古谷経衡(著述家)


「恒例行事」に意味はあるのか

 毎年この時期になると「流行語大賞」というのが発表されるらしいが、私はこのことに何の意味があるのか良くわからない。続けざまに12月上旬には京都の清水寺で「今年を象徴する漢字」が発表され毎年恒例のようにニュースになっているが、こちらも無意味だと思う。私はこの手の「年末の恒例行事」があまり好きではない。紅白歌合戦もここ何年も一瞥すらくれたことはない。実施することにまったく意味を感じないからだ。

 冒頭の「流行語大賞」というのは、1984年から開始されているそうだ。ご丁寧にウェブ上に第一回目からの「受賞語」と授賞式の模様がすべて掲載されている。大体において、「政治家の発言とその揶揄」「スポーツ選手の言葉」「アイドルや芸能人や、お笑い芸人のフレーズ等」「ヒットした書籍のタイトルなど」で占められている。これを毎年公開することに何の意味があるのか、私にはわからない。

 多様化する社会の中にあって、もはやマスメディア主導型の「流行語」という概念そのものが陳腐化した、とまでは言うつもりはない。方やネット空間で使われる言葉の多くは、マスメディアが使用するフレーズを転写したものだからだ。マスメディアの力が社会に対して有意に低下したとは思えない。

 とはいえ、2015年の「流行語」ノミネートをみても瞭然だが、この「流行語」にはやはり特有の「自閉性」を感じる。私が感じる違和感とはまさにこのことだ。

なぜ「ISIL」はノミネートされていないのか

 例えば世界中を騒がせた(震撼させ続けている)、「ISIL(いわゆるイスラム国)」がノミネートの中にすら入っていないのは何故だろうか。ちなみにこの言葉は2014年にはノミネートされていたが、続く今年には消えていた。当然だが「ISIL」の問題は2015年に入って消えたわけではない。手厳しく論評するのなら、実に刹那的で軽いノミネートだ。

 国際的にトルコとロシアの緊張と西欧圏への大量の難民流入、そしてパリに続く新たなテロの脅威が連日報道されているのに、そういった単語もノミネートすらされていない。「日本の新語」というのだから日本国内に限ったものだという抗弁があるかも知れないが、ISILや露軍機撃墜は日本とは全く関係のない他人ごとと言い切れる人間が居るのだろうか?