下川正晴(毎日新聞元論説委員)

 加藤達也・産経新聞前ソウル支局長の「名誉毀損」事件に対するソウル中央地裁の判決は、無罪だった。これまでの韓国内での判例から見ても順当な判決だが、外国人特派員を刑事事件の被告にしたてた異例の裁判は、韓国型民主主義の弱点を露呈したものである。韓国的リーダーシップの悪弊と、韓国の伝統的悪習である「大統領への過剰忠誠」が、検察当局による起訴処分を引き起こした。言論の自由をめぐって「国際的常識」にほど遠い現状について、韓国は深刻な自省が必要だ。

 検察側の敗北は、すでに昨年10月の起訴時点で予測されたことであった。韓国の言論法学者や法廷関係者の中では、「産経有罪」に持ち込むのは至難の業だという判断が多かったからだ。それでも検察側が起訴に持ち込んだのは、青瓦台(大統領官邸)の意向に配慮したというしかない。こういう「事大主義」が韓国が伝統的に持つ最大の弱点である。

 今回の裁判を通じて、韓国が国際的に被った「民主主義国家」としての信用の失墜は、測りがたいほどに大きい。検察側は控訴せざるを得ないだろうし、韓国の民主主義が持つ弱点が容易に改まるとは思えないからだ。韓国外務省が判決を前に「善処」を要請したというのも、国際的に恥ずかしい事態だ。「産経起訴」に関して社説にもとりあげず、口を閉じたばかりであった韓国の保守メディアの醜態も改めて指摘しておきたい。
加藤達也前ソウル支局長の公判が行われるソウル中央地裁につめかけた報道陣=19日、韓国・ソウル (大西正純撮影)
加藤達也前ソウル支局長の公判が行われる
ソウル中央地裁につめかけた報道陣
=19日、韓国・ソウル (大西正純撮影)

韓国民主主義への誤解


 産経前支局長に「無罪」判決を下したことによって、一部では韓国司法の独立性が保たれた、と評価する向きが出て来るかもしれない。しかし、これは、いささか甘い観測だ。韓国では民主化以降、司法と教育の現場が「反権力」「反保守」の牙城でもあるからだ。慰安婦問題をめぐる憲法裁判所判決が、政権末期の李明博政権に打撃を与えたように、今回の判決はレームダック化が進む朴槿恵政権にも、甚大な影響を与えことになりそうだ。反政権の野党とメディアが勢いづくのは必至である。

 「韓国の民主主義」をめぐっては、日本国内に一種の誤解が韓国内外にある。韓国の至上価値とも言える「政治権力」に対する目配りが十分でないのだ。

 韓国の「民主主義の発展」に関しては、朴正煕時代の「軍事独裁」によって呻吟して来た民主化勢力が、朴の亜流である全斗煥政権時代の末期に起きた民主化抗争(1987年)を経て、金泳三の「文民政権」、さらに金大中政権によって実現したとの理解が一般的だ。この流れが盧武鉉、李明博、そじて現在の朴槿恵政権に引き継がれて来たとされる。

 しかし、この観察はあまりにきれいごとだ。

 私は「民主化への転換期」である1987年前後から、この隣国を新聞記者として観察して来た。その目からすると、韓国の民主主義は「伝統的な政治風土=権威主義」を温存したまま発展して来たものである。日本人研究者の一部にあるように、手放しで韓国の民主化を礼賛する立場には立てない。私の危惧は、産経前支局長や朴裕河氏(「帝国の慰安婦」著者)が「名誉毀損」で起訴される事態になって、顕在化したと言える。

 韓国の近現代は李氏朝鮮の崩壊後、日本の植民地、解放後の混乱、朝鮮戦争、李承晩の独裁、学生革命、軍事クーデター、朴正煕の独裁・・と混乱と独裁の時期を繰り返して来た。この間に蓄積された韓国の政治的伝統は、米国の韓国研究者グレゴリー・ヘンダーソンが約50年前に指摘したように、大統領の席をめぐって国民が二つに分裂して争っている姿だ。権力の中心をめぐって、ありとあらゆる階層の人々が押し寄せ、ひしめきあい、巨大な渦巻きを形成する。裁判官も、検事も、新聞記者も、大学教授も、文化人も、そして一般国民も例外ではない。至上の権力は「大統領」(実は、日本人が開発した翻訳用語)なのである。

 この政治風土は「民主化」以降も維持された。民主政治家と評価された金大中にしても、実際には家父長的なカリスマ政治家だった。その後の盧武鉉、李明博、朴槿恵という弱体政権も、必死になって大統領権限を振り回してきた。その最悪の姿が、国内外政策で漂流を続ける現政権である。