都倉俊一(作曲家)

 私は戦後生まれであるが、物心がついた頃から日本人がアメリカに対し、とても親しみを持っている事はごく自然であった。よく考えて見ると、ついこの間まで殺し合ってきたものが、いとも簡単に親しみを持ったことが長年不思議でならなかった。後年、その理由の一つが終戦直後から進駐軍が持ち込んだアメリカ文化が、日本を席巻した事であることが理解できた。その豊かさ、楽しさは日本人の想像をはるかに超えていたものであったに違いない。

 いうに及ばず、日本はアメリカに比べずっと古い、奥の深い文化を持っている。しかし何年もの耐乏生活を強いられていた日本人にとってアメリカ文化は、豊かで、明るく、何よりもてっとり早く、無条件に、わかりやすく、エンタテインしてくれる。それは音楽であり、ハリウッド映画、見たこともない食べ物、飲み物。また普及が始まったばかりのテレビを通じて見るアメリカの車、家、電化製品。すべてが夢の世界だったに違いない。このカルチャーショックが戦時中、軍部に抑圧され「鬼畜米英」と教えられていた日本人のメンタリティを瞬時に変えたことは想像に難くない。1950年代はすべてにおいてアメリカの独壇場だったのだろう。その繁栄も60年代後半から東西冷戦、ベトナム戦争で終焉を迎え、アメリカは冬の時代を迎える。

 衰退する欧州、傷ついたアメリカに代わって登場するのが敗戦国から卒業した日本である。70年代というのは日本の文化史にとって重要な時期である。高度経済成長によって先進国の仲間入りをしたことにより生活に余裕ができ、豊かな大衆カルチャーが登場する。古今東西、文化はその国が経済的に豊かになり、社会が成熟して行く過程で花ひらく。日本にとって戦後四半世紀を迎えた1970年代とはまさにそういう時代の幕開けであった。

 大衆カルチャーの中心がテレビとレコード産業の発展である。まさにこの時代が日本のエンタテインメントの創世期であり、その中心に音楽とテレビがあったのである。私が大学生だったのがまさにこの時代であった。

 結構忙しい大学生であった。法律を学ぶ学生であったが、幼いころからの音楽知識を活用して、学生ながらアルバイト感覚でレコーディングその他の仕事をし、収入も結構あった。この時期、多くのレコード会社が生まれ、各社当時は最先端のカセットテープの製作にも追われていた。

 何しろソフトが足りないのである。我々新人も駆り出され朝から晩までスタジオでレコーディングの毎日であった。

 そんな中で初めてオリジナル曲の依頼が来た。大学3年生の時である。

 曲は「あなたの心に」という曲で、初めて自分の曲がラジオから聞こえてきた時は胸がドキドキした。1969年、私の最初のヒット曲であった。それから15年近く私のガムシャラともいえる音楽作りが続くのである。