岩田温(政治学者)

 第3次安倍改造内閣が10月7日に発足した。加藤勝信氏が就任した「1億総活躍相」が、俄かに注目されることになった。確かに、聞いたことのない、変わった名前の大臣だから、注目が集まる理由は理解できる。多くがこの名前に批判的だった。だが、この名前にヒステリックなほど過剰に否定的に反応するのは、おかしくないだろうか。  

民主党の蓮舫代表代行
民主党の蓮舫代表代行
 批判の声は様々あるが、代表的な批判を引用しておこう。

 「政治の役割は、一人一人の力を発揮させるため壁を取り除くことだ。国が号令を掛けるのは違和感を覚える」 (民主党 岡田克也代表 10月18日)

 「戦前を思い出すような全体主義的なキャッチコピーだ」、「前回公約に掲げた『女性の活躍』に結果が出ず上書きした。女性をばかにしている」(民主党 蓮舫副代表)

 「個人を国家に従属させる動きを露骨にしている」(2015年10月9日『赤旗』)

 確かに、「1億総活躍相」が重みのあって素晴らしい名称だとは思わないが、そこまで批判されるべき名称なのだろうか。
 
 一番痛烈な批判は「戦前を思い出すような全体主義的なキャッチコピー」という蓮舫氏の批判だろうが、これは全くの的外れな批判だろう。
 共産党が政府の政策を「個人を国家に従属させる動き」などと批判していることは、笑止千万というよりほかない。共産主義体制とは、まさに、個人の自由を蹂躙し、共産党の「指導」という名の下で、個人を国家、共産党の下に従属させる体制ではないか。自分たちが掲げる、その極端な隷従体制を棚に上げ、まるで自分たちが自由を尊重する政党であるかのように振る舞うのは、国民を欺く詭弁というものであろう。

 仮に、全体主義というならば、一人一人が、このような活躍をしろという、各自の自由が抑圧され、国家の意志が押し付けられる状態が生み出されているはずだが、勿論、政府がそういう危険な状況を目指しているわけではない。各自の生き方にまで国家が不当に干渉してくるのは、無用なパターナリズムだといってよいが、この「一億総活躍」とは、そこまでパターナリスティックなものではないだろう。