泉麻人(作家、コラムニスト)

 僕が大学を卒業して「週刊TVガイド」の編集部に勤めるようになったのは70年代晩年の79年。アイドル(歌謡)時代の幕明けは、南沙織と天地真理、それから小柳ルミ子(すぐにイメージは変わったが)のデビューする71年とされているが、当時はそんな最初のアイドル時代の流れが滞りつつある頃だった。

 前年春にキャンディーズが解散、翌年引退する山口百恵は“大御所”の域に達し、桜田淳子や岩崎宏美も大人の歌を唄っていた。ヒットチャートの主役はサザンやツイスト、八神純子や庄野真代…といったニューミュージック・テイストの面々で、石野真子や大場久美子はがんばっていたけれど、たとえばこの年のレコ大や歌謡大賞の新人賞を取った桑江知子や倉田まり子も含めて、アイドル畑は小粒だった。

「第11回日本歌謡大賞」放送音楽新人賞を受賞した田原俊彦、松田聖子=1980年11月18日、日本武道館
 ちなみに僕は、TVガイドの編集部でNHKの局担当をしていたので、アイドル番組の金字塔「レッツゴーヤング」の収録にはよく立ち合っていた。この番組内には“サンデーズ”というデビュー予備軍の新人歌手を集めたグループが編成されていて、先の倉田まり子もその一員だったはずだが、80年度のメンバーのなかに田原俊彦や松田聖子が選出されていた。

 田原が「哀愁でいと」でレコードデビューするのは80年6月、すでに「3年B組金八先生」で“たのきんトリオ”(近藤真彦・野村義男)として顔を売っていた彼はすぐにブレイク、一方聖子の方はデビュー曲「裸足の季節」こそスマッシュヒット級だったが、7月発売の「青い珊瑚礁」が大ヒット、田原とともに80年代アイドル時代の礎を築くことになる。そう、当時「レッツゴーヤング」の収録日にNHKへ出向くと、月を追うごとにNHKホールや西口玄関付近に出待ちのファンが増えていったのを思い出す。

 70年代のアイドルは、野口五郎、郷ひろみ、西城秀樹による新御三家(アイドル時代以前、橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦の御三家が存在した)がいて、彼らに続く城みちる、荒川務、あいざき進也…と男性陣もそれなりの力を持っていたが、80年代はたのきん(といっても田原と近藤)と後続のシブがき隊、少年隊…男の方はほぼジャニーズ勢の独占状態となっていった。雑誌のグラビア、モデルも含めて、アイドルというとまず女性をイメージする時代になったのだ。

 聖子とサンデーズの同期に浜田朱里ってコがいて、僕はどちらかというとこちらの方が好みだったのだが、彼女は惜しくも沈んでしまった。当初聖子と対比されたのは河合奈保子、そして松本伊代、中森明菜、小泉今日子、堀ちえみ、早見優、石川秀美、といった面々が出揃う82年から数年間は、おニャン子以前のアイドル黄金期といえる。