著者 竜太(東京都、中央大学法学部2年)

 2015年、平和安全法制がようやく成立した。しかし、成立までのプロセスを振り返るとおぞましい記憶がよみがえる。国会内外にて感情的な運動が「一部」の運動家の中で発生し、それをマスメディアが煽るように報道し、あたかも反対派しか存在しないかのような印象操作が行われた印象がある。中でも憲法学者をはじめとする他の分野の学者や弁護士、評論家には失望した。政治家は立場上言いにくいことがあり、そもそもさほど博識でないから、意義深い議論が行われることは期待していなかったが、他の集団は民意を背負ってるわけではないから、「本音」で議論する姿勢を見せてほしかった。というのも、学者らは、なにやら怪しげな集会を開き、各自でプラカードを掲げ、平和安全法制に賛成する勢力を「反知性主義」と断定した。あたかも自分たちは博識みたいな傲慢な態度であった。

 賛成派は本法案が合憲とする論理は、現行の安全保障体制の延長であり、ドラスティックな解釈はしていないと主張する。そもそも、今回の法案は集団的自衛権の行使ではないが、既に日本は何度も一般国際法上集の団的自衛権を行使してきた歴史を持つし、日米安保を破棄していないことが、集団的自衛権自衛権容認に他ならない。憲法には条約は順守しなければならないという旨が明記してある事について反対派はどう説明するのか。また、今回の法案の論点であった集団的自衛権が違憲であるならば、日本政府がとるべき行動は3つあり、反対派はそれを大声で主張しなければならない。

1 国連憲章に対し留保をつける
2 日米安保が憲法に反していることになるので、基地提供(国際法上の見解は集団的自衛権に含む場合が少なくない)をやめ、米国に対し条約破棄を一方的に通告する
3 現行の安全保障に関する法律の抜本的改正

 国連憲章の51条には国家の自然権として集団的自衛権を認めているが、日本の憲法上禁止されているならば、留保の旨を通告しなければ国際政治で大きな誤解を生む。基地提供に関しても、ベトナム戦争時に嘉手納基地から米軍が出撃している時点で集団的自衛権行使である。さらに自衛隊法でも、公海上であっても米艦隊が攻撃を受けた場合に武力行使が可能な事態が明記されている。(自衛隊法88条、95条等)

国会前で行われた安保法案反対デモには多くの女性が参加した=8月30日(早坂洋祐撮影)
 ゆえに、繰り返しになるが、憲法違反だと主張するならば上記の3つのことを主張しなければ論理的整合性はない。しかし、反対派が叫んでいる事は、「打倒安倍政権」、「廃案」、「立憲主義の破壊」など様々で感心すらする。こういう人達が「反知性主義」とか言うのだから滑稽である。実際のところ、憲法学者の解釈はごまかしであり、ご都合主義で、「マスコミが騒いでいるから目立っておこう」的な意図を感じてしまう。だから、私は憲法学者の主張はあくまでタテマエであり、本当は分かっていると信じている。もし、本音であるならば、日本の憲法学者に存在価値は無い(タテマエでもタチは悪いが…)。

 実は、少数であるが論理的な主張をしている人もいる。代表的な人は伊藤塾塾長である。彼は現行憲法に則り、行政を行うならば非武装中立しかないと言う。思想的に「正常」かは抜きにして考えれば彼の主張自体は筋が通っている。ただし、筋が通っていれば正しいことにはならない。チベット、ウイグル、東南アジアの現状を見れば彼の主張がいかに愚かであるかは一目瞭然である。

 よって、今回の法制は必須であり、まだ不十分であるくらいであるし、将来的にはフルスペックの集団的自衛権の行使を容認した方がリスクは軽減される。憲法学者や一部の愉快な人たちはゲーム理論や国際関係学、統計学を知らないかリスクは増えると言うが、あくまで条件付き確立の想定であり、本質でない(※詳しいことは嘉悦大学教授の高橋洋一氏の記事を参照)。

 今後、日本が国際平和に貢献していく気があるならば、経済大国に相応しい軍事力を備え、抑止力を増大させるべきである。一人の学生として日本がより安全になることを願っている。