常見陽平(千葉商科大学 国際教養学部専任講師)

 もう10年くらい、ネットニュースのライターの仕事をしている。サイバーエージェントが2006年に「アメーバニュース」を立ち上げた。友人の中川淳一郎が関わっていたので、私も参加した。彼はネットニュースの第一人者として知られているが、私はその彼の背中を見ながら今まで歩いてきた。

 そんなネットニュース界の話題の一つといえば、「ステマ」だ。「ステルスマーケティング」の略である。要するに、本当は広告費をもらっている案件なのに、記事であることを装い、そのことを明記しない手法である。ステマが発覚して話題になったり、これに対する規制騒動が議論されている。

 対策はしてしかるべきだが、そもそもこれが起こってしまう構造的な問題を理解しなければならない。おさえるべきポイントは3点だ。(1)「広告」と「広報」の変化(2)スマホの普及(3)ネットニュースの流通経路である。

 まず、「広告」と「広報」の変化についてである。雇用・労働問題の論客として捉えられている私だが、実は20代の頃は、マーケティングや広報の仕事をしていた。それこそ意識高く『広告批評』(現在休刊)『販促会議』などの雑誌を熟読していたし、マーケティングや広報に関する実務書をよく読んでいた。
出所:『会社をマスコミに売り込む法』(山見博康 ダイヤモンド社)
 私が広報担当者だった2002年から2004年にかけて、広報の実務書として参考にしていた『会社をマスコミに売り込む法』(山見博康 ダイヤモンド社)には、パブリシティと広告を次のように定義していた。要するに広報の立場で情報発信する際は、ニュース価値があるかどうかを判断するのはメディアだし、情報伝達の決定権は企業にはないかわりに情報の信頼感が強いというものだ。商取引ではないので、お金も発生しない。記事を書くのは記者だから、少しでも記事に取り上げてもらえるよう、しかも好意的な文脈で書いてもらえるよう、取材対応など工夫していたものだった。

 しかし、最近の広報のマニュアルを見てみると広報と広告の境界が曖昧になってきていることが目にとれる。広告・宣伝担当ではなく、広報がPR会社などを使うのは旧来どおりだが、自らお金をかけて話題をつくる動きが起こったのが、この一連のステマ騒動につながっているのではないか。

 PR会社、広告代理店に過度に期待する動きもその温床になっていると言えるだろう。本来、PRや広告というのは商品・サービスを「売る」ということ以外の期待も大きいはずなのだが、売れるかどうか、そのために露出を最大化、最適化できるかどうかが問われ続けている。当たり前といえば、それまでだが、その弊害だったとも言えるだろう。

 なんせ、2000年代前半と比べるとメディアも多様化した。それこそ影響力のある人のブログやTwitter、Facebookなども情報発信の手段となったし、なんせネットニュースが本格的に登場したのだ。旧来型のメディアではない、このような新興メディアにおいてのルールが確立されていない中でこのような騒動が起こっていったのだろう。