白鵬の猫だましが物議を醸している。
 取り組み後、「気持ちよかった」と、あえて相撲協会と日本の相撲ファンを逆なでする笑いを浮かべたのだから、「確信犯」と言っていいだろう。白鵬は、その言動が何を意味するか、どんな反応が起こるかを十分わかっているはずだ。その上であえて、猫だましをし、開き直った笑みを浮かべた。その真意はどこにあるのだろう?

猫だましを繰り出して栃煌山に勝ち、支度部屋で笑顔の白鵬
=福岡国際センター
猫だましを繰り出して栃煌山に勝ち、支度部屋で笑顔の白鵬 =福岡国際センター
 最近は、横綱でありながら、ツッパリ高校生のような振る舞いが目立つ。ちょっと大人げないのは事実だ。双葉山、大鵬の後を追い、相撲道の奥義を究めたい主旨の発言をしていた白鵬がまるで別人になってしまった感がある。あれほど日本人以上に日本の文化伝統を理解し愛していると敬愛されていた白鵬の糸がなぜ切れてしまったのか?

 北の湖理事長は取材に対して「前代未聞だ」「横綱がやるべきことではない」とはっきり不快感を表し、横綱を厳しく非難した。北の湖理事長の急死でその言葉がまるで遺言のような重さを持ってしまったから、白鵬としてはますます多勢に無勢といった感じで、旗色が悪い。軽率な行為を謝罪しなくては人間性まで疑われかねない空気になっている。

 理解者であり、いい意味で怖い存在でもあった大鵬さんが亡くなって、白鵬は拠りどころを無くしたのかもしれない。
 私も相撲を愛し、日本の礼儀を愛する者として、白鵬に落胆していた。だが、つい数ヵ月前には、
「後の先を追求したい」
相撲道の極意を究める思いを語っていた白鵬が、ここまで荒んだ態度に変わった要因は何か?  白鵬を一方的に責めるだけでは本質は見えない。そこで今回は、白鵬の立場から、猫だましを考察してみたい。

 猫だましの伏線は4日目(11日)の嘉風戦にもあった。
 立ち合い、わずかに右に体をかわした白鵬に対応できず、嘉風はバッタリと手と膝をついた。あまりの呆気なさに、白鵬自身がその時、意外そうな表情を浮かべた。さすがにそこまで鮮やかに決まって戸惑ったのか。あるいは、咄嗟の動きに自分自身、驚きを隠せなかったのか。





 横綱が相手力士の立ち会いに胸を出さないと「変化した」と非難される。だが、VTRでも見直したが、白鵬は早々に横に逃げているわけではない。嘉風から見ると、白鵬はまるで「消えた」感覚ではなかったか。これは「逃げた」のでなく、白鵬が当たる前に嘉風を先に制したから起こった鮮やかなドラマ。白鵬なりに「後の先」を体現した、ある意味、会心の勝利だったのではないだろうか。
 
 相手にほとんど手や体で「力」を作用させることなく、嘉風を土俵に這わせた。それが簡単でないことは、やってみればわかる。逃げた、変わったと言われるが、逃げたらつけ込まれて自滅する場合も多い。普通は逃げても相手は追いかけてくる。だが、白鵬はまったく嘉風につかまらなかった。嘉風はまったく方向を変えることができず直進して自ら沈んだ。