現代の「慰安婦」たち


 ジャカルタからカンチャナブリ、そしてバンコク、ラノン、ペナンに至る今回の調査旅行は大いなる発見の連続だった。

 バンコクで、われわれはバンコクの下町にある豪勢なトロカデロ・ホテルにおける慰安所を描いた文学を発見した。

 私は国立公文書館からトロカデロ・ホテルまでタクシーで移動したが、そこは荒れ果て、さび付き、ボロボロになっており、それでも建造物が残っていたが、クモの巣だらけで正面の視野がさえぎられていた。

 道路沿いの1階は小さな商店に様変わりし、大部分が宝石類を販売している。西から東まで正面の長さは約100mで、東の端近くにNASAシルバーカンパニーがある。

 NASAのすぐ隣には「ジャスミン・マッサージ」店があり、午前9時~深夜12時まで営業している。

 2重ドアを通り過ぎ、2階につながる階段を上ると、個室とシャワーが揃い、タイ語と英語で「ここでのセックスお断り!! 」と書かれているではないか!

 現実を見ると、70年前にトロカデロにあった慰安所はいまも名残があり、そこには法の縛りが行き届かない快楽の提供人がいるというわけだ。上記の警句があるにもかかわらず、今日ここは売春宿になっている。

 中国人と韓国人の売春婦がわざわざタイまで輸送されなければならなかったという説の笑止千万ぶりは、もうここで繰り返すまでもない。われわれが調査を行なったおのおのの場所で似たような結果が出た。たとえば、フィリピンのアンヘレス市だ。1カ所であれほど多くの売春婦が集まっている場所は、世界の他のどこでも見たことがない。
ペナンの取材協力者が日本兵の古い写真を掲げる。
ペナンの取材協力者が日本兵の古い写真を掲げる。
 本件の調査で訪れた8カ国目がマレーシアだ。

 1941年、真珠湾攻撃の数時間前に、日本軍はマレーシアのコタバルへ侵攻した。敵は英国、英領インド、オーストラリア、そして地元の抵抗勢力だった。コタバルこそ太平洋戦争で初の大規模戦闘だった。

 大英帝国の権勢は絶頂に達していた。世界史上最強の帝国である。日本には大英帝国、オランダ、米国、その他に対してすべて同時に戦端を開く大胆さがあった。

 すぐさま日本軍はペナンの街路を闊歩した。

 そしてシンガポールが続く。あれから長い年月が過ぎた歴史となり、日本により英国がシンガポールを失った意味がさらに明瞭に見える。

 米国流の解釈をすれば、シンガポールを失うのは米国のほぼ全軍が戦死または拘束されたうえでハワイを失うようなものだ。この心理的損失は甚大だった。

 この衝撃的な日本の勝利は短命ではあったが、その後のアジア全体の独立に大きな道を開いた。

 この70年後に、われわれのチームは日本が20万から40万人の「性奴隷」を拉致し、ペナンのような場所に送り込んだという告発の真偽を確かめるためにペナン入りした。