池谷和子(長崎大学准教授)


 2015年6月26日、アメリカ連邦最高裁判所は、5―4の僅差で婚姻の権利を憲法上の基本的人権の1つと解釈し、同性間に婚姻を認めないことは法の下の平等に反するとの判断を下した。オバマ政権がホワイトハウスを同性愛の象徴であるレインボーカラーにライトアップして「アメリカの勝利だ」と歓迎したこともあり、日本の多くのメディアもまた、今回の判決を比較的肯定的に報道していたように思う。

 しかしながら、現在のアメリカにおいても、すべての人が同性婚に賛成をしているわけではない。むしろ賛成と同じくらい多くの人々が反対しているのである。アメリカでは同性婚をめぐって30年来の議論が続き、最近では国を二分するほどの大激論が交わされていた。今回の判決が出た時点においても、13の州では婚姻を異性間に限るとして同性婚を禁止していたのである。

 この判決により、以後はすべての州で同性婚を承認する義務を負うこととなったが、アメリカ社会においては同性婚を合法化することによる問題点も多く指摘されてきており、「個人の自由だから」「認めないと気の毒だから」では済まない事態となっている。宗教的な教義に関する問題も大きいようである。

2人の子どもを育てる女性カップル
 日本においては、同性婚という言葉を耳にしたことがあっても、その問題点の理解までは広まっていないようであるし、そもそも、日本国憲法24条においては「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し」と規定し、条文を素直に読めば、男性と女性、その両性の合意のみに基づいて婚姻が成立するとしている以上、同性婚を認めていないと解釈するのが自然である。憲法改正を行わなければ、日本において同性婚が合憲と解釈されることはないと思われる。では当面、日本とは関係ない問題なのかと言えば、そうとも言えまい。日本にも一定の割合で同性愛の人々が存在する以上、彼ら(もしくは彼女ら)への法的な待遇をどうするかという問題は現存するし、さらには同性婚を法的に認めると考えるか認めないと考えるかは、単に個人の嗜好や個人の自由権の範囲に留まらない、子どもを含めた法的な家族制度全般に響いてくる問題といえる。

 今回は「子ども」との関係に着目しつつ、同性婚の問題点について探っていきたいと思う。

結婚制度は何のためか

 同性婚を認めるか認めないかという議論の根底にあるものは、「婚姻制度」をどのように考えるかという定義と直結している。そもそも婚姻制度は一体何のために存在してきたのであろうか。

「結婚は社会的な制度である」(Monte N. Stewart & William C. Duncan, Marriage and the Betrayal of Perez and Loving, 2005 BYU Law Review 560(2005))とも言われる。結婚とは子どもや社会の利益の為に、カップルによる性行為、出産、子育てが責任をもってなされるように社会が承認する制度として存在してきた(Maggie Gallagher, What is Marriage for? The Public Purposes of Marriage Law, 62 Louisiana Law Review 9 (2001))。生まれてくる子どもの福祉、実の親との安定した親子関係を保護することを第一の目的とするがゆえに、実の子どもを出産することが不可能な同性カップルは、婚姻の概念自体から当然に除外され、結婚をするカップルは男女であることが必須とされた。

 そして、「婚姻は男女に特有の結合体であり、・安全な性的関係、・責任ある出産、・最善の子育て、・健全な人間関係の発達、・妻や母という役割の保護をしつつ、長期的な家族としての関係を保っていく為のものである」と定義されてきたのである(Lynn D. Wardle, The Boundaries of Belonging, 25 BYU Journal of Public Law 299(2010))。

 その結果として、社会から承認された制度の中でのみ性的行為をし、子どもを責任持って生み育てるという義務が生じ、生まれた子どもは誰が自分の本当の両親かを知ることができ、血の繋がった両親に育ててもらうことができるのである。それゆえ、結婚では基本的には一夫一婦制や貞操義務が夫婦としての当然の前提となり、さらにそのことが、生まれてくる子ども達の健全な発育を助け、社会の秩序を確保する最適な手段ともなってきたのである。

 実の両親との繋がりを強くするという子ども達の福祉に直結しているからこそ、婚姻制度は重要であるとされ、また国家が婚姻制度を保護すると同時に規制もしている。

 しかし、同性婚賛成者達は同性愛カップルも婚姻可能とするために、結婚から「子どもの福祉」という視点を完全に抜き去り、婚姻の定義を次のように修正しようとしている

「結婚とは2人の人間(それが異性であるか同性であるかを問わず)の共同体であり、お互いに愛し合い、日常生活において利益も負担も共有する。」

「結婚は本質的には自らの幸福のためになされる私的で親密で情緒的な関係であり、カップル自身によって、カップル自身の為になされるものである。」(Sherif Girgis et al., What is Marriage?, 34 Harvard Journal of Law & Public Policy 246(2011))

 以上のような修正は、どのような問題をもたらすだろうか。