部になって3年目、まだ26歳だった時の事である。あまり英語の得意でない指揮官の通訳のような立場でアメリカ海軍の空母に約1カ月乗艦した。8000人を上回る乗艦者の中には、軍服を着ていない人や女性も居た。学者や輸送航空機の搭乗員である。艦内にはジムはもちろん、教会、図書館、裁判所、刑務所、病院、郵便局、スーパーマーケット、2つの士官用食堂、3つの下士官用食堂などあらゆるものがあり、ないものといえば酒を飲ませるところくらいであった。

 私はいわゆる中尉で、指定された部屋は、3人部屋だった。白人で西部劇が大好きな大尉と黒人で主に艦橋で勤務している中尉がルームメイトだった。

 階級も勤務場所も同じで、年齢も私の一つ下だった黒人とはすぐに仲がよくなった。ところが、ひょんなことがきっかけで、彼と口論になった。

中尉 日本人は、黒人の歴史を知らないからな、お前のおじいさんは人間から生まれただろ?

   ああ、当たり前じゃないか。お前のじいさんは違うのか?

 中尉 俺のじいさんは人間から生まれたんじゃない》

 お互いけんか腰になってきていたので、アメリカ人特有のジョークで場を和ますつもりなのかと思い、問い返した。

  へ~じゃあ、何から生まれたんだ?

 中尉 俺のじいさんは、人間じゃなくて奴隷から生まれたんだ。鍵ってものは内側から自分で閉めるもんじゃない。外側から白人に閉められるもんだ。食べたいもの? 好き嫌い? そんなものない。白人から与えられる餌を食べるんだ!

   …………》

 絶句した。「鍵は、外から閉められるもの」「与えられる餌」あまりにも衝撃的だった。

中尉 奴隷解放っていつだか知ってるか?

   知らない》

 けんか腰で、大声でしゃべっていた私は、急に声が小さくなっていた……。

中尉 日本人は知らなくてもいいんだ。関係ないからな。でも、俺が生まれる100年前だ》

 そうか、こいつは俺の一つ下だから、生まれる100年前といえば1865年。明治維新のほんの3年前か…。

  そんなに最近なのか……

 中尉 でも、俺は海軍中尉だ。白人に命令をしている

   お前のじいさんは、自分の孫が白人に命令していることを知ってるのか?

 中尉 知ってる

   どうなんだ? 奴隷から生まれた自分の孫は白人に命令をしてるって?

 中尉 夢だ。そのうち、黒人の大統領だって出るかもしれない》

 アメリカ合衆国初の黒人大統領バラク・オバマが誕生したのは、この18年後だった。

 その次の日、昼飯を食べていると仲良しのネイティブアメリカン(以下NA)が私の隣に座ってきた。食事をしながら喋っていたら、ふいに問い掛けてきた。

NA お前は、何で奴(同部屋の黒人)と一緒にいるんだ?

   ルームメイトだし、ランニングメイトだからな(※ランニングメイトとは、年齢も階級も近い世話役を示す俗語)

 NA そんなに一緒じゃなくたっていいだろ?

   ん?

 NA 奴は、黒人だぞ!》

 前日、奴隷の話を聞いて衝撃を受けていた私は、似合わない正義感が湧いてきた。

  黒人だから何だ!

 NA あいつは、黒人だ。黒人っていうのはなあ、生きていたいからって奴隷になったような奴らなんだぞ

   ……

 NA 俺たち黄色人種は、そんなことしない。日本人だってしないだろ

   しない……

 NA そうだろ。誇りがあるんだ。ネイティブアメリカンは、奴隷になることより、死ぬまで戦うことを選んだ。だからほとんど生き残ってない。日本人だって、屈服することよりも死ぬまで戦うことを選んだじゃないか

   ああ

 NA マッカーサーは逃げたけど、イオージマ、サイパン、日本兵は全員死ぬまで戦った。カミカゼはアメリカ海軍の空母に突っ込んでいった。爆弾を身体に括り付けた兵士が戦車の下に飛び込んだ。本土を焼かれても焼かれても戦い続けた。原爆。それも2発もだぞ、落とされて、国土を民間人もろとも焼き尽くされ、弾も銃も無くなると女性が焼け死んでいる赤ん坊を背負って竹槍で向かってきた

   わかってる……》

 たまらず、止めた。予想だにしない展開に混乱した。黒人を差別するのかと思ったら、確かに差別だったが、切り口が違った。生きていたいがために戦いを放棄する奴らだと言いだし、大東亜戦争での日本人の戦い方を引き合いに出した。日本人は、命より大切な誇りの為に戦った、だからああいう戦い方になるんだ、と言った。

NA その国の戦士のお前が、何で黒人と仲良くなれるんだ!》

 彼はどんどん興奮して、けんか腰になっていった。

 前日、黒人から奴隷の話を聞いていなかったら間違いなく意気投合し、以後黒人を忌み嫌いしゃべらなくなったと思う。しかし、奴隷の話を聞いた翌日に、黒人を貶むような言葉を聞き流す気にはなれなかった。

  お前は、黒人の悪口言ってるけど、その黒人と同じアメリカ海軍に属して、同じ空母に乗ってるじゃね~か。インチキアメリカ人なんかやってね~で、独立戦争しろ》

 頭が混乱して、喋るのが面倒になってきた私は、コブシの喧嘩に持ち込む気満々で煽った。ところが、さっきまで興奮してけんか腰だった彼は急にうつむいた。

NA ……そうなんだ……》

 今まで身振り手振りで振り回していた手をテーブルに置いたかと思うと、その手に彼の涙が滴り落ちていた。私も彼に触発されて、血の気が上っていたが、急に胸を締め付けられるような苦しみを感じてもらい泣きしそうになった。

   すまなかった……》

 小さい声で言うのがやっとだった。本当は、もっと多くの言葉で謝罪したかったが、これ以上何か話すと涙がこぼれそうで喋れなかった。民族の持つ深い歴史を知りもしないのに、取り返しのつかないことを言ってしまったと思った。

 二人とも食事なんかできるはずもなく、隠さずにこらえずに堂々と涙を流している彼の傍らで私は、天井を見上げては、長~く目をつぶったり、まばたきをたくさんしたりしながら考えていた。

 「俺にあんなこと言う資格はね~。俺こそ、こんなところにいていいのか? 今俺が乗ってるのは、わずか50年前に先輩たちが特攻機に乗って突っ込んでいったアメリカ海軍の空母なんだぞ。特攻の映像は白黒だが、あの時の海も今と同じ色だったし、空も同様に青かったんだ。突っ込んでいった先輩は、何を守るために命を捧げたのか」

 そして、今の日本という国の姿を正視していない自分に気づいた。俺こそ独立戦争をすべきなんじゃないか? その証拠に、彼は堂々と涙を流したが、私は流せなかった。それは民族の持つ悲しい歴史を正面から受け止めている者と、見て見ぬ振りをしている私の違いであるように思えてならなかった。