澤田哲生(東京工業大学 原子炉工学研究所助教)


低線量被ばくの影響をどう捉え,どう受け止めるかは極めて難しい問題である。その背景には、科学的データに基づいた論理と政治的政策的決断に基づいた施策が交錯している現状がある。

原爆症

 2006年8月9日。長崎の原爆犠牲者慰霊平和記念式典に出席した後、時の総理大臣安倍晋三は、被ばく者の代表の方々と面談し「被ばく認定の範囲をより広くする(認定基準を緩める)」と公言した。これなどが、政治的決断に基づいた施策の代表例である。その結果かどうかは定かではないが、被ばく医療に詳しい碩学から「澤田さん、いまや医者の目にはどうみても単なる胃潰瘍なのに、被ばく認定されたようなケースまでありますよ」と聞いた。2011年のことである。
夢の島の展示館に展示の為東京都に寄贈されるビキニ環礁で被爆した第五福竜丸のエンジン
夢の島の展示館に展示の為東京都に寄贈されるビキニ環礁で被爆した第五福竜丸のエンジン
 ことの発端は、『原爆症』というそら恐ろしい病名がつくられたことにある。それは、1954年に大きな社会問題になった第五福竜丸事件が引き金になった。マグロ遠洋漁船第五福竜丸は米国がビキニ環礁で行った水爆実験のあおりをくって被ばくした。これを、メディアは、日本にとって広島と長崎に続く第三の被爆とした。第五福竜丸の乗組員は、水爆実験によって吹き飛んで空中に舞い上がった珊瑚礁の微粉を雨のように浴びた。核爆発によって生じた放射性物質を含む微粉である。その結果、乗組員達は被ばくした。多くの乗組員に、やけどの症状等被ばくによる急性障害が見られた。入院し加療を受けた乗組員の一人が、約半年後肝臓障害によって死亡した。つまり、被ばくの影響が半年かけてじんわりと身体を蝕んでいったのだと解釈された。同様の行状に合ったもので、その後回復した方もいた。ひとりの船員が死亡したことは事実である。しかし、被ばくと肝臓障害との科学的医学的な因果関係は定かではなかった。そこから、原爆症という呼び名がうまれた。因果関係や正体は不明。しかし、原爆で被ばくした事実がある。そこから生まれた原爆シンドロームである。

がまん量

 この問題に、社会とむきあう物理学者として当時取り組んだのが京都学派の勇武谷三男である。その編書『安全性の考え方』(1967、岩波新書)に興味深い記述がある。

 利益と有害のバランスが許容量

 それでは、「許容量」という、ものはどういう量として考えたらいいのであろうか。米原子力委員のノーベル賞学者リビー博士は「許容量」をたてにとって、原水爆の降灰放射能の影響は無視できると宣伝につとめた。

 日本の物理学者たちは、討論を重ねた。こうして日本学術会議のシンポジウムの席上で、武谷三男氏は次のような概念を提出した。

 「放射能というものは、どんなに微量であっても、人体に悪い影響をあたえる。しかし一方では、これを使うことによって有利なこともあり、また使わざるを得ないこともある。(中略)そこで、有害さとひきかえに有利さを得るバランスを考えて、〝どこまで有害さをがまんするかの量〟が、許容量というものである。つまり許容量とは、利益と不利益のバランスをはかる社会的な概念なのである。」

 この考えで、ようやく「許容量」というものが、害か無害か、危険か安全かの境界として科学的に決定される量ではなくて、人間の生活という概念から、危険を「どこまでがまんしてもそのプラスを考えるか」という、社会的な概念であることがはっきりしたのである。(同書、p.123-124。下線は筆者)

 こうして当時、〝原因不明〟であったがために、原爆症に加えて〝がまん量〟というディスクールが考案されたのである。この背景には、許容量をもってある量以下の影響を切り捨てようとする功利(公益)主義的な考えと、それはないだろう?そうはさせまじという人道主義的な考えの相克があるのである。