倉持麟太郎(弁護士)

安全保障法制の整備に賛成、ゆえに本法制に反対

 日本国が日本国としてのアイデンティティを語るうえで、日本国は、国家それ自体として他の国家主体に依存することなく、その存在において、自立(self-standing)していなければならず、また、その国家存立の源泉たる国家意思形成において、自律(self-autonomy)的な国家意思形成が求められる。

 雑駁に言えば、「自立」とは、他への従属から離れて独り立ちすることであり、「自律」とは、その存在主体の行動律のみに従って意思決定をすることである。

 本来これらの概念は、日本国憲法上も個人の権利保障の文脈において語られてきたワードである。しかし、去る9月19日に成立した、いわゆる安全保障法制の成立過程において、内容及び手続の点で、大きな瑕疵を帯び、日本国の「自立」と「自律」を大きく毀損してしまった。

 ここで想像してもらいたい。あなたが何もない砂漠で倒れている、水も食料もないが、所持金は1000万円である。そのときに、向こうからラクダに乗った商人が歩いてくる、死ぬ間際の幻か。商人は言う、「水を売ってあげましょう」「1000万円で」。あなたは自律的な意思決定に基づいて、その水を購入する。命がつながった・・・

 さて、これは自律か。直感的に自律とは言えないと感じる。つまり、自律が成立する前提として死活的に重要な要素が、「多様で豊かな選択肢」なのである。

 今回、安保法制を成立させるために、国家意思の形成過程は、多様で豊かな選択肢を提供することはできなかった。賛成と反対は分断され、そのそれぞれは、本法制が描く防衛体制を的確に認識することなく、賛成と反対を叫んだ。

 後述するが、本法制が描く防衛体制自体は、我が国の個別的自衛権を減縮し、潜在的には同盟関係や国際社会の平和にも貢献しない、「自立」を阻害するものである。また、本安全保障法制の審理過程及び特別委員会の議決も、議題の特定もないまま、後に議事録を職権で添付するなどという、議院の自律というテーゼを根本から掘り崩した議会運営という点においても、国家の「自律」を毀損したといえる。

 私は、日本国の存立のための防衛体制の構築及びそのための機能的かつ自律的な(日米)同盟関係の維持・発展は極めて重要なものと考えており、そのための安全保障法制の整備等は必要であると考えている。にもかかわらず、本法案には反対である。なぜか。法律家として、違憲の問題はもちろんだが、法案及び国会審議の結果として、我が国の防衛体制を後退させる内容となっているからである。

 今回成立した安全保障法制によって、政府は、「日本国民の命と平和な暮らしを守るため、あらゆる事態に切れ目のない対応を可能に」「国際社会の平和と安定への一層の貢献を可能に」「日米同盟を含め抑止力を向上。日本が攻撃を受ける可能性を一層なくしていく」といったメッセージを公式に発表している。

 しかし、本法制及び今国会での政府答弁をつなげば、これらのメッセージを具現化する法制とはなっていないばかりか、今までの日本の防衛体制を後退させる内容になってしまっている。集団的自衛権や安全保障法制整備を推進すべしとの立場からは、「このような法案でもいまだ不十分であるものの、今までよりは前進した」といった評価がなされることがあるが、それは法案の条文を読んでおらず、国会答弁を分析していない言説である。以下、象徴的な論点及び答弁について論じたい。